古典文化史 (文学史・美術史・宗教史など) |
明治以前の文学を中心に、絵画、彫刻、建築、工芸、宗教、思想、法令等の歴史をまとめてみました。 青字=西洋の文化 緑字=東洋の海外文化 |
縄文時代 | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 補 足 | ジャンル | |||
BC | 3000頃 | エジプト文明 メソポタミア文明 |
ナイル川周辺にエジプト文明が興る。 チグリス・ユーフラテス川周辺にメソポタミア文明が興る。 |
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2500頃 | インダス文明 黄河文明 |
インダス川周辺にインダス文明が興る。 黄河周辺に黄河文明が興る。 |
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1600頃 | 殷王朝 | 黄河中流・下流に殷王朝樹立。 | |||||
2000頃 | エーゲ文明 | ギリシャを中心にエーゲ文明が興る。 | |||||
1000頃 | ギリシャ文明 | ギリシャ各地にポリスが形成された。 | |||||
1000頃 | 周王朝 | 殷王朝の後に周王朝が樹立。 | |||||
700頃 | イーリアス | ギリシャの吟遊詩人ホメ-ロスが、「イーリアス」と「オデュッセイア」を著したとされる。 | |||||
700頃 | 易経 (この後順次四書五経が成立する) |
著者=伏羲(古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王) 陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。古代中国の哲学と宇宙観の集大成とされる。 |
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四書五経 | 儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。 四書・・・「論語」「大学」「中庸」「孟子」 五経・・・「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」 五経を以て四書よりも高しとされる。 |
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600頃 | 書経(尚書) | 政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集。 | |||||
550頃 | 諸子百家 | 諸子百家の思想家が出る。 諸子=孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。 百家=儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派を指す。 |
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弥生時代(BC500頃-AD260頃) |
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BC | 500頃 | 旧約聖書 | ユダヤ教の教えを説いたもの。 | 宗教書 | |||
500頃 | 老子 | 老子(生没年不明)の語録。道教の中心思想となる。 道教 漢民族の土着的・伝統的な宗教。 道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。 |
哲学書 | ||||
500頃 | 春秋 | 儒教では、孔子の手が加わった、もしくは孔子が作ったとされる。 魯国の年次によって記録された、中国春秋時代に関する編年体の歴史書。 BC722ーBC481までの歴史書。 |
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470頃 | 詩経 | 編集=孔子?(孔子刪詩説) 漢詩の祖型。西周時に歌われていた民謡や廟歌を、孔子が編集したとされる。当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおした。 |
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450頃 | 論語 | 孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物。 儒教思想の中心となる。512の短文が全20編で構成されている。 孔子(BC551-BC479。魯国の生まれ) 根本義は「仁」であり、仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた。 |
儒書 | ||||
440頃 | 歴史 | ヘロドトスが全9巻の「歴史」を著した。 | 歴史書 | ||||
430頃 | 仏教 | 仏陀の教えが体系化され、仏教成立。 | |||||
430頃 | 大学 | 著者=曾子(そう し BC506-没年不詳。孔子の弟子) もともとは、『礼記』の第四十二に位置する篇一章を独立させたもの。「明明徳」「親民」「止至善」の三綱領など、道徳と政治を説いている。 |
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430頃 | 中庸 | 著者=子思(しし、紀元前483?-紀元前402?) もともと『礼記』中の一篇、すなわち礼記中庸篇として伝えられてきたものを子思が纏めたという説がある。 |
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387 | アカデメイア設立 | プラトンがアテナイ郊外のアカデメイアの地の近傍に学園を設立。 | |||||
350頃 | ソクラテスの弁明 | プラトン(BC427-BC347。ギリシャ哲学の中核) その他の著書として「国家」、「クリトン」、「饗宴」、「政治家」など。 |
哲学書 | ||||
300頃 | 孟子 | 編者=孟子(BC372年?-BC289年)、公孫丑・萬章ら。 孟子の引退後に、弟子の公孫丑・萬章らと共に問答を集め、また規則の言葉を選んで編集した。 性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。 |
儒書 | ||||
300頃 | 荘子 | 編者=荘子及び後世の弟子。 内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇。 荘子(BC369-BC286) 道教の始祖の一人とされる。老子には政治色が色濃いのに比べ、荘子は徹頭徹尾俗世間を離れ無為の世界に遊ぶ姿勢になっている違いがある。 無為自然を基本とし、価値や尺度の相対性を説き、逆説を用い、日常生活における有用性などの意味や意義にたいして批判的。 |
