縄文時代 (BC1万年頃−BC300年頃) | ||||
BC 3500年頃 |
山内丸山遺跡 | 三内丸山遺跡は、今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。 既に巨大な木造建築が行われていました。 |
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BC3000頃 | エジプト文明 メソポタミア文明 |
ナイル川周辺にエジプト文明が興る。 チグリス・ユーフラテス川周辺にメソポタミア文明が興る。 |
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BC2500頃 | インダス文明 黄河文明 |
インダス川周辺にインダス文明が興る。 黄河周辺に黄河文明が興る。 |
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BC2000頃 | エーゲ文明 | ギリシャを中心にエーゲ文明が興る。 | ||
BC2000頃 | 夏王朝 | 中国最古と伝承される王朝。 | ||
BC1600頃 | 殷王朝 | 黄河中流・下流に殷王朝樹立。(商王朝ともいう) | ||
BC1000頃 | ギリシャ文明 | ギリシャ各地にポリスが形成された。 | ||
BC1000頃 | 周王朝 | 殷王朝の後に周王朝が樹立。(西周) | ||
BC770 | 春秋時代 | 周が都を洛邑(成周)へ遷都して東周となる。やがて春秋五覇へ。 五覇=斉の桓公、晋の文公以外は諸説有り。 春秋時代の諸国=鄭・斉・楚・宋・晋・秦・燕・魯・呉・越など |
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BC700頃 | 「イーリアス」 | ギリシャの吟遊詩人ホメ−ロスが、「イーリアス」と「オデュッセイア」を著したとされる。 | ||
BC700頃 | 「易経」 |
著者=伏羲(古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王) 陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。古代中国の哲学と宇宙観の集大成とされる。(この後順次四書五経が成立する) 四書五経 儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。五経を以て四書よりも高しとされる。 四書・・・「論語」「大学」「中庸」「孟子」 五経・・・「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」 |
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BC600頃 | 「書経」 | (尚書)政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集。 | ||
BC550頃 | 「諸子百家」 | 諸子百家の思想家が出る。 諸子=孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。 百家=儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派を指す。 |
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弥生時代 (BC500頃−AD260頃) | ||||
BC500年頃〜 | 弥生時代前期 | 稲作流入、クニの形成 | ||
BC500頃 | 「旧約聖書」 |
ユダヤ教の教えを説いたもの。 |
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BC500頃 | 「老子」 |
老子(生没年不明)の語録。道教の中心思想となる。 道教:漢民族の土着的・伝統的な宗教。道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。 |
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BC500頃 | 「春秋」 | 儒教では、孔子の手が加わった、もしくは孔子が作ったとされる。魯国の年次によって記録された、中国春秋時代に関する編年体の歴史書。BC722ーBC481までの歴史書。 | ||
BC473 | 呉越抗争 | 越が呉を滅ぼす。 | ||
BC470頃 | 「詩経」 | 編集=孔子?(孔子刪詩説) 漢詩の祖型。西周時に歌われていた民謡や廟歌を、孔子が編集したとされる。当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおした。 |
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BC450頃 | 「論語」 | 孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物。 儒教思想の中心となる。512の短文が全20編で構成されている。 孔子(BC551−BC479。魯国の生まれ) 根本義は「仁」であり、仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた。 |
