米子市淀江町の神社 |
佐陀川流域-壺甕(つぼがめ)山周辺の神社 |
佐陀(さだ)神社 |
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所在地 鳥取県米子市淀江町佐陀162番
社格 旧村社
祭神
伊弉諾尊、伊弉冉尊
歴史
創立年代不詳。
しかし、日野郡楽々福神社旧記に、佐陀大明神は人皇七代に当って当国悪鬼蜂起し国家動揺す、依て孝徳天皇之れを退治の為御幸せられ、国中悉く平定、此の時佐陀大明神を勧請せられしとあり。
享保12年社領一石三斗を附せられる。
補足
伯耆誌より
祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊と称するは誤りにて大己貴命蛆貝姫とする旧説あり(田蓑日記)
又猿田彦神とす説あり爰に略す、当社は古へ大山仏教院当村の進太郎佐衛門相共に議て、出雲の佐陀神社を移し祭ると云へり、今社地の傍なる一小民此進氏なり、旧は権神主にて古き棟札に其名見へたり、箕村進氏と一家なり、太郎佐衛門が霊社社地に在り、貞享四年馬場村内藤氏が社帳に佐田村進忠兵衛郡中社主に列して印判せり、又杉原盛重の次子景盛、兄元盛を討て後此社地の傍に城を構へしが、幾ばくならずして毛利氏に誅せらる」と、
昭和6年7月村社に列し、同年9月22日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
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船上神社 |
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所在地 鳥取県米子市淀江町
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三輪神社 |
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所在地 鳥取県米子市淀江町小波631
社格
郷社 神階=従五位下
祭神
主祭神=大物主命、少名彦名命、素戔嗚尊
境内神社=鹽川神社(祭神:大日孁貴命) 八幡神社(祭神:誉田別命)
歴史:鳥取県神社誌より
神社創立は崇神天皇の御宇、大和国大神神社の御分霊を勧請せるものなりと云ふ。
蓋し崇神天皇7年諸国病流行盗賊蜂起の際、国家鎮護の神として大物主命幸魂奇魂を諸国に遷し祀り、大田田根子命をして大神を祭ら給ひしこと旧史に見ゆ、当社は則ち其の一なりと云ふ。
昔時今の社地を距る7町余東南の三輪山に鎮座ありて、其境内東西8町南北6町余3峰に分れ、東を宮広峰と云ひ、中を鳥居峰と云ひ、西を堂の峰と云ふ。
その他神主屋敷、神宮寺跡及び馬場的場等の遺址を存す。
麓の下に宮井筒と称する清泉あり、流れて鹽川となる。
三代実録に貞観15年12月20日、辛亥授伯耆国正六位上三輪神従五位下と、中古は東阿弥陀より西日野川に至るも51村の総氏神なりしといふ。
元徳の頃、小波城主大石橋氏の所領たりしと。
元弘三年、佐々木清高小波城に據り官軍の為めに焼夷せられ、此の時兵燹に罹り当社の社殿及び神宮寺等焼失し、宝物古文書等失ふ之より衰運に属し、往時の規模を保ち難く、正保二年三月今の地に奉遷す。
彼の鹽川に於て往昔より毎年6月の祓式の祭儀あり、旧藩主池田氏より社領の寄進あり、中間庄大社と称して崇敬厚く、明治維新に至りても春秋の神祭には政庁より供物を頒たれ。
明治5年4月、村社に列す。
明治40年4月27日に神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
大正5年12月、大高村大字泉字駄道ノ上鎮座無格社下和泉神社(祭神 素盞鳴命)を合併す。
大正14年10月、郷社に列せらる。
歴史2
崇神天皇の時に国家鎮護の神として、大和国大神(おおみわ)神社(現奈良県桜井市)から勧請したと伝承されている。
かっては三輪山東方にあり、広さは東西八町、南北六町余りといわれる。
東を「神社のある宮広峰」、中を「大鳥居のある鳥居峰」、西を「薬師寺と称する神宮寺のある堂の峰」と称したという。
貞観15年(873)に、正六位上から従五位下に進階した「伯耆国三輪神」(『日本三代実録』)は当社のことと想像される。
補足:鳥取県神社誌より
建造物=本殿、向殿、弊殿、拝殿、神楽殿、神饌所、社務所、随神門
境内坪数 1045坪 氏子数 203戸 |
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中間神社 |
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所在地 米子市淀江町中間492番
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亀甲神社 |