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97頃 | 史記 | 司馬遷(BC145/135-BC87/86) 中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書。正史の第一に数えられる、二十四史のひとつ。伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までを記載。 |
歴史書 | ||||
48 | ガリア戦記 | ジュリアス・シーザー(BC100-BC44。共和政ローマ期の政治家、軍人) ガリア戦争の遠征記録。文中の所々にガリア人・ゲルマン人の風俗についての記述がある。 |
歴史書 | ||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 補 足 | ジャンル | |||
107年 | 後漢書東夷伝より | 倭面土国王「帥升」等、後漢「安帝」に遣使し、生口(せいこう:奴隷)を献ずる。 |
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285 | 三国志 | 陳寿。「倭人伝」の中に「邪馬台国」の記載。 | |||||
古墳時代(AD260年頃-600年頃) | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 補 足 | ジャンル | |||
538年 | 仏教伝来 | 百済から仏教が伝わる(552年の説もある)。 | |||||
545年頃 | 帝紀・旧辞 | 欽明朝の前後に、帝紀・旧辞の編纂が始まる。 | 歴史書 | ||||
飛鳥時代(592年-710年) | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 補 足 | ジャンル | |||
600年頃 | 飛鳥文化 | 中国の北魏文化・南梁文化が朝鮮三国(高句麗・百済・新羅)を経由して、日本に伝えられた文化。 仏教建築、仏教美術を中心とした文化。 |
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604年 | 一七条憲法 | 聖徳太子(574-622。第33代推古天皇の甥) |
法令 | ||||
607年 | 法隆寺創建 | 聖徳太子が法隆寺を創建。聖徳宗の総本山。釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置する。 仏像:釈迦三尊像(飛鳥時代) 薬師如来坐像 四天王立像(飛鳥時代) 毘沙門天・吉祥天立像(平安時代) 阿弥陀三尊像(鎌倉時代) |
建築 | ||||
610 | コーラン | ムハンマド(モハメット)がイスラム教を開く。 | 宗教書 | ||||
615年 | 三経義疏 | 聖徳太子。 『法華経』・『勝鬘経』・『維摩経』の三経の注釈書。 |
宗教書 | ||||
620年 | 国記、天皇記 | 聖徳太子、蘇我馬子。乙巳の変で消失、現存せず | 歴史書 | ||||
623年 | 釈迦三尊像 | 作者=鞍作止利仏師 | |||||
645年頃 | 白鳳文化 | 飛鳥浄御原令、大宝律令の制定。万葉歌人の登場 | |||||
万葉歌人 | 第一期=額田王 第二期=柿本人麻呂 第三期=山部赤人、山上億良、大伴旅人、高橋虫麻呂 第四期=大伴家持 |
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668年 | 近江令 | 中大兄皇子 全22巻。古代日本政府による最初の令法典。現存せず。 |
法令 | ||||
681年 | 国史編纂着手 | 第40代天武天皇を中心に、「帝記」、「上古の諸事」を元に国史編纂に着手。 | |||||
689年 | 飛鳥浄御原令 | 天武天皇。 令22巻。律令のうち令のみが制定・施行されたもの。現存せず。 |
法令 | ||||
690年 | 国史編纂進む | この後、持統天皇、藤原不比等らによって、律令、国史編纂が進められる。 | |||||
701年 | 大宝律令 | 唐の永徽律令(えいきりつれい、651年制定)を参考にしたと考えられる日本史上初めて律と令がそろって成立した本格的な律令。 律=刑罰法令 令=律以外の法令(主に行政法) |
法令 | ||||
奈良時代(710年-794年) | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 補 足 | ジャンル | |||
700年頃 | 天平文化 | シルクロードを経由して、西アジアやガンダーラ地方の文化の影響を受けた国際色豊かな文化。 貴族・仏教文化 奈良仏教 国分寺 東大寺 大仏 正倉院 |
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南都六宗 | 法相宗 (ほっそうしゅう)---開祖:道昭、寺院:興福寺・薬師寺 倶舎宗 (くしゃしゅう) --- 開祖:道昭、寺院:東大寺・興福寺 法相宗の付宗 三論宗 (さんろんしゅう) --- 開祖:恵灌、寺院:東大寺南院(華厳宗や真言宗に影響を与えた) 成実宗 (じょうじつしゅう) --- 開祖:道蔵、寺院:元興寺・大安寺 三論宗の付宗 華厳宗 (けごんしゅう、)---開祖:良弁・審祥、寺院:東大寺 律宗 (りっしゅう) --- 開祖:鑑真、寺院:唐招提寺 |
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712年 | 古事記 | 太安麻呂、稗田阿礼 全3巻。変体漢文。紀伝体。 |
神話、歴史書? | ||||
713年 | 風土記 | 元明天皇、諸国に風土記の編纂を命じる。 現存しているのは出雲・播磨・常陸・豊後・肥前の五カ国のものだけで、そのうち完本は『出雲国風土記』だけ。 |
地方史 | ||||
720年 | 日本書紀 | 舎人親王、日本国史全30巻、系図1巻を撰上。 正格漢文。編年体。(六国史-その1) |
歴史書 | ||||
733年 | 出雲国風土記 | 編者=出雲国造出雲臣広島、秋鹿郡の人、神宅臣金太理 現存する風土記の完本。 |
地方史 | ||||
741年 | 国分寺建立 | 国分寺・国分尼寺の建設がはじまる。 | |||||
751年 | 懐風藻 | 淡海三船らによって編集されたとされる、日本最古の漢詩集。 | 漢詩集 | ||||
752年 | 大仏開眼 | 45代聖武天皇、東大寺大仏開眼供養を行う。 行基---道昭の弟子とされる。奈良の大仏(東大寺など)建立の実質上の責任者。一時弾圧を受けるが、この功績により東大寺の「四聖」の一人。 |
仏像 | ||||
756年 | 正倉院 | 東大寺に校倉造りの宝庫、「正倉院」が出来る。 | 建築 | ||||
759年 | 唐招提寺建立 | 南都六宗の1つである律宗の総本山。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真。 鑑真(688-763) 753年来日。新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置した。 |
