旧岸本町の神社 | ||||||||||||||||||||||||
押口神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町押口119番 社格 祭神 素盞鳴神 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より八幡神社の摂社にして荒神宮と称せしを、明治元年現今の社号に改称せらる。 補足 建造物 本殿、幣殿、拝殿 境内坪数=150坪 崇敬戸数=28戸 |
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岸本神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町岸本274番 社格 祭神 主祭神=泉津事解之男尊、速玉之男尊、菊理比売尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳、往古より大神山神社の摂社にして新宮大明神と号せしが、明治元年岸本神社と改称す。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日 10月19日 建造物 本殿、拝殿、神楽殿 境内坪数=110坪 崇敬戸数=59戸 |
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丸山神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町丸山823番 社格 村社 祭神 主祭神=大山祇命 素盞鳴尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 旧丸山大明神と称へしを明治元年神社改正の際丸山神社と改められる。 同5年村社に列す。 同7年丸山神社と称す。 素盞鳴尊、大山祇命は本社の摂末社なりしを明治元年合祭す。 昭和7年7月15日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、拝殿、神楽殿、随神門 境内坪数=634坪 氏子数=57戸 |
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久古神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町久古509番 社格 村社 祭神 大国主命、奥津比売命、媛蹈鞴五十鈴媛命、素盞鳴尊、思兼命、少彦名命、大山祇命、岩永姫命 歴史:鳥取県神社誌より 万治二年火災に罹り、古書類棟札等焼失の為創立年月其他詳かならざれども往古より久古村外11ヶ村の産土神として崇敬山王宮と称す(皇都の艮に鎮ります大神と同体と記せる古き祝詞あれば蓋し近江国日吉神社の勧請か) 明治元年神社改正の際久古社と改められる。 同5年村社に列す。 同6年久古神社と改称。 同40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 大正5年 八郷村大字清原字猫田 鎮座無格社北平神社(祭神 素盞鳴尊) 〔旧三寶荒神〕 同村大字同字亀山 鎮座 無格社 亀山神社(祭神 素盞鳴尊、大山祇命、岩永姫命) 〔旧利壽権現〕 同村大字口別所字屋敷 鎮座無格社上河原神社(祭神 思兼命、少彦名命) 〔旧三寶荒神〕 同村大字福岡字家後 鎮座 無格社 福岡神社(祭神 須佐之男)〔旧荒神宮〕を合併す。 当社鎮座地は往古大山寺領開拓の際其南西に位せる地に大国主命を祀り地名を宮郷(今の久古)と称し、山を日吉山と称し大山寺領内の総鎮守として崇敬す。 北隅村(今の須村)地方の入口部落口別所村には少彦名命を祀り、その他の部落に大山祇命及大山寺西明院鎮座の利壽権現思兼命を祀りて末社にすと云ふ。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、弊殿、拝殿、随神門 境内坪数=565坪 崇敬戸数=123戸 |
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上河原神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町口別所 社格 祭神 主祭神=思兼命、少彦名命 歴史 伯耆町久古 久古神社を参照 |
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植松神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町番原 社格 旧村社 祭神 主祭神=誉田別命(ほんだわけのみこと)、思兼命(おもいかねのみこと) 稚日女命(わかひめのみこと)、大躰神(だいだいじん) 歴史1:社伝より 古くは、大山領12ケ村の氏神とされ、神田1町歩余を持っていたという。 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、元八幡宮と称す。 明治8年1月火災の為社殿焼失旧記を失ふ。 残存の棟札に拠れば天文3年9月大山寺本院本願となりて社殿造営八幡大菩薩と称すと記す。 慶長9年8月中村一学建立、又延宝7年2月松平氏建立などの棟札あり。 明治元年神社改正の際植松社と改められ、同5年村社に列す、同6年植松神社と改称す 同40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 大正5年八郷村字﨏ノ一鎮座無格社真野神社(祭神 思兼命—旧利壽権現) 同村大字大原字貝市鎮座無格社大原神社(祭神 稚日女命--旧若宮大明神)を合併す。 補足1:旧岸本町“ふるさと巡りより” 大原千町は昔、大躰神という神が開拓したといわれている。 その伝説の中の一つに、この地に住んでいた大蛇がかねがね苦しめられていた大ムカデを、大躰神に退治してもらったお礼に、一夜にして、大原千町に通じる井手(水路)を造ったという話がある。 補足2:鳥取県神社誌より 例祭日 10月9日 建造物 本殿、拝殿 境内坪数 917坪 氏子戸数 111戸 |
