西伯耆の式内社 (2社)
伯耆国二宮  大神山神社 (式内社)
所在地
本社=鳥取県米子市尾高1025
奥宮=鳥取県西伯郡大山町大山

現在の奥宮は、山腹に大山山頂の遥拝所として設けられたものと伝えられる。
その後、奥宮は冬季に祭祀が行えないため、山麓に冬宮(現在の本社)が設けられ、夏季には奥宮、冬季には本社で祭祀を行うようになった。
本社は当初は大山山麓にあったが、数度の遷座の後に明治初年に現在地に遷座した。

社格
式内社(小) 伯耆国二の宮 国幣小社 別表神社
神階=貞観九年正五位下

祭神
本社(里宮):岸本町丸山→米子市福万→米子市尾高へと遷宮
  主祭神=大穴牟遅神(=大国主神)
  配祀=大山津見神,須佐之男神外二柱神,少名毘古那神 

奥宮
  主祭神=大己貴命(=大国主神)
  配祀=速須佐之男命、多紀理毘売神、宗像三女神 他

歴史
大山は、出雲風土記に伯耆の国の「大神岳」として記載されている。
そして、この「大神岳」は、別に「大神山」ともいわれ、この「大神山」の神が省略されて、平安時代には、「大山」になったといわれている。
中古には山麓と山腹に社殿を造営し、それぞれ冬宮と夏宮にと称した。
冬宮はのちに二宮大明神と称し、延宝年間には現在の米子市尾高に社殿を移したが、夏宮は社僧によって本地仏が置
かれて大山権現となり、明治の神仏分離令により今の大神山神社奥宮となった。
現社殿は寛政8年に焼失し、文化2年(1805)に再建されたもの。

補足
本宮は佐陀川上流に位置する

大神山神社本社(=里宮、冬宮、米子市尾高)

大神山神社奥宮(=夏宮、西伯郡大山町大山)



宗像(胸形)神社 (式内社) 
所在地
鳥取県米子市宗像298番 

社格
式内社 伯耆六社の一つ 国幣小社 郷社
神階=従五位上

祭神
主祭神=宗像三女神(田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命)
配祀=経津主命 武甕槌命 日本武命 上筒男命 中筒男命 底筒男命 譽田別命
     伊弉諾命 伊弉册命 大日?命 素盞嗚命 大國主命 倉稲魂命 天児屋根命
     天太玉命 猿田彦命 鈿女命 阿蘇彦命 阿蘇姫命 保食命 月読命

歴史1
創建年代は不詳であるが、往古、宗形氏族が海路この地に来着して居を定め、その祖神である三女神を奉斎して、神社を創建したものと伝えられている。
往古は、現社地の北三丁余の宮の谷という所に鎮座して本宮と呼ばれていた。

歴史2:鳥取県神社誌より
創立年代不詳ならざれども、文徳実録に斉衡3年8月乙亥加伯耆国従五位下宗形神従五位上とあり、又延喜神名式に伯耆国会見郡胸形神社とある旧社にして、古来上下の崇敬殊に篤く、弘治2年尼子晴久社殿を建立し社領300石を寄進せりと云不。
其の後吉川元春右の社領の外に120石を増進し、太刀二振り兜一刎を寄進せしが、中村伯耆守一忠当国を領するに及び社領悉く没収せらる。
旧藩主池田慶徳幕提灯を寄進せられ、慶応3年には親しく参拝せらる。
旧藩時代には社殿の修理営繕に際しては会見郡内の高割を以てなせり。

明治初年郷社に列せられ、同40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
古昔鎮座の地は現社地より北3丁余の宮の谷といふ所にして本宮と呼ぶ。
本殿ありしと伝ふる山頂の地には数多の小石あり、中腹に清ありてごふ井戸といひ断水することなし。

大正6年4月3日
 成実村大字日原字中尾山鎮座無格社住吉神社(祭神 表筒男命、中筒男命、底筒男命)
 同村大字石井字要害鎮座無格社石井神社(祭神 誉田別命)
 同村大字奥谷字谷奥山鎮座無格社熊野神社(祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日霎尊) 
 同村大字美吉奥屋敷鎮座無格社上飯生神社(祭神 素盞鳴尊) 
 同村大字同字屋敷前田鎮座下飯生神社(祭神 大国主命) 
 同村大字長田字笠頭鎮座無格社陽田神社(祭神 素盞鳴尊)の六社を合併す。
 古昔当社の祭神今の大字長田に(宗像と隣接せる所にして当時この辺まで入海なりしと云ふ)海路御来着宗像の地に鎮座せられしと云ひ、御着船の地を今に船塚と称へ御舟は石に化したりと云伝ふ。

補足1
加茂川流域に位置する。
宗像のさらに南側には上・下安曇(あずま)という地名がある。
れも海と関わりが深い北九州の「安曇(あずみ)氏」という氏族とのつながりが考えられる。
加茂川の下流域は九州から渡ってきた人たちが根を下ろした地であったということになるのかもしれない。
神社を中心として周辺に密集分布する宗像古墳は、県下有数の古墳群である。

補足2:鳥取県神社誌より
境内坪数 1862坪
氏子戸数  230戸


参考史料
「日本の神々 神社と聖地 第7巻 山陰」 (白水社 2007 谷川健一 坂田友宏 川上迪彦他)
「鳥取県神社誌」(澤田文精堂 1934)  
「日野郡誌」(名著出版社 1926) 
「因伯叢書第4巻伯耆誌」 (名著出版社 1972)
「神社辞典」(東京堂出版 1997)  

Wikipedia 「神社一覧」


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1:米子市周辺の式内社  
1:米子周辺の式内社

2:米子市周辺の神社 
  A米子市中心部、B加茂川流域、C法勝寺川流域、D日野川下流域 E佐陀川上流域 
  F淀江町周辺(佐陀川下流域 宇田川流域 天井川流域)・西伯郡日吉津村、G弓浜半島
   
3:境港市の神社
米子市の構成
米子町・彦名村・住吉村・崎津村・大篠津村・夜見村・富益村・和田村・加茂村・福米村・福生村・車尾村・成実村・五千石村
尚徳村・巌村・古豊千村・八幡村・王子村・縣村・大高村
現代の市制
鳥取県ホームページ より引用
米子市(旧米子市、淀江町、西伯郡日吉津村)  境港市

西伯郡
南部町(旧会見町、旧西伯町) 伯耆町(旧溝口町、旧岸本町)


大山町(旧大山町、旧名和町、旧中山町) 

日野郡
江府町  日野町  日南町
令制下の旧国
伯耆国-河村郡、久世郡、八橋郡、会見郡、入汗(あせり)郡、日野郡 

式内社=6社  

河村郡 2社(並小)  久米郡 2社(並小)  会見郡 2社(並小)
古来より日本人は、故郷の神社を移り住んだその土地に勧請し祀ってきた。
従ってその地域の神社を調査することで、その地域の人々の故地を推測する事が出来る可能性もある。
同時に、その御祭神の調査で、同族関係も検証できるものと思われる。