寺院 | ||||
759年 以降 |
万葉集 | 選者=大伴家持ら。わが国最古の歌集。全二十巻。 歌風は自然と共に生きた万葉人の心を反映して、おおらかで素朴であり、「ますらおぶり」と言われる。 |
和歌集 | ||||
787年 | 日本霊異記 | 僧、景戒。初の説話集。(昔話集) | 説話集 | ||||
797年 | 続日本紀 | 藤原継縄・菅原真道らの編纂。(六国史-その2) | 歴史書 | ||||
平安時代(794-1192) | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 作者・選者・補足 | ジャンル | |||
800年頃 | 弘仁貞観文化 | 唐の影響を受けながらも、それを独自に変化させた平安初期の文化。 |
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六歌仙 | 紀貫之が「近き世にその名きこえたる人」として挙げた6人の歌人の総称。 僧正遍昭(816-890):従五位上・左近衛少将。出家後、花山の元慶寺を建立。 在原業平(825-880):51代平城天皇の孫。別称の「在五中将」は在原氏の五男であった ことによる。 『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。 文屋康秀(不詳-885):正六位上・縫殿助。 喜撰法師(生没年不詳):宇治山に住んでいた僧であること以外不明。 紀貫之の変名という説もある。 小野小町(825頃-900頃):小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。 大友黒主(生没年不詳):従八位上、滋賀郡大領。 |
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805年 | 天台宗 | 最澄(伝教大師)が唐より帰り、天台宗を伝える。比叡山に延暦寺を建てる。 | 密教 | ||||
806年 | 真言宗 | 空海(弘法大師)が唐より帰り、真言宗を伝える。高野山に金剛峰寺を建てる。 | 密教 | ||||
807年 | 古語拾遺 | 斎部広成。全1巻。中臣氏に対する斎部氏の正統性を主張し、有利な立場に立つために著されたものであると考えられる。 | 歴史書 | ||||
814年 | 凌雲集 | 小野岑守、菅原清公らによって編纂。52代嵯峨天皇の命により編纂された日本初の勅撰漢詩集。全1巻。 | 漢詩集 | ||||
815年 | 新撰姓氏録 | 52代嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。 京および畿内に住む1182氏を、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにし、氏名(うじな)の由来、分岐の様子などを記述したもの。 |
歴史書? | ||||
840年 | 日本後紀 | 藤原緒嗣らの編纂。(六国史-その3) | 歴史書 | ||||
850年頃 | 六歌仙 | 六歌仙の時代。 |
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869年 | 続日本後紀 | 藤原良房・春澄善縄らの編纂。(六国史-その4) | 歴史書 | ||||
900年頃 | 国風文化の萌芽 | この頃より国風文化が栄える。 | |||||
905年 | 古今和歌集 | 紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑らによる、最初の勅撰和歌集。醍醐天皇の勅命によって編集された。 | 勅撰和歌集 | ||||
910年頃 | 竹取物語 | 作者不詳(源順、紀貫之、あるいは紀氏の一族という説も有る) | 伝奇物語 | ||||
935年 | 土佐日記 | 紀貫之。土佐国の国司(土佐守)の任期を終え、都に帰るまでの55日間の旅日記。 | 日記 | ||||
950年頃 | 浄土教発達 | 空也(市聖):市にて念仏のくどくを庶民に布教した。 | |||||
951年頃 | 大和物語 | 作者不詳。約300首の和歌が含まれている貴族社会の和歌を中心とした歌物語。 | 和歌物語 | ||||
956年 以降 |
伊勢物語 | 作者不詳。125段。『在五中将物語』とも呼ばれる。 最初の「歌物語」。在原業平を主人公として、その男の一生を語る構成となっている。 |
和歌物語 | ||||
974年 | 蜻蛉日記 | 藤原道綱母。藤原兼家の妻。上中下の三巻。954-974の出来事を著した日記。 | 日記 | ||||
984年 | 宇津保物語 | 著者は不明。源順説などがある。『竹取物語』にみられた伝奇的性格を受け継ぎ、日本文学史上最古の長編物語。 | 伝奇物語 | ||||
985年 | 往生要集 | 源信(恵心僧都):極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書。 死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎を創る。 |
宗教書 | ||||
1000年頃 | 国風文化最盛期 | 藤原氏を中心に国風文化が最盛期を迎える。 | |||||
1002年頃 | 枕草子 | 清少納言(966年頃-1025頃。清原元輔の娘。第66代一条天皇の皇后である中宮定子の女房として仕えた)。 わが国最初の随筆文学。枕草子は「をかしの文学」と言われる。 |
随筆 | ||||
1004年 | 和泉式部日記 | 和泉式部。(一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕。同僚女房に紫式部)。 1003年-1004年までの数ヶ月間の出来事をつづる。 |
日記 | ||||
1008年頃 | 源氏物語 | 紫式部。(藤原為時の娘。藤原宣孝に嫁ぎ、夫の死後、召し出されて一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えている間に、『源氏物語』を記した)。 通常、54帖からなる本邦(あるいは世界)最古の長編物語。 『源氏物語』は「あはれの文学」と呼ばれる。 第一部:光源氏が数多の恋愛遍歴を繰り広げつつ、王朝人として最高の栄誉 を極める前半生。 第二部:愛情生活の破綻による無常を覚り、やがて出家を志すその後半生と、 源氏をとりまく子女の恋愛模様。 第三部:源氏没後の子孫たちの恋と人生。 補足:主人公光源氏の実在モデルは源融(みなもととおる、嵯峨源氏融流初代)といわれている。現在の平等院の地は、源融が営んだ別荘だった。 |
物語 | ||||
1018年 | 和漢朗詠集 | 選者 藤原公任。上下二巻、和歌216首と漢詩588詩の合計804首が収められている。 | 詩集 | ||||
1010年 以降 |
紫式部日記 | 紫式部。 全2巻。中宮彰子の出産が迫った寛弘5年(1008)秋から同7年(1010)正月にかけての諸事が書かれている。 |
日記 | ||||
1028年 以降 |