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BC440頃 | 「歴史」 | ヘロドトスが全9巻の「歴史」を著した。 | ||
BC430頃 | 仏教成立 | 仏陀の教えが体系化され、仏教成立。 | ||
BC430頃 | 「大学」 | 著者=曾子(そう し BC506−没年不詳。孔子の弟子) もともとは、『礼記』の第四十二に位置する篇一章を独立させたもの。「明明徳」「親民」「止至善」の三綱領など、道徳と政治を説いている。 |
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BC430頃 | 「中庸」 | 著者=子思(しし、紀元前483?-紀元前402?) もともと『礼記』中の一篇、すなわち礼記中庸篇として伝えられてきたものを子思が纏めたという説がある。 |
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BC403 | 戦国時代 | 春秋時代から戦国時代へ。晋が韓・魏・趙の3つの国に分かれる。戦国の七雄(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓) | ||
BC350頃 | 「ソクラテスの弁明」 | 著者=プラトン(BC427−BC347。ギリシャ哲学の中核) その他の著書として「国家」、「クリトン」、「饗宴」、「政治家」など。 |
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BC300頃 | 「孟子」 | 編者=孟子(BC372年?−BC289年)、公孫丑・萬章ら。 孟子の引退後に、弟子の公孫丑・萬章らと共に問答を集め、また規則の言葉を選んで編集した。 性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。 |
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BC300頃 | 「荘子」 | 編者=荘子及び後世の弟子。内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇。 荘子(BC369−BC286) 道教の始祖の一人とされる。老子には政治色が色濃いのに比べ、荘子は徹頭徹尾俗世間を離れ無為の世界に遊ぶ姿勢になっている違いがある。無為自然を基本とし、価値や尺度の相対性を説き、逆説を用い、日常生活における有用性などの意味や意義にたいして批判的。 |
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BC334 | 越、滅亡 | 楚が越を滅ぼす。 | ||
BC221 | 秦、中国統一 | 秦の始皇帝が中国を統一。 | ||
BC200年頃〜 | 弥生時代中期 | |||
BC 200年頃 |
池上曽根遺跡 | 大阪府和泉市、池上曽根遺跡周辺に人が暮らし始める。 以後環壕集落を形成。 AD150年頃、池上曽根遺跡衰退。 |
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BC 200年頃 |
吉野ヶ里遺跡 | 佐賀県吉野ヶ里に人が暮らし始める。 AD100年頃、環壕集落が作られる。 AD100年頃、吉野ヶ里最盛期。(約60ha ) AD250年頃、吉野ヶ里衰退。 |
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BC206 | 秦、滅亡 | 陳勝・呉広の乱が広まり、秦滅亡。 | ||
BC202 | 前漢成立 | 劉邦が漢王朝を樹立。 | ||
BC 100年頃 |
唐古・鍵遺跡 | 奈良県磯城郡、唐古・鍵遺跡周辺に人が暮らし始める。 以後環壕集落を形成。(約20ha) AD150年頃、唐古・鍵遺跡は衰退する。 その後、まき向遺跡周辺に移行したものと考えられています。 |
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BC97 | 「史記」 | 司馬遷(BC145/135−BC87/86) 中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書。正史の第一に数えられる、二十四史のひとつ。伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までを記載。 |
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BC48 | ガリア戦記 | ジュリアス・シーザー(BC100−BC44。共和政ローマ期の政治家、軍人) ガリア戦争の遠征記録。文中の所々にガリア人・ゲルマン人の風俗についての記述がある。 |
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BC27 | ローマ帝国成立 | 帝政ローマ。オクタビアヌス(カエサルの養子)がアウグスツスの称号を受け、初代ローマ皇帝となる。 | ||
紀元前後 | ||||
4 | キリスト誕生 | |||
25 | 後漢成立 | 光武帝が後漢を樹立。 | ||
AD50年頃〜 | 弥生時代後期 | 稲作の定着、小国家(部族国家)形成、倭国大乱、邪馬台国 | ||