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所在地 米子市淀江町中間642番
祭神
須佐之男命
歴史:鳥取県神社誌より
創立年月不詳。
神木を以て荒神宮と称す、大神山神社の摂社であった。
明治元年神社改正の際廃社となりしを、同12年11月許可を得て再興し、亀甲神社と改む。
補足:鳥取県神社誌より
建造物 本殿
境内坪数=19坪 氏子数=26戸
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宇田川流域の神社 |
日吉(ひよし)神社 (天乃佐奈畔神の神社?) |
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所在地 鳥取県米子市淀江町西原767
社格等
神階=従五位下 宇多河庄の鎮守
祭神
主祭神=大己貴命、少名彦名命、猿田彦命、、天之佐奈咩神(あめのさなめ)
合祀=素盞鳴尊、建御名方命、武甕槌命、稚産霊命、保食神、天日方奇日方神、蛭子命、稲脊脛部命、
倉稲魂命、稲田姫命、稚日女命、天照大御神
境内神社=天神神社(、祭神:瓊々杵命) 国津神社(祭神:素盞鳴尊)
歴史:鳥取県神社誌より
創立年月不詳。
古来山王宮と号し郡内の旧社にて神領として若干の神田ありて、米高数石及び幕提灯等をも寄附せられ旧藩中特別に崇敬あり。
然して郡中五穀豊穣風水干疫の災を除去すべき祭祀を命せられ、累年之を執行ふことありしが、明治5年3月郷社に列せられ日吉神社と改めらる。
社地内に佐奈咩サナメ池あり、汚穢不浄の者此池水を汲み嗽く時は濁水となる。
或いは寒中氷雪一円に張り其の凍氷の強弱によりて年中晴雨五穀塾否の吉凶を卜うすること大古よりの故事なり、付近に摂社日御碕神社あり、衆庶の信仰厚し、此の神天佐奈咩神なりしを中古神仏混淆の際改称して山王二十一社権化と称あれど、嘉永年度の神名簿にも記載ありて神主安江陸奥、禰宜塚田才之進、神子櫃田かん等權頭の三職勤務祭神を行ひしこと確証あり。
御崎神社は全く佐奈咩神の元鎮座地にして、此所より当社地に遷転し奉りしものにて、渡御の道筋を神事道と唱へ、供奉の神人山峰を越へし古道筋に輿懸岩、烏帽子岩、笠懸松等の名残れり其道続きをキヅキ谷、神楽座神通と唱ふ。
明治元年10月神社改正の際天佐奈咩神と決定せらる。
明治40年12月19日、神饌幣帛料供進神社に指定せらる、
大正2年5月2日 宇田川村大字福井字荒神谷 鎮座 無格社福井神社(祭神:素盞鳴尊) を合併す。
大正5年10月6日
高麗村大字保田字屋舗 鎮座 無格社保田神社(祭神:建御名方命)
高麗村大字今津字村内 鎮座 無格社今津神社(祭神:素盞鳴尊)
高麗村大字今津字村内 鎮座 無格社日御崎神社(祭神:武甕槌命)
淀江町大字淀江字尾屋敷 陳座 無格社稲荷神社 (祭神:倉稲魂命、稚産霊命、保食神、天日方奇日方神、
蛭子命、稲脊脛部命、素盞鳴尊)
淀江町大字淀江字天王 鎮座 無格社淀江神社(祭神:素盞鳴尊稲田姫命)
大和村大字平岡字向山 鎮座 無格社平岡神社(祭神:稚日女命)
大和村大字小波字鹽入 鎮座 無格社日御崎神社神社(祭神:天照大御神、素盞鳴尊)を合併す。
当社往古は佐奈咩宮と称し、三代実録に清和天皇貞観16年7月戌子、正六位上天乃佐奈咩神に従五位下を給ふ、とあるは実に当社のことなり。
後山王宮をも勧請せるものなりと、慶長年中中村伯耆守の重臣横田内膳正村詮の寄進状にも佐奈咩神領、又は佐奈咩宮神主とあり。
戦国の世兵燹に罹り社殿焼失せしが、大永4年足利義政妾腹の子谷若狭守威安、淀江村に居住せし時痛く之を嘆き社殿を建立せり、現に棟札を存す。
其後吉川駿河守造営のこと慶長年中の棟札にあり、神領初めは三十六石、又九十石なりしを荒尾氏七石八斗に減じ、藩主池田光政公米子入城の際、御参拝ありて、烏帽子、沓及び銀子若干を奉納せらる。
付近に佐奈咩田、佐奈咩池、佐奈咩塚あり、何れも佐奈咩神のの旧蹟なりといふ。
淀江町精明寺は元天台宗にして菊花山正明寺と称し、当社付近の山麓にありて当社との関係深かりしといふ。
又当社の境内に接し字神寺と称する所あり神宮寺の址なりと云ふ。
歴史2
創建年代は不明である。古社。
『日本三代実録』の貞観十六年(874)の条に、「伯耆国天乃佐奈??神、正六位上から従五位下に進階」と記載されているのは当社のことと思われ、かつては天乃佐奈畔神の神社であったと考えられる。
補足1:鳥取県神社誌より
建造物 本殿、弊殿、拝殿、神楽殿兼神饌所
境内坪数=3066坪 氏子数=1000戸
補足2
日吉神社神幸神事(ひよしじんじゃしんこうしんじ)
日吉神社に伝わる神事で、米子市指定の無形民俗文化財。
毎年5月3日に実施される。
寛永14年(1637年)以前から370年以上続いている。