栄華物語 | 作者不詳。 全40巻。女性の手になる編年体物語風史書。59代宇多天皇の治世から起筆し、摂関権力の弱体化した73代堀川天皇寛治6年(1092)まで、15代約200年間の時代を扱う。藤原道長の死までを記述した30巻と、その続編としての10巻に分かれる。 |
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1059年 以降 |
更級日記 | 菅原孝標女。(菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女。母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母) 全1巻。作者13歳の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られている。 |
日記 | ||||
1053年 | 平等院鳳凰堂 | 藤原頼道が宇治に平等院鳳凰堂を建立。 | (寝殿造り) | ||||
1065年 | 資治通鑑 | 中国北宋の司馬光が、英宗の詔により編纂した、編年体の歴史書。 | |||||
1100年頃 | 院政文化 | 1086年の院政開始による文化。 | |||||
1086年 | 院政 | 白河上皇が 院政を行う。 在位する天皇の直系尊属である太上天皇(上皇)が、天皇に代わって政務を直接行う形態の政治。上皇は「院」と呼ばれたので、院政という。 |
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1105年 | 中尊寺金色堂 | 藤原清衡が平泉に中尊寺を建てる。 | 寺院 | ||||
1120年頃 | 大鏡 | 作者不詳。(四鏡の1) 歴史を写し出す大きな鏡の意味。大宅世継と言う翁が主人公。 これ以降、「今鏡」・「水鏡」・「増鏡」と呼ばれる歴史書が書かれる。 |
歴史物語 | ||||
1120年 | 今昔物語集 | 作者不詳。 天竺(印度)、唐土(中国)、本朝(日本)の説話が収録され、最大の説話文学。全31巻、1200話。 |
説話集 | ||||
1170年頃 | 今鏡 | 藤原為経(寂超)。 全10巻。四鏡-その2。 後一条天皇の万寿2年(1025年)から高倉天皇のまでの13代146年間の歴史を紀伝体で描いている。 |
歴史書 | ||||
1175年 | 選択本願念仏集 | 法然。(1133-1212。浄土宗を開く) 南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説く。 |
宗教書 | ||||
1175年 | 知恩院 | 浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院。 壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代。 |
寺院 | ||||
円成寺大日如来像 | 運慶(1150頃-1224。平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師) | ||||||
鎌倉時代(1185-1333) | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 作者・選者・補足 | ジャンル | |||
1200年頃 | 鎌倉の文化 | 源頼朝が鎌倉に幕府を開く(1185)。武家を中心とした文化。 | |||||
文学 絵画 彫刻 宗教 |
随筆 軍記物 似絵、頂相、絵巻物 写実彫刻(運慶、快慶) 鎌倉新仏教(浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、時宗、曹洞宗、臨済宗)、伊勢神道 |
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1188年 | 千載和歌集 | 後白河法皇勅令 藤原俊成。 二十巻、歌数は1288首。 |
勅撰和歌集 | ||||
1190年 以前 |
山家集 | 西行(1118-1190)。 1560首。成立年は不詳だが、治承・寿永の乱(源平合戦)の最中あるいは直後だと思われる。 |
和歌集 | ||||
1191年 | 興禅護国論 | 栄西(1141-1215。臨済宗の開祖。建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られる) 全3巻。禅の普及に圧力をかける比叡山延暦寺に対する弁明・反論と朝廷から布教の許可を得ることを目指して著述された。 |
宗教書 | ||||
1195年頃 | 水鏡 | 作者未詳(中山忠親説が有力だが、源雅頼説もあり)。四鏡-その3 神武天皇から仁明天皇まで57代の事跡を編年体で述べている。 |
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1200年 以降 |
朱子学伝来 | 1199年に入宋した真言宗の僧俊芿が朱子学を日本へ持ち帰った。 朱子(朱熹)(1130-1200) 朱子学の創始者。 それまでばらばらに学説や書物が出され矛盾を含んでいた儒教を、程伊川による性即理説、仏教思想の論理体系性、道教の無極及び禅宗の座禅への批判とそれと異なる静座(静坐)という行法を持ち込み、道徳を含んだ壮大な思想にまとめた。 日本の朱子学 鎌倉時代後期までには、五山を中心として学僧等の基礎教養として広まり、1299年に来日した元の僧一山一寧がもたらした注釈によって学理を完成した。 |
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1200年 前後 |
鳥獣人物戯画 | 作者不詳。鳥羽僧正覚猷説は現代では否定的。 複数の作者によって別個の作品として描かれた物を高山寺に伝来した結果、鳥獣人物戯画として集成したものとされる。 |
絵巻物 | ||||
1203年 | 金剛力士像 | 運慶、快慶(生没年不詳。平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師) 東大寺南大門の金剛力士(仁王)像。運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)の4名が大仏師となり、小仏師多数を率いてわずか2か月で造立した。 |
木彫 | ||||
1205年 | 新古今和歌集 | 後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集。全20巻。 |
和歌集 | ||||
1212年 | 方丈記 | 鴨長明。(賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男。従五位下) 一丈四方(方丈)の狭い庵内から当時の世間を観察し、書き記した記録。無常観の文学とも言われ、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされる。 |
随筆集 | ||||
1213年 | 金槐和歌集 | 源実朝の家集(歌集)。全一巻、663首掲載。 | 和歌集 | ||||