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大原神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町大原 社格 祭神 歴史 不詳 鳥取県人神社誌にも大原神社の記載なし。 鳥取県人神社誌の発刊は昭和9年11月。 大原神社の鳥居には明治時代の碑文があることから、同誌が作られた時点で同社は存在していたはずだが鳥取県人神社誌に大原神社の記載は認められず。 何故・・・・・? 何故・・・・・!? 何故・・・・・!!! 参照:伯耆安綱 |
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小町神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町小町455番 社格 祭神 主祭神=高皇産霊神、神皇産霊神 合祀=天穂日命、菅原道真公 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より八幡神社の摂社にして霊像権現と称せし。 明治元年神社改正の際今の社号に改称せらる。 天穂日命、菅原道真公は本社の末社なりしを此の時合祀せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物=本殿、幣殿、拝殿、神楽殿 境内坪数=311坪 崇敬戸数=18戸 |
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小野神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町小野408番 社格 祭神 大穴牟遅神、須佐之男命、稲田媛命、大国主神、事代主神 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より八幡神社の摂社にして明治元年神社改正の際今の社号に改称せらる。 大国主神、事代主神は当社神社の摂社にして惣社大明神と号し、村内字江下にありしを同年合祀する。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿 境内坪数=232坪 崇敬戸数=25戸 |
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赤岩神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町上細見257番 社格 祭神 天津彦火瓊瓊杵尊、大山祇命、木花開耶比売尊、速須佐之男神、稲田比売神 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より大神山神社の摂社にして赤磐権現と号す。 最も幽邃にて赤岩壁立つ間に鎮座地あるを以て此の社号あり。 明治元年赤岩神社と改称せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、隋神門、神輿庫 境内坪数 622坪 崇敬戸数 64戸 |
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生石子神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町立岩104番 社格 祭神 主祭神=湍津姫命、誉田別命、田心姫命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳、往古より八幡神社の摂社なり。 明治2年村内荒神宮廃社の跡地に移遷す。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿 境内坪数=169坪 崇敬戸数=20戸 |
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中川神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町遠藤51番 社格 祭神 主祭神=素盞鳴尊 合祀=速玉男命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より八幡神社の摂社にして祇園天皇社と称へしを明治元年現今の社号に改めらる。 速玉男命は本社の末社なりしを同年合祭せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、弊殿、拝殿、神楽殿 境内坪数=145坪 崇敬戸数=45戸 |
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細見神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 取県西伯郡伯耆町吉定224番 社格 祭神 伊邪那岐尊、伊邪那美尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より大神山神社の摂社にして客大明神と称せしが、明治元年現今の社号に改称せらる。 慶長6年丑9月21日中村伯耆守より社領二石を寄付せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、幣殿、拝殿、隋神門、神輿庫 境内坪数=139坪 崇敬戸数=54戸 |
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金廻神社
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所在地 鳥取県西伯郡伯耆町岩屋谷453番 社格 祭神 主祭神=市築嶋姫命 合祀=大山祇命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より郷社八幡神社の摂社にして弁財天社と称せしを、明治元年神社改正の際今の社号に改称せらる。 大山祇命は境内末社なりしを此の時合祀せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、神楽殿 境内坪数=39坪 崇敬者=全部離散 |
