平安前期(794-900頃)
797(延暦16)   
 8月14日     京畿に地震暴風あり。(日本逸史 6)

799(延暦18)   
 8月11日     常陸国鹿島・那加・久慈・多珂の4郡に津波が15回押し寄せる。
            海面は20余町引いた後、津波が内陸1町まで達するという。(日本被害地震総覧)
                 (1町=約109m  20町=2180m)  

800(延暦19)・・・・延暦大噴火  
 3月14日     富士山噴火。煙で暗瞑するという。夜、火光が天を照らし、雷の如き音がするという。
            灰が雨のように降り、河水皆紅色になると言う。4月18日まで続く。(日本紀略)   
 6月 1日     日蝕あり。  

802(延暦21)   
 1月1日      駿河・相模より、富士山噴火で砂礫が降ってくるので占いを求むと言上あり。
            卜すると、疫になるという。勅して両国に鎮謝を加える。(日本略記)
 1月8日       この噴火により相模国足柄路が一次閉鎖された。 
 5月         相模足柄路、富士の焼石によって塞がれたので、これを廃し、筥荷路(箱根路)を開く。
            (日本紀略)  


807(大同2)   
 5月25日     地震あり。(日本逸史15)  

810(弘仁1)   
 6月26日     夜、地震あり。(日本逸史18)  

811(弘仁2)  
12月16日     地震あり。(日本逸史19)  

816(弘仁7)   
 7月17日     摂津で海が溢れる。死者220人。(日本逸史25)(日本後紀26)  
12月13日     地震あり。18日と20日にも地震。(日本逸史25)(日本後紀26)(日本紀略)

818(弘仁9)年   
 7月         関東で大地震。死者多数。(日本逸史26)  M 7.9、死者多数。  
 8月19日     諸国で地震の被害を調査し、救恤を行う。(日本逸史26)
 
827(天長4)   
 7月12日     大地震。舎屋多くが倒壊。1日に大震1回、小動78回。月末まで余震続く。(日本逸史35)  
12月14日     地震あり。清行の僧百人に大極殿で大般若経を三日間転読させる。(日本逸史35)  

829(天長6)  
 3月         地震あり。(日本逸史37)  

830(天長7)
 1月28日     出羽で地震あり。駅伝によれば、秋田城郭官舎、四天王寺六仏像、四王堂舎など倒壊。M 7〜7.5
            死者15人、負傷者100余人。30許丈の裂け目が出来る。
            城辺の秋田川が涸れるという。(日本逸史38)   
 4月25日     出羽地震の救急勅令がでる。(日本逸史38)   

839(承和6)   
 1月         彗星兌方に見える。長さおよそ1丈。(続日本後紀 8)   
 2月         東西両寺彗星が頻見するので、般若心経を講読。(続日本後紀 8)

841(承和8)・・・・伊豆地震 M 7   
 2月13日     信濃で地震。一夜に14回揺れ、公私の墻屋(墻は垣根)倒壊。(続日本後紀10)   
 7月 1日     伊豆で地震。里落完からず。圧死者あり。使を遣わし歴撫。         
            家屋を失った者は、当年の租調を免じ、倉を開いて賑救。家屋を修復する。
            亡くなった者は、埋葬に処する。(続日本後紀10)  
11月         彗星西方に見える。  
12月         勅命により僧100人に八省院にて三日間大般若心経を読ます。         
            内記に命じて願文を作らせ、五畿七道諸国にこれを読ませ、終わるまで殺生を禁じる。
               (続日本後紀10)  

845(承和12)   
 5月 9日     山城より虻虫の害はなはだし。(続日本後紀15)  

850(嘉祥3)・・・・出羽地震 M 7
10月16日     出羽で大地震。山谷形を変え、圧死者多数。(文徳天皇実録 2)  

852(仁寿2)   
2月          夕刻西に彗星現る。長さ5丈。(文徳天皇実録 4)  

853(仁寿3) 
 3月         地震あり。(文徳天皇実録 5)   
 4月         地震あり。(文徳天皇実録 5)   
 7月         地震あり。(文徳天皇実録 5)  
10月         地震あり。(文徳天皇実録 5)     
この年、地震相次ぐため、名僧に読経を読ませ、神官に伊勢神宮で奉幣祈願を行わせる。(文徳天皇実録 5)  