1219年 以前 |
保元物語 | 作者不詳。 保元の乱(1156。朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変)の顛末を描いた軍記物語。 |
軍記物 | ||||
1219年 以前 |
平治物語 | 作者不詳。 平治の乱()の顛末を描いた軍記物語。 |
軍記物 | ||||
1219年 以前 |
平家物語 | 作者不詳(しかし信濃前司行長こと藤原行長の説も有り) 平家の栄華と没落を描いた軍記物語。 |
軍記物 | ||||
1220年頃 | 愚管抄 | 天台宗僧侶の慈円。 初代・神武天皇から第84代・順徳天皇までの歴史を、貴族の時代から武士の時代への転換と捉え、末法思想と「道理」の理念とに基づいて、仮名文で述べたもの。 |
史論書 | ||||
1224年 | 教行信証 | 親鸞。(1173-1262。浄土真宗の宗祖。慈円、法然の下で修行) 全六巻。浄土真宗の根本聖典。如来の本願力」(他力)による絶対他力を強調する。 |
宗教書 | ||||
本願寺 | 1272 親鸞の弟子たちの協力を得た覚信尼により大谷廟堂を建立。 1321 大谷廟堂は本願寺第三世 覚如により寺院化され、本願寺と号し成立する。 |
寺院 | |||||
1227年 | 正法眼蔵 | 道元。(1200-1253。曹洞宗の開祖。永平寺で只管打坐の禅を伝えた) 75巻+12巻+拾遺4巻。 |
宗教書 | ||||
1235年 | 小倉百人一首 | 選者=藤原定家(1162-1141。正二位、権中納言) 京都・小倉山の山荘で選んだとされる百人一首。 |
和歌集 | ||||
1260年 | 立正安国論 | 日蓮。(1222-1282。日蓮宗の宗祖。久遠寺) 相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難した。 |
宗教書 | ||||
1270 | 朱子語類 | 編者=黎靖徳 宋代に朱子がその門弟たちと交わした言葉を、没後に集成し門類に分類した書物。 |
儒書 | ||||
1274年 | 一遍上人語録 | 一遍。(1239-1289。時宗の開祖) 時宗は浄土教の一宗派。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺。 |
宗教書 | ||||
1275年頃 | 金沢文庫 | 北条実時が建設した武家の文庫。 日本の初期における私設図書館とも位置付けられている。 |
図書館 | ||||
1288年 | 嘆異抄 | 唯円(1222-1289。親鸞の晩年になってからの直弟子の一人) 親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異義・異端を嘆いたもの。 |
宗教書 | ||||
1296 | 東方見聞録 | マルコポ-ロ(1254-1324。ヴェネツィア共和国の商人) マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した内容口述を、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記。ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した。 |
旅行記 | ||||
南北朝時代(1333-1392) | |||||||
1300年頃 | 南北朝文化 | ||||||
1300頃 | ルネサンス | イタリアでギリシャ・ローマの文芸復興が始まった。 | |||||
1313頃 | 神曲 | ダンテ(1265-1321。フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家) 全14,233行の韻文による長編叙事詩。古典文学の最高傑作、ルネサンスの先蹤となる作品とも評されている。古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩。 |
戯曲 | ||||
1330年頃 | 徒然草 | 卜部兼好(1283-1352。兼好法師。吉田兼好は江戸期の俗称) 244段からなる随筆集。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価される。 |
随筆 | ||||
1339年 | 神皇正統記 | 北畠親房。(1293-1354)公卿。正二位、大納言。南朝) 幼帝後村上天皇のために、吉野朝廷(南朝)の正統性を述べた歴史書。 |
歴史書 | ||||
増鏡 | 作者不詳(二条良基説や洞院公賢説、四条家関係者説などがある)。四鏡-その4 1183の後鳥羽天皇の即位から1333年後醍醐天皇が隠岐に流され、その後、京都に戻るまでの、15代150年の事跡を編年体で述べている。 |
歴史書 | |||||
1350頃 | デカメロン | ジョヴァンニ・ボッカッチョ。 全100話。ユーモアと艶笑に満ちた恋愛話や失敗談。 イタリア散文芸術の始まりとされる。 |
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1370年頃 | 太平記 | 作者不詳。全40巻。 南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318-1368年)の約50年間を書く軍記物語。 |
軍記 | ||||
室町時代(1392-1573) | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 作者・選者・補足 | ジャンル | |||
1400年 前後 |
北山文化 | 三代将軍足利義満の治世に栄えた文化。公家文化と、新興の武家文化の融合が特色で、明との勘合貿易、禅宗を通じて大陸文化の影響も受けている。 | |||||
文学 宗教 演芸 建築 |
五山文学、連歌 臨済宗(夢想疎石) 能楽、猿楽能、田楽能 金閣寺 |
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1397年 | 金閣寺造営 | 3代将軍足利義満が北山に金閣寺を造営。寝殿造。 一層が公家風の寝殿造で阿弥陀堂、二層が住宅風(俗説では武家造)、三層が禅宗様の仏殿風。 |
建築 | ||||
1400年頃 | 猿楽能の完成 | 観阿弥・世阿弥親子による能の完成。 観阿弥(1333-1384。興福寺、春日神社などの神事能に奉仕する大和猿楽四座の結崎座の一員。伊賀・服部氏族の上嶋元成の三男が観阿弥で、観阿弥は楠正成の甥という説もある) 猿楽から、能や狂言に発展していったと言われている。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。 |
芸能 | ||||
1400年 | 風姿花伝 | 世阿弥。(1363-1443) 能の理論書。世阿弥の残した21種の伝書のうち最初の作品。 |
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1400頃 | 水滸伝 | 施耐庵あるいは羅貫中。 | 伝奇物語 | ||||