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賀茂神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町岩屋谷453番 社格 祭神 主祭神=別雷神 大日霎尊、素盞鳴命、玉依姫尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳 往古より八幡神社の摂社にして賀茂大明神と称せしを、明治元年現今の社号に改称せらる。 大日霎尊以下の神は当社の末社なりしをこの時合祀せらる。 古老伝ふる所に拠れば、長享延徳の頃浅野越中守の臣坂中丹波なる者本村に住せし時特に当社を崇敬し本村内字熊ヶ谷に神社を建立し、耕地八反部余を寄付せしと、字賀茂神田と称する地、今尚存す。 現今の社地は慶長4年に奉遷せるものなりと云ふ。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、拝殿、幣殿、神楽殿 境内坪数=663坪 崇敬戸数=766戸 |
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北峯神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町坂長1059番 社格 祭神 主祭神=素盞鳴尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より郷社八幡神社の摂社にして荒神宮と称せしを、明治元年神社改正の際今の社号に改称せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、拝殿 境内坪数=51坪 崇敬戸数=8戸 |
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日御崎神社 諸木 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町岩屋谷453番 社格 祭神 主祭神=天照荒魂神 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳、旧日御崎大神宮と称せしを、明治元年神社改正の際今の社号に改めらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、拝殿、神楽殿 境内坪数=180坪 崇敬戸数=24戸 |
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日御崎神社 岩屋 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町岩屋谷453番 社格 祭神 主祭神=天照大日霎尊 合祀=素盞鳴尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より郷社八幡神社の摂社にして日御崎大明神と号す。 明治元年神社改正の際岡崎神社と改められる。 素盞鳴尊境内末社なりしを此の時合祀せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、幣殿、拝殿 境内坪数=193坪 崇敬戸数=33戸 |
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岡崎・熱田神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町大殿591番 社格 祭神 主祭神=武甕槌カ神、經津主神、日本武尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より郷社八幡神社の摂社にして正殿大明神と号す。 明治元年神社改正の際、岡崎神社と改められる、 熱田神社(祭神 日本武尊)は字矢口に鎮座地ありしを明治28年11月岡崎神社に合併、今の社号に改称す。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、拝殿 境内坪数 94坪 崇敬戸数 40戸 |
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上野神社・三島神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町大殿1465番 社格 祭神 主祭神=溝咋姫命、大山祇命 合祀=天照大日孁尊、素盞鳴尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より郷社八幡社摂社にして上野大明神三嶋大明神を称せしを明治元年神社改正の際今の社号に改めらる。 天照大日孁尊、素盞鳴尊は境内末社なりしを此の時合祀す。 補足:鳥取県神社誌より 建造物=本殿、弊殿、拝殿、神楽殿 境内坪数=348坪 崇敬戸数=77戸 |
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旧溝口町の神社 | ||||||||||||||||||||||||
楽々福(ささふく)神社 (孝霊天皇の崩御地とされる神社) | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町(旧溝口町)宮原225番 社格 郷社 祭神 主祭神=大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのすめらのみこと)=第7代孝霊天皇 合祀=細比女尊(くはしひめのみこと)尊(天皇后)、大水口命大八口命(従臣)、他十二柱 歴史1:鳥取県神社誌より 由緒 創立年月不詳、当社は日野郡三楽楽福神社と称し、往古より郡中の大社なり。 国主の崇敬厚く、慶長6年9月中村伯耆守社領高13石を寄附せらる。 寛永10年11月藩主池田氏社領6石2斗4升六合寄進せらる。 其の後幕提灯の寄附あり、当社営繕費も本郡の石高の二厘宛を賦課して其の費に充つ。 明治元年神社改正の際楽楽福神社と改称。 同5年4月郷社に列す。 明治40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 当社は鎮座につき伯耆民諺記に曰く、楽々福大明神と号する社日野郡に建つ所都て四ヶ所、各孝霊天皇を祭る神社なり。 