結果2-2:式内社数の多寡に影響すると思われる要因・・・・人口 |
式内社数の多寡に影響すると思われる要因としては以下の項目が考えられる。 1:令制国の面積が小さい。 2:令制国の人口が少ない。 3:郡数、郷数が少ない。 4:経済力が弱い・・・・農業力、林業力、鉱工業力など 5:都(中央)から令制国までの距離が遠い。 6:律令が定めた国力 7:伯耆国の歴史的素地がない。 8:その他 ・・・・政治色、人間(氏族)関係など(考察へ) 令制国の人口と式内社数の関係において、人口が少なければ、生産性、式内社維持のための労力不足が懸念され、同時に式内社数にも何らかの影響が考えられる。 ここでは令制国の人口と、式内社数の関係を比較・検討する事を試みる。 A:令制国諸国の人口 1:令制国の人口と式内社 2:令制国諸国の人口推移 3:AD900年頃の令制国諸国の人口と人口密度 B:令制国の面積と式内社数の関係 1:令制国諸国の人口と式内社数の検定 2:令制国諸国の人口と式内社数の関係 参考 : 延喜式と式内社 和名類聚抄と国・郡・郷 令制国 |
A:令制国の人口 | ||||||||||
1:令制国の人口と式内社 | ||||||||||
国土人口と式内社数 人口が少ない令制国では、式内社数も少なくなることが予想されるが、果たしてそうか否かの検証を行う。 極端に人口が少ない国では、そこで暮らす人々、産出される農産物も少ないことが予想される。 その場合、式内社の維持運営にも何らかの影響が考えられる。 式内社数に人口が関係するか否かの検証である。 |
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2:令制国諸国の人口推移 | ||||||||||
五畿七道の人口推移 | ||||||||||
奈良時代から江戸時代までのおおよその人口推移を下記グラフに示した。 概ね、鎌倉時代、江戸時代初期に人口の急激な増加があったが、畿内だけは江戸時代より減少傾向が認められた。 |
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畿内諸国の人口推移 | ||||||||||
1600年頃よりの畿内諸国の人口が減少する。 江戸幕府の開府による人口の移動が有ったためと思われる。 |
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東海道諸国の人口推移 | ||||||||||
1600年頃より武蔵国の人口が急増する。 江戸幕府の開府によるものと思われる。 |
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東山道諸国の人口推移 | ||||||||||
北陸道諸国の人口推移 | ||||||||||
山陰道諸国の人口推移 | ||||||||||
山陽道諸国の人口推移 | ||||||||||
南海道諸国の人口推移 | ||||||||||
西海道諸国の人口推移 | ||||||||||
3:AD900年頃の令制国諸国の人口と人口密度 | ||||||||||
最初に令制国の人口に関する検定を行った。 延喜式神明帳が編纂されたAD900年頃の諸国の人口および人口密度を下記グラフに示した。 Z-test(平均値の検定)で各国の人口が平均値より多いか少ないかの検定を行った。 結果をグラフで示し、P値によって色分けをした。
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畿内、東海道諸国の人口と人口密度 | ||||||||||
和泉国は人口は少なかったが、人口密度で見ると全国平均より多かった。 三河国、駿河国、伊豆国は人口、人口密度共に少なかった。 |
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東山道、北陸道諸国の人口と人口密度 | ||||||||||
信濃、陸奥、出歯の人口は多かったが、人口密度は全国平均より有意に少なかった。 若桜国は人口は少なかったが、人口密度で見ると全国平均より多かった。 |
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山陰道、山陽道諸国の人口と人口密度 | ||||||||||
山陰道諸国の人口は全て全国平均を下回っていた。 しかし因幡国、伯耆国の人口密度は全国平均を有意に超えていた。 |
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南海道、西海道諸国の人口 | ||||||||||
面積では狭小であった筑前、筑後、豊前ではあったが、人口、人口密度は全国平均を上回っていた。 叉壱岐国の人口密度の高さは注目に値した。 |
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B:令制国の人口と式内社数との関係 | ||||||||||
1:令制国諸国の面積と式内社数の検定 | ||||||||||
人口1000人当たりの式内社数を算出し、その検定を行った。 Z-test(平均値の検定)で各国の人口当たり式内社数が平均値より多いか少ないかの検定を行った。 結果をグラフで示し、P値によって色分けをした。
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畿内、東海道の人口当たりの式内社数 (式内社数/1000人) | ||||||||||
畿内では全ての令制国で1000人当たりの式内社数が全国平均を上回っていた。 人口、人口密度が極めて小さかった伊豆国の1000人当たりの式内社数の多さが注目に値した。 |
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東山道、北陸道の人口当たりの式内社数 (式内社数/1000人) | ||||||||||
山陰道、山陽道の人口当たりの式内社数 (式内社数/1000人) | ||||||||||
人口密度が全高平均を超えていた伯耆国の式内社数は極めて少なかった。 山陽道諸国の1000人当たりの式内社数は全て少なかった。 |
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南海道、西海道の人口当たりの式内社数 (式内社数/1000人) | ||||||||||
南海道、西海道の式内社数は全般的に少なかったが、壱岐国、対馬国の1000人当たりの式内社数は極めて多かった。 |
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2:令制国諸国の人口と式内社数の関係 | ||||||||||
人口と式内社数の相関係数rは0.201で極めて弱い相関関係を認めるといえるかもしれない。 しかし説明率r2は0.040で相関関係は有意でないと考えられる。 すなわち、式内社数はその国の人口に影響されないことが示唆された。 |
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参考資料-1 | ||||||||||
AD900年の令制国の人口と人口密度 式内社数と人口の検定表 令制国地図 |
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参考資料-2 | ||||||||||
「和名類聚抄郷名考證」 (吉川弘文堂 1966 池邊彌) 「和名類聚抄郡郷里駅驛名考證」 (吉川弘文堂 1981 池邊彌) 「人口から読む日本の歴史」 (鬼頭宏著 講談社学術文庫 2000年 ) 「図説人口で見る日本史」 (鬼頭宏著 PHP研究所 2007年) 「歴史人口学で見た日本」 (速水融 文春新書 2001年) |
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