855(斉衡2)  
 2月         東北に長星あり。(文徳天皇実録 7)  
 5月         地震あり。(文徳天皇実録 7)  
 9月         地震あり。(文徳天皇実録 7)  

856(斉衡3年  
 2~4月      地震頻発。(文徳天皇実録 8)  
 6~7月      地震頻発。(文徳天皇実録 8)  
 9~12月     地震頻発。(文徳天皇実録 8)  

857(天安1)  
 3月 3日     地震により、大館地方松峰山伝寿院の堂舎が倒壊。
            山崩れにより仏像が谷底に埋まる。(日本被害地震総覧)  

858(天安2)  
 9月22日     地震あり。(三代実録 1)  
11月 9日     地震あり。(三代実録 1)  12月13日 地震あり。(三代実録 1)  

859(貞観1)  
 7月27日     地震あり。(三代実録 3)  
 8月 8日     地震のため、五畿七道諸国の年貢御鷹一切を停止する。(三代実録 3)  
 9月14日     地震あり。(三代実録 3)  
10月29日     大きめの地震あり。(三代実録 3)  
11月12日     地震あり。(三代実録 3)  

860(貞観2)   
 4月22日     地震あり。(三代実録 4)   
 5月 5日     雷電雨雹地震あり。天皇、端午の節を止める。18日にも地震あり。(三代実録 4)  
 6月17日     地震。22日にも地震あり。(三代実録 4)   
 7月14日     地震。17日、24日にも地震あり。(三代実録 4)   
 9月 7日     地震あり。(三代実録 4)  
10月 7日     地震あり。(三代実録 4)
閏10月23日    地震あり。(三代実録 4)  
12月 4日     地震あり。(三代実録 4)  

861(貞観3)   
 1月 9日     地震あり。(三代実録 5)   
 4月 7日     地震あり。(三代実録 5)   
 5月13日     地震あり。19日と20日にも地震。(三代実録 5)   
 6月23日     地震あり。(三代実録 5)   
 8月17日     地震あり。(三代実録 5)  

862(貞観4)   
 1月11日     地震。25日にも地震あり。(三代実録 6)   
 2月27日     地震。25日にも地震あり。(三代実録 6)   
 3月11日     地震。28日にも地震あり。(三代実録 6)   
 5月16日     地震あり。(三代実録 6)   
 6月16日     地震あり。(三代実録 6)   
 7月21日     地震。27日にも地震あり。(三代実録 6)   
 9月15日     地震。21日、24日、29日にも地震あり。(三代実録 6)  
10月 9日     地震。28日にも地震あり。(三代実録 6)  
12月16日     地震。27日にも地震あり。(三代実録 6)  

863(貞観5)・・・・越中・越後地震 (863年7月6日(7月10日)(貞観5年6月17日)
死者多数、直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる。   

 2月 4日     地震あり。(三代実録 7)   
 4月14日     地震あり。(三代実録 7)   
 6月17日     越中、越後で地震。陸谷所を易え、水泉湧出、民の廬舎崩壊し、圧死者多数。
            以後毎日余震。(三代実録 7)  
閏6月 9日     地震あり。(三代実録 7)   
 8月 8日     地震あり。(三代実録 7)   
 9月 8日     地震あり。(三代実録 7)  
11月13日     地震あり。(三代実録 7)  

864年(貞観6)・・・・貞観大噴火
864年(貞観6年)から866年(貞観8年)にかけて発生した、富士山の大規模な噴火活動。
この噴火は、山頂から北西に約10km離れた斜面で発生した大規模な割れ目噴火である。
長尾山ほか2、3のスコリア丘を形成し、膨大な量の溶岩を噴出させた。噴出物の総量は約14億m³にも及び、溶岩流は北西山麓を広く覆い尽くした末に、北麓にあった広大な湖・剗の海(せのうみ)の大半を埋没させた。
江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた宝永大噴火とともに、富士山の噴火災害の特異例として数え上げられ、文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われている。
なお、この噴火で埋没した剗の海の残片が現在の富士五湖のうちの2つ、西湖と精進湖であり、溶岩流の上に1100年の時を経て再生した森林地帯が青木ヶ原樹海である。
  