詳しい起源は明らかでないが、大山あるいは日御碕神社との間に行われた神輿渡御と伝えられる。
行列最後尾には庄屋や郡の役人などが付く。
この中には「御山奉行」がおり、大山との神輿渡御だった可能性を示唆するかもしれない。
先導する寺社奉行の「えんよーいやな、えんよいとまかせ、さささ、さーよいとまかせ」のかけ声は「いい世の中だな、さあ、もっといい世の中でありますように」という意味と伝えられる。
補足3:日吉大社(ひよしたいしゃ、かつては「ひえたいしゃ」)
滋賀県大津市坂本にある神社。俗に山王権現ともいわれた。
日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮である。
旧社格は官幣大社。中世には二十二社の下八社のひとつとされた。
西本宮に大己貴神(大国主神)、東本宮に大山咋神を祀る。
参道を山陰本線が横切っていることもさることながら、境内に入ると全く別の世界に踏み込んだような「気」を感じる、本当に不思議な神社だ。 |
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宇田川神社 |
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所在地
米子市淀江町中西尾301番
社格 村社
祭神
歴史:鳥取県神社誌より
補足1:鳥取県神社誌より
建造物=本殿 幣殿、拝殿、随神門
境内坪数=801坪 氏子戸数=126戸
補足2:
平安時代末に、宇田川流域に宇多河の庄が成立した。
後に上庄と下庄に分かれて、宇多河の下庄淀江と、淀江の地名が記録に現れるようになった。 |
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本宮神社 |
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所在地
米子市淀江町本宮297番
社格
祭神
歴史:鳥取県神社誌より
補足1:鳥取県神社誌より
建造物=
境内坪数= 氏子戸数=
補足2:
本宮の泉は宇田川平野形成のもととなった宇田川の水源であり、日量30,000tを湧出する。
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天井川流域-向山周辺の神社 |
武崎神社 |
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所在地 米子市淀江町福岡315番
社格 旧村社
祭神
主祭神=素戔嗚尊
歴史:鳥取県神社誌より
創建年代不詳。
昔は「武崎大明神」と称していたが、明治元年、現社名に改称。
補足:鳥取県神社誌より
建造物 本殿 幣殿、拝殿
境内坪数=203坪 氏子戸数=15戸 |
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天神垣神社 |
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所在地 米子市淀江町福岡1016番
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上津守神社 |
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所在地 鳥取県米子市淀江町稲吉38番
社格 旧村社
祭神
表筒男命、底筒男命、素戔嗚尊、稲田姫、大己貴命、少名彦名命
歴史:鳥取県神社誌より
。
補足:鳥取県神社誌より
建造物 本殿 幣殿、拝殿、神楽殿
境内坪数=387坪 氏子戸数=76戸
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西伯郡日吉津村周辺の神社 |
蚊屋島神社 |
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所在地
西伯郡日吉津村日吉津354番
社格等 郷社
祭神
主祭神=天照皇大神、高比売命(たかひめのみこと)
合殿=豊受姫命、豊受姫命、大年神、天萬栲幡豊秋津姫命、天手力雄命、天若彦神
合祀=級長津彦命、月夜見命、猿田彦大神、神倭姫命、天太玉命、素盞鳴尊、大己貴命、事代主神、金山彦神
歴史1:鳥取県神社誌より
創立年代詳ならざれども、当社は旧天照高比売命を祀りしとの口碑あり。
然るに社領証文を始め棟札及び神主裁許状などによれば日吉津村大神宮とも伊勢宮とも、又後には天照皇大神宮とも記して、専ら天照皇大御神を祀りしが如くに見ゆ。
是れ天照の字に泥み天照大御神と思ひ誤りて大神宮とも伊勢宮とも唱えしものか。
此故にや美濃村旧家進氏の雑集紀に「日吉津大神宮」の祭神往古と今と相違有之」と云えり。
かく祭神に相違を来たせしも古よりの口伝の捨て難くてか、嘉永の社帳以後は天照高比売命をも合せ祀りしものと思はる。