但し印賀村の楽々福の社彼天皇の姫宮福姫を祭る神社なりと伝来す。 当社を日野大社と伝ふ。 上古孝霊天皇の御宇当国西端に悪鬼あって此地に御座なされし鎮政なりといふ。 則此所にして崩御あって其神跡と云て社の後に方八間の岩窟あり、尚伯耆志に曰く、村の西南東西五十間南北六十間の平地にあり、横二間半堅六間の馬場あり、慶安二年以往の棟札無し焼失せりと云へり。 郷内の大社にて御紋付の御幕提灯を許さる。 当社の祭神を孝徳天皇とする事の非なる由は西村楽々福大明神の下に弁ずるを見るべし。 又此地に笹包山といふ山ありて其の伝あれども野人の語るに足らず、往古神宮寺ありて三帝山孝霊院と云ひしが元禄中滅却す。 今村中に大日如来堂あり、此の仏神宮寺の本尊なりしと云へり、当時迄は社領十三石ありし由にて米子の老臣横田氏の証文ありしと記せり。 大正5年11月 溝口村根雨原字板ヶ谷日南鎮座無格社根雨原神社(祭神 建御名方命、大日霎貴命) 同村大字白水字原板平鎮座無格社日御崎神社(祭神 大日霎貴尊、素盞鳴尊) 同村大字大倉字西屋敷鎮座無格社大倉神社(祭神 大山祇命、思兼命、火速命、手力男命、倉稲魂命) 同村大字谷側字要害鎮座無格社谷川神社(祭神 少彦名命、大山祇命、大日霎貴命、保食命) 同村大字長山字妙見前鎮座無格社長山神社(祭神 豊玉姫命、大山祇命) 同村大字大江字中通鎮座無格社御崎神社(祭神 経津主命、武甕槌命)を合併す。 歴史2:社伝より 天皇、当国へ行幸、鬼住山の悪鬼を退治されて後この地に崩御遊ばす。 崩御所の脇に笹葺きの社を造りて祀る。 これ笹福の宮なりと。 また神号のいわれは「砂鉄吹く(ささふく)」の神、即ち、古代製鉄神で、鉄の象徴する、強大な富と力、そして厄払いと長寿を意味する楽楽福の文字が用いられた。 補足1:鳥取県神社誌より 境内坪数=1730坪 氏子戸数=400戸 補足2: 神社裏手の小高い山が孝霊天皇の元前方後円墳としている。 なお、皇后の細姫が崩御された場所は、日南町の宮内にある楽楽福神社の近くとされている。 さらなる詳細は 日南町の神社、「楽々福神社」へ |
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溝口神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町溝口245番 社格 村社 祭神 大己貴命、大国主命、事代主命、高皇産霊尊、神皇産霊尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大山祇命、稲背脛命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳。 往古より郷社楽々福神社の氏子内溝口宿の産土神にして国司大明神と称し崇敬される。 明治元年神社改正の際溝口神社と改められる。 同5年、郷社楽々福神社の摂社に定められる。 補足:鳥取県神社誌より 境内坪数=228坪 氏子戸数=140戸 |
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二部神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 西伯郡伯耆町二部1652番 社格 村社 祭神 伊弉諾命、伊弉冉命、天太玉命、倉稲魂命、神魯伎命、蛭子命、大山祇命、天照荒魂命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳。 往古より王子権現と称へ附近里民の崇敬厚く、後野上荘大社の号を官許せらる。 天正9年、吉川治部少将より社領若干を附す。 同15年二部城主足羽太郎左衞門尉再建す。 慶長6年8月中村伯耆守社領高十石屋敷寄進せらる。 後藩主池田氏に至り寛文七年六月社領三石六斗四升八合を寄附せられ、並に池田家紋章入りの幕提灯を用ふることを許され厚く崇敬せらる。 明治元年神社改正の際二部社と改称、同5年村社に列す。 同6年二部神社とあらためらる。 往古よりの末社をも明治元年合祀す。 明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 社地の東南五町の地に後醍醐天皇隠岐御遷幸の際御駐蹕の地称ふる所とあり、則ち前の社地なりと。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、通殿、拝殿、神楽殿、神輿庫、随神門 境内坪数=1130坪 氏子戸数=337戸 |
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三部神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町三部824 社格 祭神 主祭神=稚産霊尊、大山祇命、天穂日命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳 旧号を日光東照宮大権現と云ふ。延長(923~31)の頃己に鎮祭せりと伝ふ。 山名氏社領三十五石を附す、中村氏の時社領十五石を寄附す。 寛永10年11月(1633年)藩主池田氏社領五石二升四合を寄進せらる。 明治元年神社改正の際三部社と改称せられ、村内鎮座の末社を合祀す。 同5年福吉神社(今の郷社野上荘神社)の摂社に定めらる。 同6年三部神社と改称す、(伯耆誌に当社主神の外に相殿に事代主神、東照神君を祀ると記せるに今之を脱す葢誤なるべし、尚同書に社山野上山と号す。 社説に祭神上の如くにして下野国二荒山神社は大己貴命、事代主命、下照姫命三神に坐すを当社は大己貴命を日稚産霊尊に誤り下照姫命を脱せるものなり抑当社二荒山神社同神を祭れるはいかなる由ならん考ふべからず。 但当時他社に異れる義有しと見えて慶長(1596~1615)中故国主中村侯崇高有て神領十五石を寄せられし証文今猶存す。 後東照宮神君を二荒山に斎祀あるによりて当社にも神君を配祀し又日光東照権現と称するなるべし) 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽所、神輿庫、随神門 境内坪数=606坪 崇敬戸数=31戸 |