1411年 | 義経記 | 作者不詳。源義経とその主従を中心に書いた軍記物語。 | 軍記物 | ||||
1432年 | 足利学校 | 足利学校の再興。 平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であった。 上杉憲実が足利の領主になって再興に尽力した。 |
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1445頃 | 活版印刷 | ドイツのグーテンベルク(1398年-1468年。、ドイツ出身の金属加工職人で、1445年までに活版印刷技術を考案その機器の実用化に成功して、自ら印刷業・印刷物出版業を創設した) 印刷技術は羅針盤、火薬とともに「ルネサンス三大発明」の一つにあげられる。 |
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1500年 前後 |
東山文化 | この頃、幕府、朝廷がおとろえ、公家・貴族などの多くが地方に下る。 | |||||
建築 絵画 宗教 芸能 |
書院造り、枯山水 土佐派:大和絵、狩野派:大和絵+水墨画、水墨画 吉田神道(唯一神道) 曲舞、幸若舞、古浄瑠璃、小唄 |
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1489年 | 銀閣寺造営 | 8代将軍足利義政が京都東山に銀閣寺を建てる。 書院造り。 | 建築 | ||||
1498 |
最後の晩餐 | レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519。はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家。絵画、彫刻、建築、音楽、科学、数学、工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残し、万能人と呼ばれている) ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂にある壁画。 |
絵画 | ||||
1500年頃 | 天橋立図 | 雪舟(1420-1506。遣明船に同乗して明に渡り、李在より中国の画法を学んだ)。 | 絵画 | ||||
1504 | ダビデ像 | ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564。イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家) ヴェッキオ宮殿に面したシニョリーア広場に設置された彫刻。 |
彫刻 | ||||
1505 | モナリザ | レオナルド・ダ・ヴィンチ。ルーヴル美術館所蔵。 | 絵画 | ||||
1516 | 君主論 | ニッコロ・マキャベリ。権謀術数を説く。 | |||||
1517 | 宗教改革 (ルター) |
マルチン・ルター(1483-1546。聖アウグスチノ修道会に属するドイツ人神学教授) ローマ教会に抗議して95ヶ条の論題を打ちつけ、プロテスタント教会の源流を作った。 |
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1536 | 宗教改革 (カルバン) |
ジャン・カルヴァン(1509-1564)は、フランス生まれの神学者。ルターやツヴィングリと並び評される、キリスト教宗教改革初期の指導者) 1536年、『キリスト教綱要』を著し、改革派的教義を掲げた。 |
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1549年 | キリスト教伝来 | フランシスコ・ザビエル、キリスト教を伝来。 | |||||
安土桃山時代(1573-1603) | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 作者・選者・補足 | ジャンル | |||
1560年頃 | 桃山文化 | 南蛮文化、城郭建築に代表される文化。 | |||||
城郭建築 絵画 茶道 工芸 |
姫路城、安土城、伏見城、大阪城 狩野派(狩野永徳):障壁画 土佐派(土佐光吉):大和絵 千利休 高台寺蒔絵、欄間彫刻 |
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1565年 | 洛中洛外図屏風 | 狩野永徳(1543-1590。狩野派の代表的な画人) 京都の中心部(洛中)と郊外(洛外)を鳥瞰的に描いた洛中洛外図の代表作。 |
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1576年 | 安土城築城 | 織田信長(1534-1582) 琵琶湖東岸に築かれた地下1階地上6階建て。天主の高さが約32メートル。 |
建築 | ||||
1583年 | 大阪城築城 | 豊臣秀吉(1537-1598) |
建築 | ||||
1587年 | 聚楽第 | 豊臣秀吉(1537-1598) 平安京の大内裏跡(現在の京都府京都市上京区)に豊臣秀吉が建てた政庁兼邸宅。平城。 |
建築 | ||||
1587年 | 北野大茶会 | 千利休(1522-1591。商人、茶人。わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられた。) 京都北野天満宮境内において関白太政大臣・豊臣秀吉が主催した大規模な茶会を主幹した。 |
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1592年 | 伏見城 | 豊臣秀吉(1537-1598) 京都市伏見区桃山町周辺にあった城。 |
建築 | ||||
1595頃 | ロミオとジュリエット | ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616。イングランドの劇作家、詩人) 戯曲。 |
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江戸時代(1603年-1868年) | |||||||
成立年 | 国外 | 作 品 名 | 作者・選者・補足 | ジャンル | |||
1600年頃 | 寛永文化 | 1624年から1644年の寛永期を中心にした文化。広義には寛永期を中心に、慶長(1596)あるいは元和から寛文年間(1672)の約80年前後の時期を指す。寛永文化の中心は京都であったとされる。 | |||||
建築 美術 |
日光東照宮、桂離宮 絵画:俵屋宗達、狩野探幽 陶芸:野々村仁清 |
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1609頃 | ハムレット | ウィリアム・シェイクスピア 1600年代初頭の四大悲劇といわれる『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』では、人間の実存的な葛藤を力強く描き出した。 |