伯耆誌に「郡中顕要の社なり社殿に祭神 天照大御神豊受姫命と記し、衣川氏の作るれる祝詞も(田蓑日記に見ゆ」右の趣なれど確徴ある事を聞かず、又天乃佐奈咩神と称するは前年或人三代実録に因りて設けたる説なりと云へり。
今按ずるに三代実録に元慶七年十二月二十八日庚申伯耆国正六位上天照高丹治女神云々授従五位下とある神にはあらざるか。
此神は古事記伝に大己貴命の御子高比売(一名下照比売命)にやとあり。
若し然らば天照の文字より誤り伝へて後世伊勢大神宮と称するにや、此他考ふる所無し」と云えへり。
又旧神職田口家氏の伝へに、代々弓射る事と雉子の肉を食ふ事を厳く禁ず(当社の氏子鹿の肉を食はずとの伝もあり)之れ天若彦の古事に因みてなるべし。
今上の祭神より考ふるに豊受姫命、大年神、天栲萬幡豊秋津姫命、天手力雄命、級長津彦命、月夜見命、猿田彦大神、天太玉命、神倭姫命は天照大御神を主神とせるより祀りしなるべく、大己貴命、事代主神、賀夜奈流美神(以上嘉永以後の社帳に拠る) 天若彦神は天照高日女神を主神とせるより合せ祀りしものならんか。
されば当社の祭神は昔は天照高日女神なりしを、何時の頃よりか誤り伝へて天照大御神と変りしも、古き伝への捨て難く天照高丹治女神をも合せ祀ることとなりて主神二柱となりしならんかと云へり。
当社往古より蚊屋庄大社として地方の崇敬篤く(氏子二十九ヶ村、往古より蚊屋村の百姓祭礼の節は斎戒して神膳を供し神輿を舁くこと例なりと) 特に国主の崇敬も厚かりしことは、天文十四年尼子氏社領として日吉津浜田を附し造営等のことあり、杉原播磨守盛重尾高城主たりし時厚く崇敬せられしと、(永禄十年三月二十六日文書) 吉川氏の時社領四十石五斗一合を附せらる(天正19年12月20日の文書)中村伯耆守の時45石7斗7升四合の社領を寄進す。
旧藩主池田氏又厚く崇敬、寛永十年十一月社領六石八斗三升一合を寄進せられ、その後寛文8年11月社領五石一斗三升八合を加増せられしが、後又宝暦5年4月、十六石三斗六升一合を加へらる。
かく特に藩主の崇敬の厚かりしことを知るべし。
明治維新神社改正の際蚊屋島神社と改称郷社に列せらる。
豊受姫命以下の神は境内摂社なりしを此の時合祀せらる。
明治40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
大正5年10月
日吉津村大字富吉字上屋敷 鎮座 無格社今村神社(祭神素戔鳴尊)
同村大字今吉字金刀比毘羅前 鎮座 無格社今吉神社(祭神 金山彦、天照皇大御神)を合併す。
同年10月
五千石村大字福一字秀坂 鎮座 無格社秀阪神社(祭神 素盞鳴尊)を合併す。
編者曰く、神鳳抄に記せる内宮領に伯耆国三野御厨、久永御厨の二ヶ所あり、三野は美濃なるべく、久永は久米の誤なるべし。
されば当神社は美濃の内宮領に発生し神社なりとも思はる。
されど天照高日女ノ社のありしことも疑ふべからず(伯耆誌参照)とすれば、或は右の二社が合併せられたるもの、即ち蚊屋島神社にあらずやと思はる記して参とす。
歴史2
祭神高比売命が出雲系の神であるところから、かつて出雲系の神を祀る神社と伊勢神宮の勧請社が、この地で別々に祀られていたのを合祀してできたとの説もある。
補足1:鳥取県神社誌より
建造物 本殿 幣殿、拝殿、神饌所、神楽所、御饌所、随神門
境内坪数=2214坪 氏子戸数=2000戸
補足2
社家は、弓を射ること、雉肉を食べることが禁じられていた。
これは祭神高比売命の夫・天稚彦が、天の神の使いである雉を弓で射落して殺し、自らもその矢に当たって死んだ(『日本書紀』)という神話によるといわれる。
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秋葉神社 |
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所在地
西伯郡日吉津村日吉津
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船上神社 |
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所在地
西伯郡日吉津村日吉津
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参考史料 |
「日本の神々 神社と聖地 第7巻 山陰」 (白水社 2007 谷川健一 坂田友宏 川上迪彦他)
「鳥取県神社誌」(澤田文精堂 1934)
「日野郡誌」(名著出版社 1926)
「因伯叢書第4巻伯耆誌」 (名著出版社 1972)
「神社辞典」(東京堂出版 1997)
「ウキペディア 神社一覧」
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