 3月14日     彗星東に見ゆ。営室宿にあって長さ4尺ほど。(三代実録 8)   
 5月25日     富士山噴火・・・青木ヶ原樹海を作った貞観大噴火この時、阿蘇山も噴火
            方12里の山を焼き、火炎高20丈に達する。         
            地震3回。噴火は十余日を経ても収まらず。烟雲鬱蒸して人近づけず。(三代実録 8)   
 7月17日     富士山の溶岩流出し、本栖水海に流れ込み30里が埋まり、高さ23丈広さ23里に至る。
            水は熱湯になり魚死滅す周囲の百姓の居宅も埋まり、そのまま甲斐の国境に達する。
            また河口海にも溶岩が向かう。
            溶岩台地は青木ヶ原となり、溶岩がせの海に流れ込んで精進湖と西湖に分かれる。
                (三代実録 8、9)(日本火山総覧)   
 9月 4日     地震あり。26日にも地震あり。(三代実録 9)  
10月 9日     地震あり。(三代実録 9)  
12月         地震あり。(三代実録 9)  

865(貞観7)   
 1月14日     地震あり。29日にも地震あり。(三代実録10、11)   
 3月22日     地震あり。(三代実録10、11)   
 4月12日     地震あり。(三代実録10、11)   
 9月24日     地震あり。(三代実録10、11)  
11月 1日     地震あり。14日にも地震あり。(三代実録10、11)  
12月 2日     地震あり。(三代実録10、11)  

866(貞観8)   
 1月25日     地震あり。(三代実録12、13)  
閏3月 5日     地震あり。(三代実録12、13)   
 6月 7日     地震あり。16日にも地震あり。(三代実録12、13)   
 8月15日     地震あり。(三代実録12、13)  
10月19日     地震あり。(三代実録12、13)  
11月 7日     地震あり。(三代実録12、13)  
12月10日     地震あり。(三代実録12、13)  

867年(貞観9)   
 1月20日     豊後鶴見山頂の青泥池、黒池、赤池が震動し硫黄臭が遍満する。
            さらに噴火し、沙泥が数里四方に積もる。         
            泉が沸騰し、川となって山脚の道路を塞ぎ、川に至って魚数千万が死ぬ。震動三日続く。
               (三代実録14)   
 1月23日     彗星、紫微宮に見ゆ。内階を貫き長さ5尺。(三代実録14)   
 1月27日     地震あり。2月1日にも地震あり。(三代実録14)   
 5月11日     夜、阿蘇山で奇光が見られ、翌日朝震動して長さ250丈、広さ50丈が崩壊する。(三代実録 14)   
 5月13日     地震あり。(三代実録14)   
 7月25日     地震あり。(三代実録14)   
 8月14日     地震あり。25日にも地震あり。(三代実録14)   
 9月 6日     地震あり。(三代実録14)  
10月15日     地震あり。(三代実録14)  

868(貞観10)・・・・播磨・山城地震  M 7台。
868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日)

 4月13日     地震。28日にも地震あり。(三代実録15)   
 5月19日     地震あり。(三代実録15)   
 7月 8日     播磨で地震。諸郡官舎・諸寺堂塔悉く倒壊。この月、度々地震。(三代実録15)   
 8月10日     地震。この月度々地震。(三代実録15)   
 9月 7日     地震。(三代実録15)  
11月27日     地震。(三代実録15)  
12月 1日     10日、16日にも地震。(三代実録15)  

869(貞観11)・・・・貞観地震   
869年7月9日(7月13日) (貞観11年5月26日夜)
震源は岩手県沖〜福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される。M8.3-8.6。

 5月26日     陸奥で大地震。流光が昼の如く目撃された後、大きく揺れる。多賀城崩壊し圧死者あり。
            また地面の裂け目に埋没する者もあり。城下に大津波が押し寄せ1000余人が死亡。
                 (三代実録16)   
 9月 7日     紀春枝を検陸奥国地震使に任命し、判官と主典をそれぞれ一名ずつ随伴させて派遣する。
10月13日     詔を発し、死者を埋葬させ、被害の大きい者は租調を免じ、あまねく賑救を行う。  

870(貞観12) 
 7月29日     山城綴喜郡山本郷で山が裂け、小山が出来る。(三代実録18)     
            この年、肥後で地震、風水害。舎宅悉く倒壊。(日本紀略)  