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野上荘神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町福吉264番 社格 郷社 祭神 天照大神、誉田別尊、手力雄命、栲幡千々姫命、玉依姫命、倉稲魂命、速玉男命、 伊邪那岐命、大山祇命、大日霎貴命、素盞鳴尊、金山彦命、土祖命、奥津彦命、奥津姫命、天忍穂耳尊、天津彦根命、熊野櫲樟日命、天穂日命、活津彦根命、田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳。 天照大神、誉田別尊の二神の合殿に祭り天大明神八幡宮と称せり。 相伝ふ天大明神は三部郷 (三部村は延長年間923-931現在の村落にして所謂六村の一なり、外構村は往古三部村の内と云ふ。創立は其以前か)の開発と共に創立し、八幡宮は進氏の創建に関わる。 故に当社往古は二祠左右に相封せり。 往古より郷中の大社にて、三部郷の総氏神たり。 故に三部郷高氏野上荘大社、叉は社頭あるいは総社と称せり。 明治元年神社改正の際、福吉神社都改称、村内摂社を合祀す。 同5年、郷社に列せられる。 明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物=本殿、幣殿、拝殿、神楽所、神輿庫、随神門 境内坪数 991坪 氏子戸数 407戸 |
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大歳神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町畑池539番 社格 祭神 主祭神= 歴史:鳥取県神社誌より 補足:鳥取県神社誌より |
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福岡神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 社格 祭神 主祭神= 歴史:鳥取県神社誌より 補足:鳥取県神社誌より |
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山口神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町金屋谷726番 社格 村社 祭神 主祭神=大山祇命 合祀 =稲背脛命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳。 往古より山神と号せしを明治元年神社改正の際山口社と改められる。 同5年村社に列す。 同7年山口神社と称す 稲背脛命は摂社として村内に鎮座ありしを明治元年合祭せらる。 補足:鳥取県神社誌より 建造物 本殿 拝殿 神楽殿、 境内坪数=522坪 氏子戸=66戸 |
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岩立神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町岩立 社格 村社 祭神=大山祇命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年月不詳。 往古より両山王権現と称せしを明治元年神社改正の際岩立社と改められる。 同5年村社に列す。 同7年岩立神社と称す。 補足:鳥取県神社誌より 建造物=本殿 幣殿、拝殿 神楽殿、随神門 境内坪数=913坪 氏子戸数=33戸 |
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見出神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町日光大字大内字見出 社格 祭神 主祭神=少彦名命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、元金剛童子と称す。 明治4年見出社と改称せられ、同5年大内神社の摂社とせらる、同6年見出神社と称す 補足:鳥取県神社誌より 例祭日 10月30日 建造物 本殿、神楽殿 境内坪数 123坪 氏子戸数 38戸 |
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大内神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町大内840番 社格 村社 祭神 主祭神=思兼命、倉稲魂命、素盞鳴尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳。 旧称利壽権現明治4年大内社と改称せられ、同5年村社に列す、同6年大内神社と称す。 倉稲魂命以下の神は往古より境内末社なりしを明治4年合祭す。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日 10月19日 建造物 本殿、神楽殿 境内坪数 1028坪 氏子戸数 44戸 |
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添谷神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町添谷1224番 社格 旧村社 祭神 主祭神=思兼命、大山祇命、句々廼智命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、往古より添谷村の産土神にして、思兼命を利壽権現、大山祇命を智明権現、句々廼智命を句々廼智神と称せしを、明治4年添谷社と改められ、同5年村社に列す。 同6年添谷神社と称す。 明治40年4月27日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日 10月19日 建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿 境内坪数 800坪 氏子戸数 54戸 |