戯曲 | ||||
1603年 | 歌舞伎踊り | この頃、出雲(島根県)の阿国が歌舞伎踊りを始める。 | 芸能 | ||||
1609 | 新天文学 | ヨハネス・ケプラー(1571-1630。は、ドイツの天文学者。理論的に天体の運動を解明したという点において、天体物理学者の先駆的存在だといえる) 天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を唱えた。 |
天文学 | ||||
1617年 | 日光東照宮 | 江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。 吉田神道と山王神道のどちらで祀るかで論争となったが、天海が主張した山王一実神道が採用され、薬師如来を本地仏とする神仏習合によって祀られることになった。 |
建築 | ||||
1622年 | 信長記 | 小瀬甫庵。 | 軍記 | ||||
1632 | 天文対話 | ガリレオ・ガリレイ(1564-1642年。イタリアの物理学者、天文学者、哲学者) 地動説の解説書。「それでも地球は回っている」 |
天文学 | ||||
1637 | 方法序説 | ルネ・デカルト(1596-1650。フランス生まれの哲学者・自然学者・数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。) 合理主義哲学の祖。演繹法を説いた。「我想う故に我在り」 |
哲学 | ||||
1647年 | 鑑草 | 中江藤樹(1608-1648。近江聖人と称えられた陽明学者) 全6巻。漢籍の『迪吉録』・『列女伝』などから女性のための訓話を中江藤樹が日本語訳して各話に解説文をつけたもの。 |
陽明学 | ||||
1649年 | 慶安の御触書 | 3代将軍徳川家光期に、江戸幕府が農民統制のために発令された幕法とされている文書。 | 法令 | ||||
1670年 | 本朝通監 | 林家の林羅山、林鵞峯(春斎)父子。 前編3巻(神代)、正編40巻(神武天皇~宇多天皇)、続編230巻(醍醐天皇~後陽成天皇)など、全310巻から構成される日本通史。 |
歴史書 | ||||
1672年 | 武家百人一首 | 菱川師宣。(1618-1694。浮世絵を確立した最初の浮世絵師) | 浮世絵 | ||||
1682年 | 好色一代男 | 井原西鶴。(1642-1693。談林派を代表する俳諧師) 8巻54章からなる。主人公世之介の54年間にわたる好色生活を描く。 |
浮世草子 | ||||
1688年 | 日本永代蔵 | 井原西鶴。 富を築いた多くの町人の例をあげた作品。 |
浮世草子 | ||||
1689年 | 奥の細道 | 松尾芭蕉。(1644-1694。伊賀国の生まれ) 1689に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』は芭蕉没後の1702年に刊行された。 |
俳句集 | ||||
1692年 | 世間胸算用 | 井原西鶴。大晦日の町人の生活を描いた20の短編集。 | 浮世草子 | ||||
1700年 前後 |
元禄文化 | 1688年から1704年の元禄年間前後に栄えた文化。主に京都・大坂などの上方を中心に発展した。 | |||||
文学 儒学・朱子学 古学 陽明学 国学 蘭学 美術 芸能 |
俳句:松尾芭蕉、井原西鶴 浮世草子:井原西鶴、 林羅山、新井白石 山鹿素行、伊藤仁斉、荻生徂徠 中江藤樹、熊沢蕃山、大塩平八郎 契沖、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤 杉田玄白、前野良沢 日本画:俵屋宗達、尾形光琳 浮世絵:菱川師宣 新浄瑠璃:近松門左衛門 歌舞伎:市川團十郎、坂田藤十郎 |
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1703年 | 曽根崎心中 | 近松門左衛門(1653-1725。元禄期の人形浄瑠璃・歌舞伎の作者) 竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽。のちに歌舞伎の演目にもなる。相愛の若い男女の心中の物語。 |
浄瑠璃 | ||||
1709年 | 私塾蘐園塾 | 荻生徂徠(1666-1728。8代将軍吉宗の御用学者) 朱子学を「憶測にもとづく虚妄の説にすぎない」と喝破、朱子学に立脚した古典解釈を批判し、古代中国の古典を読み解く方法論としての古文辞学(蘐園学派)を確立した。 |
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1715年 | 国性爺合戦 | 近松門左衛門。 時代物浄瑠璃。江戸時代初期、中国人を父に、日本人を母に持ち、台湾を拠点に明朝の復興運動を行った鄭成功(国性爺、史実は国姓爺)の物語。 |
浄瑠璃 | ||||
1715年頃 | 西洋記聞 | 新井白石(1657-1725。後に正徳の治と呼ばれるようになる政治改革を行った旗本) 自ら切支丹屋敷へ赴き、キリスト教布教のために来日したイタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチを審問した白石が、その内容をまとめたもの。諸外国の歴史・地理・風俗やキリスト教の大意と、それに対する白石の批判などが記されている。 |
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1748 | 法の精神 | モンテスキュー(1689-1755。フランスの哲学者) 立憲主義、権力分立、奴隷制廃止、市民的自由の保持、法の規範などを主張。 |
法学 | ||||
1755 | 人間不平等起源論 | ジャンジャック・ルソー(1712-1778。フランスの哲学者) |
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1762 | 社会契約論 エミール |
ジャンジャック・ルソー 1762「社会契約論」、1762「エミール」を著す。 |
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1768年 | 万葉考 | 賀茂真淵(1697-1769。荷田春満を師として仰いだ国学者) 20巻。巻一から巻六までが,真淵の書いたものであり,巻七以下は真淵の説を基に狛諸成(こまもろなり)が編集したもの。 |
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1774年 | 解体新書 | 杉田玄白(1733-1817。若狭国小浜藩医。私塾天真楼を主催) 前野良沢(1723-1803。豊前国中津藩の藩医で蘭学者) オランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を江戸時代の日本で翻訳した書。解体新書刊行後、医学が発展したことはもちろんであるが、オランダ語の理解が進み、鎖国下の日本において西洋の文物を理解する下地ができた。 |