871(貞観13)
 4月 8日     鳥海山(大物忌神社所在地)噴火。同山よりの河に青黒い泥水溢れ、臭気充満する。
            死魚河を塞ぐ。泥流大きいもの2つ、小さいもの多数、海に達する。
            泥水により草木生えず。(三代実録20)(日本火山総覧)   
 7月10日     地震あり。25日にも地震あり。(三代実録20)   
 8月 7日     地震あり。17日にも地震あり。(三代実録20)   
 9月         桜・李・梨・桃などの花が季節外れに咲き、諸神に祈る。(三代実録20)  

872(貞観14)   
 9月30日     地震あり。建礼門院前で大祓を行う。(三代実録22)  

873(貞観15)   
 4月14日     地震あり。(三代実録22)   
 7月 1日     日蝕あり、光無し。(三代実録24)  

874年(貞観16)   
 3月 4日     薩摩開聞岳、夜雷霆が響き一晩中震動。噴火して降灰し禾皆枯れ、河水濾濁し魚死滅。
            死魚を食べる者、或いは死に或いは病気になる。大宰府7月にこれを報告す。(三代実録26)
閏4月        小地震頻発。(三代実録25)   

875(貞観17)   
 2月12日     地震あり。17日、29日にも地震あり。(三代実録27)   
 3月 9日     地震あり。14日にも地震あり。(三代実録27)  
 4月28日     卯刻、白彗東北に現る。赤色をし芒角をなす。(三代実録27)  
 
876(貞観18)  
 5月14日     翌日にかけて小地震、21日にも小規模の地震。(三代実録28)  
 6月18日     地震あり。(三代実録28)  877(元慶 1)年  
 4月 1日     日蝕あり。(三代実録31)  10月17日 大地震。(三代実録33)  

878(元慶2)・・・・相模・武蔵地震 M 7.4  
 9月29日     夜、相模、武蔵で大地震。揺れは京に達する。5、6日揺れが収まらず。
            公私の舎屋全滅。地面陥没。百姓の圧死多数。(三代実録34)  

879(元慶3)  
 3月 7日     翌日にかけて地震。(三代実録35)  
 3月22日     地震。29日にも地震。(三代実録35)  
 4月 2日     地震。7日にも地震あり。(三代実録35)

880(元慶4)   
 2月14日     地震。28日にも地震。(三代実録37、38)   
 4月 2日     地震。5日、10日にも地震。(三代実録37、38)  
10月 1日     地震。2、3日にも地震。  

10月14日     出雲で大地震・・・出雲地震 M 7
            神社、仏寺、官舎、百姓居濾の多くが倒壊。負傷者多数。余震相次ぐ。(三代実録37、38)
12月 4日     地震。(三代実録38)  
12月 6日     夜、山城、京などで大地震。翌昼までに16回発生。大極殿の西北隅が崩壊。建造物の破損多し。
            7日、陰陽寮は兵賊飢疫の兆しと判断し、天文奏を行う。         
            以降この月毎日のように大震小震が続く。(三代実録37、38)  

881(元慶5)   
 1月 6日     昨年末からの地震に続いて、この日以降、11、12、14、16日にも地震。(三代実録39、40)  
 9月19日     地震。20、21日にも地震あり。(三代実録39、40)  
12月 6日     地震。8日にも地震あり。(三代実録39、40)  

884(元慶8)   
 4月14日     地震あり。16日にも地震あり。(三代実録46)   
 6月29日     地震あり。(三代実録46)   
 8月 4日     戌より子に至り、小星四方に流散し、雨の如く墜ちる。(三代実録46)  
11月 6日     地震あり。(三代実録46)  

885(仁和1)   
 7月11日     6月より肥前に雨が降らず、国司諸神に奉幣。(三代実録48)   
 7月12日     薩摩にて、夜、晦冥にして衆星見えず、砂石が雨のように降る。開聞岳の噴火と見られる。
                (三代実録48)   
 7月13日     肥前で夜陰に粉土屑砂が降り、苗や草木が枯れる。その後雨が降りて枯苗再生する。
                (三代実録48)  
 8月11日     開聞岳噴火する。砂地が降り、昼間に夜の如し。田野が埋没し、人民が騒ぎだす。
            神祇官卜して云うには、来春に薩摩国で疫病あると。
            陰陽寮は占い、府辺東南の神、隣国に遷ろうとしている。よって蚕穀損耗あり。        
            それを受けて府司に下知して彼の両国をして部内の衆神に奉幣し以て冥助を祈らせる。

