2:米子市周辺の神社-G:弓浜半島の神社
1:米子周辺の式内社

2:米子市周辺の神社 
  A米子市中心部、B加茂川流域、C法勝寺川流域、D日野川下流域 E佐陀川上流域 
  F淀江町周辺(佐陀川下流域 宇田川流域 天井川流域)・西伯郡日吉津村、G弓浜半島
   
3:境港市の神社
弓浜半島の村
  住吉村 彦名村 崎津村(大崎・葭津) 大篠津村 富益村 夜見村 和田村
現代の市制
鳥取県ホームページ より引用
米子市(旧米子市、淀江町、西伯郡日吉津村)  境港市

西伯郡
南部町(旧会見町、旧西伯町) 伯耆町(旧溝口町、旧岸本町)


大山町(旧大山町、旧名和町、旧中山町) 

日野郡
江府町  日野町  日南町
令制下の旧国
伯耆国-河村郡、久世郡、八橋郡、会見郡、入汗(あせり)郡、日野郡 

式内社=6社  

河村郡 2社(並小)  久米郡 2社(並小)  会見郡 2社(並小)
糺神社(鳥取県米子市立町4丁目19) のあるあの砂山のあたりが昔の米子町と弓浜半島の村々との境界だったと考えられている。
弓浜半島にある神社
住吉神社
所在地 
鳥取県米子市上後藤

社格

祭神
素戔鳴命、大穴牟遅命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年月不詳。
往古より荒神宮と称へしを明治元年神社改正の際、古開神社と改称勝田神社の摂社に定めらる。
大正6年10月2日
  米子市大字灘町字長者谷鎮座無格社新田神社(祭神 素戔鳴命) 
  住吉村大字安倍字荒神屋舗鎮座無格社安陪神社(祭神 素戔鳴命、大穴牟遅命)を合併す。

補足:鳥取県神社誌より
建造物 本殿、神楽殿
境内坪数  254坪   氏子戸数 280戸


粟島神社
所在地
鳥取県米子市彦名町1405番  

社格

祭神
主祭神=少名彦名
配祀=大己貴命、神功皇后

歴史1:鳥取県神社誌より
創立年代不詳
当社境内の地形に就いて見るもの頗る古代の風致なり。
社地は円形岩石の孤峯にして頂に鎮座し、古木森々として社殿を擁せり。
社前は石階高く、社後には一株の神樹あり、その周一丈五尺余、之を往古より御崎松と称す。
山脚に静之巖谷と唱ふる一洞あり。
口幅五尺許深さ幾千尺と謂ふを知らず、土人の口碑に上古の岩垣岩柱にて上の居址なりと。
又社境に隣接せる瀨灘は今を去る事凡そ七百年前、余戸瀨と称し地にて衆落の地なりしが、当時激浪の為に蕩没したりと云ふ。
付近の田圃より巨大の石室及び腐食したる刀剣、土岐、人骨を発掘することあり。
当社は永正年中尼子経久の為めに兵燹に罹り、大永九四年又経久より再建、其の後元禄2年火を失し蕩燼、元禄3年社殿を建立す(棟札存す)
当社は延喜式等に見るべきなしと雖も古事記、釈日本紀に淵源を明記せり。
其の他の古記は悉く焼失、文献の徴すべきものなし。
明治元年境内末社合祀す。
同40年2月3日、神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
大正2年10月12日
  彦名村字後藤鎮座無格社北野神社(祭神菅原道真公)
  同村字下粟島鎮座無格社余戸神社(祭神宇牟伎比売命)を合併す。
大正11年12月21日、採火により社殿焼失、其後復興新築を完了す。

歴史2
伯耆風土記によると少彦名命は粟嶋に上陸した後、粟の茎にはじかれて常世の国に渡ったとされている。
上陸したとされる場所には、小さい岩をご神体とした「お岩さん」が祀られている。
戦国時代尼子氏の伯耆侵攻の際に焼失し、のちに尼子氏が再建する。
江戸中期までは中海に浮かぶ小島であった。
後に、周りが干拓されて、今の形になった。
現在の社殿は昭和11年に再建されたもの。

補足1:鳥取県神社誌より
建造物 本殿、弊殿、拝殿、透塀、随神門、神楽殿、参籠所
境内坪数  8964坪
氏子戸数   423戸

補足2:人魚伝説
このあたりの漁師の集まりで出た、珍しい料理を誰も気味悪がって食べる人はいませんでした。
ところが一人の漁師が自宅に持ち帰ったのを、その家の18才の娘が知らずに食べてしまいました。
実はそれは不老長寿とされる人魚の肉だったのです。
それからというもの、その娘は何年経っても姿は18才のまま。
世をはかなんで娘は、尼になって粟嶋の洞穴にこもり、寿命が尽きるのを待ったそうです。
静かに息を引き取ったのは800才だったということで、村人達はこれを哀れんで、この娘のことを「八百比丘(はっぴゃくびく、やおべく)さん」と呼んで、延命長寿の守り神として丁寧に祀ったそうです。
ちなみに八百比丘伝説は全国各地にあるようです。
この洞穴は山麓の西側、海岸近くにあります。
万葉集の歌にある「静の岩屋(しずのいわや)」ともいわれ、神社の駐車場近くには「大汝 小彦名のいましけむ 志都の岩屋は 幾代経ぬらむ」と記された石碑がたっています。