蘭学 | ||||
1774 | 若きウェルテルの悩み | ゲーテ。(1749-1832。ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家) |
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1776 | 国富論 | アダム・スミス。(1723-1790。イギリスの経済学者・神学者・哲学者) 近代経済学の端緒であると考えられている。 |
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1781 | 純粋理性批判 | イマヌエル・カント。(1724-1804。ドイツの哲学者。ドイツ観念論哲学の祖) 1781『純粋理性批判』、1788『実践理性批判』、1790『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。 |
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1790年 | 寛政異学の禁 | 朱子学以外の学問が禁止された。 | |||||
1790年 | 古事記伝 | 本居宣長。(1730-1801。国学者・文献学者・医師) 古事記全編にわたる全44巻の註釈書。 |
国学 | ||||
1793年 | 群書類従 | 塙保己一。(1746-1821。盲目の国学者) 古書の散逸を危惧し、古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収めている。 |
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1795年 | 玉勝間 | 本居宣長。 古典研究の副産物として得た知見を,有職制度,語源考証,聞書抄録など多様な分野にわたって自由なスタイルで書きとどめた文章をすべて1005項目収めている。 |
国学 随筆 |
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1798年 | うひ山ぶみ | 本居宣長。 古典研究に必要なものについて論じた入門書。 |
国学 | ||||
1800年 前後 |
化政文化 | 文化・文政年間前後、江戸を中心に栄えた文化化。 | |||||
1800年頃 | 文学 国学 美術 |
小林一茶、十返舎一九、式亭三馬、滝沢馬琴 本居宣長 日本画家 : 丸山応挙 浮世絵 : 喜多川歌麿、葛飾北斎、安藤広重 |
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1802年 | 東海道中膝栗毛 | 十返舎一九(1765-1831。日本で最初に、文筆のみで自活した戯作者、浮世絵師) 滑稽本。主人公の弥次郎兵衛と喜多八の伊勢参り道中を描いた物語。 |
滑稽本 | ||||
1807年 | 精神現象学 | ヘーゲル(1770-1831。ドイツ観念論哲学の完成者であり、近代哲学と現代哲学の分水嶺として位置づけられることも多い) 観念論の立場にたって意識から出発し、弁証法によって次々と発展を続けることによって現象の背後にある物自体を認識し、主観と客観が統合された絶対的精神になるまでの過程を段階的に記述したもの。 |
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1809年 | 浮世風呂 | 式亭三馬(1776-1822。作家で薬屋、浮世絵師) 当時の庶民の生活を、浴場を舞台に描いたもの。 |
滑稽本 | ||||
1811年 | 古史成文 | 平田 篤胤(1776-1843。国学者・神道家・思想家・医者。復古神道の大成者であり、儒教・仏教と習合した神道を批判した。荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人(うし)の中の一人として位置付けられている。) |
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1812年 | 1812 | 論理学 | ヘーゲル |
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1814年 | 南総里見八犬伝 | 滝沢馬琴(1767-1848) 全98巻、106冊。室町時代後期を舞台に、安房国里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説。 |
読本 | ||||
1814年 | 大日本沿海 輿地全図 |
伊能忠敬(1745-1818。商人・測量家) 隠居後の56歳から足かけ17年をかけて全国を測量し大日本沿海輿地全図を完成させ、日本国の歴史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした。 |
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1814年 | 北斎漫画 | 葛飾北斎(1760-1849。浮世絵師。化政文化を代表する一人) 北斎漫画の初編を発刊。 |
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1815年 | 蘭学事始 | 杉田玄白 上下2編。83歳の杉田玄白が蘭学草創の当時を回想して記し、大槻玄沢に送った手記。オランダ医学書「ターヘル・アナトミア」を翻訳する苦心談などが記載されている。後に福沢諭吉により公刊される。 |
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1820年 | おらが春 | 小林一茶(1763-1828。俳諧師) 北信濃で過ごした1819年(文化2年)、一茶57歳の一年間の折々の出来事に寄せて読んだ俳句・俳文を、没後25年になる1852年(嘉永5年)に白井一之(いっし)が、自家本として刊行したもの。 |
俳文集 | ||||
1823年 | 富嶽三十六景 | 葛飾北斎 初版の制作が始まる。1831年に開版、同4年(1833年)に完結する。 |
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1853年 | 黒船来航 | 浦賀にペリー来航。 | |||||
1859 | 種の起源 | ダーウィン(1809-1882。イギリスの自然科学者。地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築) 自然選択によって、生物は常に環境に適応するように変化し、種が分岐して多様な種が生じると主張した。そしてこの過程を生存競争、適者生存などのフレーズを用いて説明した。 |
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1868年 | 五箇条の御誓文 | 3月 明治天皇が五箇条の御誓文。 | |||||
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