886(仁和2)   
 3月21日     地震あり。(三代実録49)  
 4月13日     地震あり。(三代実録49)   
 5月10日     7日よりの大雨で洪水。(日本紀略)   
 5月24日     上総、下総、安房で大地震あり。安房方面に黒雲あり、その中で電光ひらめき、地震を起こる。
            一晩中続く。砂石粉土地上に積もる。草木悉く枯れ、馬牛の粉草を食して死する者はなはだ多し。
            新島の噴火か。(三代実録49)(日本火山総覧)   
 6月15日     地震あり。(三代実録49)  

887(仁和3)・・・・仁和地震  (887年8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日)
南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震。M 8〜8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。
津波あり。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。
津波堆積物からM 9クラスであったとする説もある

 7月 2日     大地震。6日、30日にも大地震。余震8月に至る。         
            天皇、仁寿殿から紫宸殿の南底に移り、大蔵省に命じて7丈の幄二を建て、御在所とする。
            諸司倉屋、東西京師の廬舎多く倒壊し圧死者多数。失神して頓死する者もあり。
            亥刻また3回震動。七道諸国同日大いに震動し、官舎多く倒壊。津波により溺死者多数。
            摂津国の被害は特にはなはだし。
 8月         余震頻発し、5日には大地震あり。36種類の妖言が囁かれる。        
            紫宸殿と大極殿で大般若経を三日行う。(三代実録50)  

888(仁和4)  
11月 9日     地震あり。(日本紀略前20)  

889(寛平1)   
 2月10日     地震あり。(日本紀略前20)   
 3月 1日     地震あり。(日本紀略前20)   
 7月 2日     地震あり。(日本紀略前20)   
 8月20日     地震あり。(日本紀略前20)  

890(寛平2)   
 6月 7日     京で地震。(日本紀略前20)  
12月 4日     京で地震。(日本紀略前20)  

892(寛平4)   
 2月19日     地震あり。(日本紀略前20)  
11月10日     地震あり。(日本紀略前20)  

894(寛平6)   
 3月24日     地震あり。(日本紀略前20)  
11月 3日     地震あり。(日本紀略前20)  

896(寛平8)   
 1月13日     地震あり。(日本紀略前20)   
 2月 4日     地震あり。(日本紀略前20)  

897(寛平9)   
 7月22日     地震あり。(日本紀略後 1)  

898(昌泰1)   
 7月27日     地震あり。(日本紀略後 1)  

899(昌泰2)   
 9月 7日     地震あり。(日本紀略後 1)


平安中期(901-1000頃)
901(延喜1)   
 1月 1日     日蝕有りと言うことで、天皇南殿へ御せず。(日本記略後 1)  

902(延喜2)   
 7月24日     地震あり。(扶桑略記23)  904(延喜 4)年  
11月12日     地震あり。(扶桑略記23)  

905(延喜5)   
 4月15日     月蝕、乾方に彗星見ゆ。16、18、19日にも見ゆ。
             24日諸社臨時奉幣。乾方の彗星長さ30余丈。光芒巽方へ指す。25日にも見える。長さ天を終わる。
            29日まで毎夜見える。5月3日になって見えなくなる。(扶桑略記23)(日本紀略 1)   
 6月15日     彗星により大赦令の詔出る。(日本紀略 1)

906年(延喜6)   
 3月 1日     地震あり。(扶桑略記23)  

909(延喜9)   
 2月 7日     地震あり。(大日本史32)  

911(延喜11)   
 1月13日     地震あり。(扶桑略記23)  

912(延喜12)   
 1月11日     地震あり。(大日本史32)   
 3月21日     地震あり。(大日本史32)   
 6月 3日     戌亥角に彗星現る。9日に至る。12日酉方に再度現る。(日本紀略 1)(扶桑略記23)

915(延喜15)         
鳥海山噴火し降灰。農桑枯損す。或いは十和田湖で噴火か?(扶桑略記)(震災予防調査会報告86)(日本火山総覧)  