夜見神社
所在地 米子市夜見町2678

社格  村社

祭神
主祭神=須佐之男命、蛭子神

歴史1:鳥取県神社誌より
当社は貞享元甲子年の鎮座にして、此の地の開祖森六良右衛門守連、本郡境村(今の境町)字岡畑と云ふ地にありし荒神宮を勧請して本村の産土神と奉遷せしものなり。
明治4年夜見神社と改称、村社に列せられる。
明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

歴史2
由緒より 貞享元年(1684)の鎮座で、森六良右衛門守連が境村(現境町)字岡畑という地に鎮座していた荒神宮を勧請して産土神と奉遷。

補足:鳥取県神社誌より
例祭日 10月28日
建造物 本殿、拝殿、幣殿、神楽殿
境内坪数=225坪   氏子戸数=230戸


和田神社
所在地 米子市和田町1681番

祭神
主祭神=素盞鳴尊
 
歴史 
創立、縁起、沿革等は不詳。
最古の棟札には延享2年(1745)3月修復という記録あり。

補足:鳥取県神社誌より
建造物=本殿、拝殿、幣殿
境内坪数=164坪   崇敬戸数=300戸


富益神社
所在地 米子市富益町936番

祭神
主祭神=天照大御神

歴史:鳥取県神社誌より
萬延元年(1860) 11月19日に勧請・創建された。
其他の沿革等詳ならず。

補足:鳥取県神社誌より
建造物=本殿、拝殿、幣殿
境内坪数=48坪   崇敬戸数=305戸


大崎神社
所在地 米子市大崎1320番

祭神
主祭神=素盞鳴尊
境内神社=祭神 下照姫命、大国主神、稲田姫命、市杵島姫命、直日神

歴史:鳥取県神社誌より
創建1686年
当社は元禄年間大崎村の豪家角喜右衞門の勧請せるものにして、享保十三年自己所有の土地に小祠を建立し、大崎村の氏神となしたるののにて、同小篠津村より十戸、渡村より六戸移住し此の地を開墾し大崎の名を附したるものなりと伝ふ。
今尚小篠津村分渡分の境界あり、この関係上中浜村小篠津の郷社日御崎神社及渡村郷社日御崎神社等の摂社の如く扱われたる事もあり、享保13年宮社建立の官許を得し旧記あり。
明治元年、神社改正の際荒神宮と称せしを大崎神社と改称せらる。
大正11年4月村社に列せられ、同年9月6日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

補足:鳥取県神社誌より
建造物 本殿、通殿、拝殿、神輿庫、神楽殿、祭器庫
境内坪数=631坪   氏子戸数=450戸


葭津神社
所在地 米子市葭津1736番

社格

祭神

歴史:鳥取県神社誌より

補足:鳥取県神社誌より

和田御崎神社
所在地 米子市大崎1320番

社格  村社

祭神
素盞鳴尊、大己貴命、稲田姫命、稲背脛命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年月不詳ならざれども、万治2年10月社殿修復の棟札あり。
古老の伝ふる所に拠れば尼子氏の残党安田義定の一族流浪して此地に来り農となる。
実に此開拓の祖たりしと共に当社も又安田氏の出雲国日御崎神社の御分霊を勧請創立せしものなりと云へり。
降りて延実天和の頃より衆庶の尊信益加はり、貞享二年氏子相謀り神田を奉納し神事を盛大にす。
三條西中将季卿深く当社を崇敬せられ、天保12年4月幕提灯の寄付あり。
次で嘉永5年9月、卿の代参として同家の諸太夫縄田采女社参す。
此の時京都の因州留守居より鳥府表へ通達せられ同氏の社参に対する取扱に遺漏なからしめたり。
昭和4年8月村社に列す。
昭和8年4月14日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

補足:鳥取県神社誌より
建造物 本殿、拝殿、幣殿、社務所
境内坪数  573坪   氏子戸数 705戸


諏訪神社
所在地 
鳥取県米子市大篠津582-1

社格
村社

祭神
武御名方命、事代主命、大己貴命、多紀理毘古、多紀理比売、狭依毘売命、稲背脛命

歴史:鳥取県神社誌より
創立年月不詳。
且つ古文書うも紛失せるに依り由緒を尋ぬるに由なしと雖も、信ずべき伝へに拠れば井田久左衛門と云へる者一族郎党と共に当地に来り、佐斐神に居るを定むるに及び、自ら信州に赴き諏訪神社の分霊を勧請し帰りて同地に社時宇を建てて奉祀せりと云ふ。
爾来一族の繁栄と共に又地方一般の崇敬篤く、社運盛んなるに及び慶安2年現今の地を相して社殿を建立し奉遷せしものなりと云ふ。
明治元年神社改正の際境内神社二社を合祀村社に列せられる。
明治41年11月19日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

補足:鳥取県神社誌より
例祭日 11月2日
建造物=本殿、拝殿、社務所、手水舎
境内坪数=427坪   氏子戸数=705戸



参考史料
「日本の神々 神社と聖地 第7巻 山陰」 (白水社 2007 谷川健一 坂田友宏 川上迪彦他)
「鳥取県神社誌」 (澤田文精堂 1934)  
「日野郡誌」 (名著出版社 1926) 
「因伯叢書第4巻伯耆誌」 (名著出版社 1972)
「神社辞典」 (東京堂出版 1997)  

Wikipedia 「神社一覧」


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