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末鎌神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町福兼593番 社格 祭神 主祭神=少彦名命、素盞鳴尊 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、往古より末鎌村の産土神にして金剛童子と称せしを、明治元年神社改正の際末鎌社と改められ、同5年郷社楽々福神社の摂社と定めらる。 同6年末鎌神社と称す、少彦名命、素盞鳴尊は当社の末社として村内に鎮座ありしを明治元年合祭す。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日 10月22日 建造物 本殿、神楽殿 境内坪数 103坪 氏子戸数 10戸 |
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福永神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町福兼60番 社格 祭神 主祭神=大山咋命、大山祇命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、旧山王権現と称す。 明治元年神社改正の際福永社と改号せられ、 同5年郷社楽々福の摂社となる、同6年福永神社と称す。 大山祇命は境内末社なりしを明治元年合祭す。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日 10月26日 建造物 本殿、神楽殿 境内坪数 119坪 氏子戸数 10戸 |
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大坂神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町大坂679番 社格 祭神 主祭神=表筒男命、底筒男命、中筒男命、大山祇命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、古老の口碑に往古津国住吉神社より勧請し現今の地の南字屋敷と称する處に鎮座ありしを、元禄年中大坂村遠藤吾平治正次なる者、今の地を拓き社殿を移転すと云ふ。 往古より大坂村の産土神にして津宮大明神と称せしを、明治元年神社改正の際大坂社と改号せられ、同5年郷社楽々福の摂社に定めらる。 同6年大坂神社と称す。 大山祇命は往古より当社の摂社として村内に鎮座ありしを明治元年合祭せらる。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日 11月19日 建造物 幣殿、本殿、拝殿、神楽殿 境内坪数 185坪 氏子戸数 35戸 |
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山田神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町栃原629番 社格 祭神 主祭神= 歴史:鳥取県神社誌より 補足:鳥取県神社誌より |
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日吉神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町富江957番 社格 旧村社 祭神 主祭神=大山祇命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、元山王権現と称す。 明治4年日吉社と改められ、同5年村社に列す、同6年日吉神社と称す。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日=10月28日 建造物=幣殿、本殿、拝殿、神楽殿 境内坪数 795坪 氏子戸数31戸 |
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大瀧神社 | ||||||||||||||||||||||||
所在地 鳥取県西伯郡伯耆町大滝163番 社格 旧村社 祭神 主祭神=国狭槌尊、大山祇命、美佐々伎命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、旧切島大明神と称す。 明治四年大瀧社と改められ、同5年村社に列す、同6年大瀧神社と称す。 大山祇命、美佐々伎命は境内の末社なりしを明治4年合祭す。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日=10月18日 建造物=本殿、神楽殿 境内坪数 844坪 氏子戸数 24戸 |
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上野神社 |
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所在地 鳥取県西伯郡伯耆町上野485番 社格 祭神 大国主命、事代主命 歴史:鳥取県神社誌より 創立年代不詳、八郷村久古神社萬治(1659)二年九月の棟札に拠れば、上野村は往古より久古神社の氏子なりしが、土地遠隔の為め新に久古神社の別社として二神を奉祀すと旧山王権現と称せしが明治元年神社改正の際上野社と改められ、同五年久古神社の摂社と定められ、同六年上野神社と改称す。 大正四年十月八郷村神社合併協定の蔡、久古神社氏子区域を分離し独立維持す。 補足:鳥取県神社誌より 例祭日 十月十四日 建造物 本殿 拝殿 参籠所、境内坪数 89坪 氏子戸数 24戸 |
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参考史料 | ||||||||||||||||||||||||
「鳥取県神社誌」 (澤田文精堂 1934) 「日野郡誌」 (名著出版社 1926) 「因伯叢書第4巻伯耆誌」 (名著出版社 1972) 「神社辞典」 (東京堂出版 1997) Wikipedia 「神社一覧」 |
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