916(延喜16)   
 6月29日     雷鳴地震あり。(日本紀略後編 1)  921(延喜21)年   
 6月 1日     日蝕。但し大雨。廃務す。(日本紀略 1)  

922(延喜22)         
            紀伊で津波。(日本被害地震総覧)  

924(延長2)  
12月17日     地震あり。(扶桑略記24)  

926(延長4)   
 1月 1日     地震あり。(扶桑略記24)   
 4月19日     地震あり。(扶桑略記24)  

928(延長6)  
 3月 8日     地震あり。(日本紀略後 1)(扶桑略記24)  
 4月17日     地震あり。(日本紀略後 1)(扶桑略記24)   
 6月 1日     地震あり。(日本紀略後 1)(扶桑略記24)  

930(延長8)   
 4月15日     地震あり。(西宮記)   
 6月26日     諸卿殿上し各議の時、午三刻に黒雲が現れ清涼殿坤一柱上に落雷。神火を発する。
             大納言兼民部卿藤原清貫、衣焼し胸裂し死亡。右兵衛佐美努忠包も、髪焼し死亡。
             行右中弁兼内蔵頭平希世も、顔焼し死亡。紀蔭連は腹燔悶乱、安曇宗仁は膝焼し臥す。
                 (日本紀略 1)(扶桑略記24)(九条殿遺誡)  

931(承平1)   
 1月12日     地震あり。(貞信公記)   
 3月 2日     地震あり。(日本紀略後 2)  
閏5月 3日     地震あり。(扶桑略記25)  

932(承平2)   
 1月25日     地震あり。(扶桑略記25)   
 3月21日     地震あり。(扶桑略記25)   
 4月 1日     地震あり。(扶桑略記25)   
 6月26日     地震あり。(扶桑略記25)  

934(承平4)   
 5月27日 大地震。(日本紀略後 2)(本朝年代記 2)  

935(承平5)   
 1月28日     地震あり。(扶桑略記25)   
 2月19日     地震あり。(扶桑略記25)   
 3月24日     地震あり。(扶桑略記25)   
 4月 7日     地震あり。15日にも地震あり。(扶桑略記25)  

937(承平7)   
 1月 2日     日蝕で廃務。1日が日蝕で2日に宴会を行うとも云う。(日本紀略 2)   
 4月15日     地震あり。(和漢合運指掌図 4)   
 4月17日     地震あり。(本朝年代記 2)  
11月         富士山噴火。(日本紀略後 2)  

938(天慶1)   
 4月15日     亥刻に大地震。東西の京舎屋、諸寺諸山の堂舎仏像多く倒壊。
            死者4人。洪水あり。余震やまず。(日本紀略後 2)(康富記12)(和漢合運 4)   
 4月15日     大地震。 M 7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、
            8月6日に大きな余震。天皇は底上に幄舎を建てて御座を遷す。鴨川洪水。(改元勘文部類)   
 4月18日     無事息災祈願の誦経を行い、建礼門前で大祓を行う。賀茂祭を停止する。(改元勘文部類)   
 5月22日     改元し天慶とする。(改元勘文部類)   
 5月28日     三日間最勝王経を転読し、また賑救を定める。(貞信公記)(本朝世紀 2)   
 6月16日     諸社に使をたてて、地震のことを祈る。22日五畿七道の54社に奉幣。   
 8月 3日     地震。6日、28日にもあり。(日本紀略後 2)(本朝世紀 2)   
 9月 2日     地震。11日、15日にも地震あり。(日本紀略後 2)(本朝世紀 2)  
10月 9日     天皇、宇佐八幡宮に奉幣して地震の災について祈願。 (日本紀略後 2)  
10月21日     地震。24日にも地震あり。(日本紀略後 2)(本朝世紀 2)  
11月12日     地震あり。(日本紀略後 2)(本朝世紀 2)  

939(天慶2)   
 4月 2日     大地震。主上、庭に幄舎を建てて避難。5日にも地震。(本朝世紀 3)(和漢合符)   
 5月10日     地震あり。(本朝世紀 3)(和漢合符)   
 6月23日     地震あり。(本朝世紀 3)(和漢合符)   
 7月 1日     日蝕で廃務。しかし日蝕は見えず。あるいは食さずと云う。(日本紀略 2)   
 8月28日     地震あり。(本朝世紀 3)(和漢合符)  
10月15日     地震あり。18日にも地震。(本朝世紀 3)(和漢合符)  
941(天慶4)  
10月11日     地震あり。(本朝世紀 4)  

942(天慶5)  
 3月 7日     地震あり。16、7日にも地震。(外記日記)  
 3月19日     大中臣頼基を祭主として地震鎮めの祈願を行う。(外記日記)  
閏3月18日     地震あり。(外記日記)  

943(天慶6)   
 5月 1日     地震あり。(日本紀略後 2)  

944(天慶7)   
 4月23日     地震あり。(日本紀略後 2)
 
945(天慶8)     
この年、霧島山噴火。(震災予防調査会報告86)  

946(天慶9)   
 2月 8日     京で地震。(日本紀略後 3)   
 4月 6日     京で地震。(日本紀略後 3)  

947(天暦1)   
 2月 3日     京で地震。(日本紀略後 3)   
 4月 6日     京で地震。(日本紀略後 3)  

949(天暦3)  
 2月 9日     京で地震。(日本紀略後 3)  

958(天徳2)  
 9月13日     天変地震等により五社に奉幣する。 (日本紀略後 4)  
 9月17日     さらに七社に奉幣する。(日本紀略後 4)  

959(天徳3)  
10月 3日     京で地震。 (日本紀略後 4)  

961(応和1)  
 2月27日     酉刻、坤方に彗星。野火の気に似る。(扶桑略記26)  

965(康保2)  
 9月21日     京で大地震。(日本紀略後 4)  10月 1日 京で地震。 (日本紀略後 4)  
11月25日     賑恤の詔を発し、当年の半?を免ず。(日本紀略後 4)  

966(康保3)  
閏8月19日     洪水により検使を派遣。(日本紀略 4)  
 9月 3日     権大納言師尹、勅定により両京水害の巡検使を出す。(日本紀略 4)  
 9月 9日     京、畿内の人民に賑給を行う。被害の大きいものには、当年の調庸を停止する。(日本紀略 4)  

967(康保4)  
12月30日     地震あり。(蜻蛉日記)  

968(安和1)  
 4月 7日     地震あり。鳥獣が鳴いて騒ぐ。(日本紀略後 5)  
 8月 4日     地震あり。(日本紀略後 5)  

971(天禄2)  
 4月 6日     地震あり。(日本紀略後 7)   7月 6日 地震あり。(日本紀略後 7)  

972(天禄3)  
閏2月14日     大地震。 (日本紀略後 7)  
 9月         余震未だ止まらず。(本朝年代記 2)  

973(天延1)  
 3月 7日     雹降る。大和では水精玉砕の物が降る。(日本紀略 6)  
 3月24日     京で地震。(日本紀略後 7)   9月27日 京で地震。(日本紀略後 7)  

974(天延2)  
 1月19日     地震あり。(日本紀略後 7)

975(天延3)  
 6月22日     暁、彗星艮方に現る。その形団扇の如し。長さ5、6尺。(日本紀略 6)  
 7月 1日     日蝕あり。天は黒色の如し。群鳥飛乱し、衆星が見える。(日本紀略 6)  

976(貞元1)・・・・山城・近江地震 (976年7月17日(7月22日)(天延4年6月18日)
M 6.7以上、死者50人以上。  

 4月11日     大きめの地震あり。(本朝地震記)  
 6月18日     京で大地震。人家の倒壊による圧死者多数。山城、近江の国で特にはなはだし。
             翌日より月末まで余震81回。天皇幄舎を建て御在所とする。
            崇徳寺堂谷に転落し、僧千聖転落死する。    
            清水寺で圧死する者50人。八省院、豊楽院、東寺、西寺、極楽寺、円覚寺等も倒壊。
             近江国分寺大門倒壊。内裏修理中の30余人死亡し、読経請僧童子も圧死。(日本紀略後 7)  
 7月13日     地震により改元。大赦行われる。(古事類苑)(本朝地震記)  
 7月20日     大地震。前後に余震頻発。(日本紀略後 7)  
 9月23日     大地震。(本朝地震記)  

977(貞元 2)年  
 2月 4日     地震あり。9日にも地震あり。(日本紀略後 7)   
 2月24日     戌刻、艮巽両方角に彗星見ゆ。(日本紀略 6)   
 5月23日     半租を命じる。(本朝地震記)  
 6月18日     大地震。古今未曾有の変異にして余震200余日という。(本朝地震記)  

978(天元 1)年  
11月20日     地震あり。(日本紀略後 7)  

979(天元2)  
 4月21日     備中国より言上あり、去1日、都宇郡撫河郷箕島村に、形も味も飯の如き物が降り、
            人民これを食す。       (日本紀略 7)  

982(天元5)   
 2月27日     雷鳴地震あり。(小右記)  
 3月 1日     日蝕あり。(小右記)  

984(永観2)  
10月13日     大地震。(小右記)  
11月 8日     地震あり。(日本紀略後 7)  
11月 8日     多武峰鳴動する。(小右記)  

986(寛和2)  
 1月28日     地震あり。(本朝世紀10)  
 3月27日     地震あり。(日本紀略後 8)  
 7月 6日     地震あり。(日本紀略後 8)  

989(永祚1)  
 6月 1日     彗星、東西天に見ゆ。(日本紀略 9)  
 7月         中旬、毎夜彗星東西天に見ゆ。(日本紀略 9)
            この年、地震により改元か。(古事類苑)  
 8月13日     京と諸国で海が溢れる。(扶桑略記27)(百錬抄 4)  
 8月13日     大風。洪水と高潮で畿内の海浜、河辺の人畜田畝に被害。(日本紀略 9)  

990(正暦1)     
10月25日     地震あり。(日本紀略後 9)  
            この年、火災風災で改元。(古事類苑)

934(正暦5)  
10月24日     地震あり。(日本紀略後 9)  

996(長徳2)   
 4月 2日     地震あり。(日本紀略後10)(外記日記)   
 5月22日     地震あり。(日本紀略後10)(外記日記)   
 6月26日     地震あり。(日本紀略後10)(外記日記)  
10月 3日     地震あり。(日本紀略後10)(外記日記)  

997(長徳3)   
 5月22日     大地震。(日本紀略後10)  

998(長徳4)  
10月 3日     大地震。(日本紀略後10)  

999(長保1)  
 3月 7日     富士山噴火の奏あり。(本朝世紀15)  
 3月 7日     大宰府言上によれば、豊前国で米が降るという。(日本紀略10)

1000(長保2)  
 3月 1日     日蝕により、結政参せず。藤原行成、日蝕の日廃務の例なりと説明す。(権記)



参考資料
日本地震学会HP 「日本付近のおもな被害地震年代表」  http://www.zisin.jp/modules/pico/index.php?cat_id=100
静岡大学防災総合センターHP 「古代・中世 地震噴火史料データベース」 http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/erice/

「新編日本被害地震総覧 増補改訂版」 (宇佐美龍夫 1996.8 東京大学出版会)

「新訂増補国史大系  日本書紀 前篇」 (吉川弘文館 2000 黒坂勝美)
「新訂増補国史大系  日本書紀 後編」 (吉川弘文館 2000 黒坂勝美)
「日本書紀 上・中・下」 (教育社 1992 山田宗睦訳) 

「新訂増補国史大系  続日本紀 前篇」 (吉川弘文館 1974 黒坂勝美)
「新訂増補国史大系  続日本紀 後篇」 (吉川弘文館 1974 黒坂勝美)

「新訂増補国史大系  日本後紀 」 (吉川弘文館 1974 黒坂勝美)

「訓読日本三代実録」 (臨川書店 1986  武田 祐吉)


気象庁HP 「過去の地震・津波被害-明治以降、我が国で100人以上の死者・行方不明者を出した地震・津波」
Wikipedia「地震の年表」 


 「ファンタジ-米子・山陰の古代史」は、よなごキッズ.COMの姉妹サイトです
   ファンタジ-米子・山陰の古代史   







平安時代の地震と異常気象-1 米子(西伯耆)・山陰の古代史
平安時代前期(794-900)、平安時代中期(901-1000)の地震、異常気象を記す。 
 地震と地震学  地震の原因とその種類   津波  歴史地震  地震考古学  地震電磁気学  

 先史時代および古代の地震と異常気象  平安時代の地震と異常気象その1 その2  

 歴史的な津波  山陰地方の地震と津波