57年 | 金印受領 | 倭の奴国王、後漢の光武帝より金印受領 | ||
107年 | 倭面土国王「帥升」 | 倭面土国王「帥升」等、後漢「安帝」に遣使し、生口(せいこう:奴隷)を献ずる。【後漢書東夷伝より】 | ||
150年頃 | 妻木晩田最盛期 | 妻木晩田の人口増加。 総面積170haに及ぶ日本最大級の環壕集落・遺跡群。 中でも、仙谷1号墳は1辺約15m、高さ2mの最大の四隅突出型墳丘墓。 |
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150年頃 | 出雲王朝発展期? | この頃、出雲に四隅突出型墳丘墓が広まる。 出雲地方の発展期とも考えられています。 |
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150年頃 | 纒向遺跡 | 奈良県櫻井市、纒向(まきむく)遺跡周辺に村落が形成される。 200年代中半頃最盛期を迎える。(約400ha) 200年代後半に衰退するが。大和政権の母胎と考えられている。 |
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158年 | 皆既日蝕 | 有史以来初の皆既日食。 | ||
180年頃 | 倭国大乱 | 倭国大乱の時期には諸説在ります。 @【後漢書東夷伝】より:147年−189年 A【梁書】より:178年−183年 |
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184 | 黄巾党の乱 | 中国で大規模な民衆の反乱。 | ||
200年頃 | 吉野ヶ里遺跡 | 国内最大級の環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつようになります。 特に北内郭では大型の建物が登場し、吉野ヶ里の最盛期にあたります。 |
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220 | 後漢滅亡 | この後、魏・呉・蜀の三国時代となる。 | ||
239年 | 卑弥呼、魏へ朝献 | 魏から「親魏倭王」の金印、銅鏡(三角縁神獣鏡)100枚を送られる。 | ||
248年 | 卑弥呼死去 | 248年9月5日、有史以来2回目の皆既日食。 この直後に何らかな形(殺害?)で卑弥呼は死亡したと考えられています。 |
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250年頃 | 妻木晩田衰退 | 妻木晩田衰退。 | ||
260年頃 | 箸墓古墳 | 最古の古墳と言われる箸墓が作られる。 | ||
265 | 「西晋」建国 | |||
266年 | 「壱与」西晋に遣使 | 卑弥呼の後継女王、「壱与」が西晋に遣使する。 | ||
古墳時代 (AD300年頃−600年頃) | ||||
300年頃〜 | 古墳時代前期 | 大和朝廷成立期 | ||
300年頃 | 大和朝廷成立? | AD300年頃に、大和朝廷の基盤が出来たと考えられています。 また、第十代崇神天皇は、この頃崩御(318年)されたという説も在りますが、定かではありません。 |
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316 | 「西晋」滅亡 | |||
317 | 「東晋」建国 | |||
346 | 「百済」建国 | 朝鮮半島に百済興る。 | ||
350年頃 | 大和朝廷全国統一 |
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350年頃 | 出雲王朝衰退 | 出雲地方の衰退。 この頃より前方後方墳が普及し、出雲特有の四隅突出型墳丘墓が衰退。 大和政権が出雲を勢力下に置き始めたと考えられています。 |
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356 | 「新羅」、建国 | 朝鮮半島で新羅が建国。 | ||
372年 | 七支刀 | 百済王が倭国に七支刀を送った。 | ||
375 | ゲルマン民族大移動 | ゲルマン民族がローマへ移動。 | ||
391年 | 倭国朝鮮出兵 | 倭国が朝鮮に出兵する 【好太王の碑文より】 | ||
この後、15代応神天皇が即位したいう説もあります。(394年) | ||||
395 | ローマ帝国分裂 | ローマが西ローマ帝国、東ローマ(ビザンツ)帝国に分裂。 | ||
400年頃〜 | 古墳時代中期 | 倭の五王の時代 16代仁徳天皇に始まり、倭の五王が大和の中心となる。 この頃から河内、大和に巨大古墳が造られる。 |
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400年頃 | 吉備の古墳群 | 吉備地方に巨大な前方後円墳が造られる。 400年代前半:造山古墳(全長350m、全国第4位) 400年代中頃:作山古墳(全長286m、全国第9位) 400年代後半:両宮山古墳(全長192m) |
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420 | 「東晋」、滅亡 | 以後、南北朝時代になる。 | ||
421年 | 倭王「讃」 | 倭王「讃」が、宋に使者を送る。 倭の五王の時代 1.讃(さん)王 2.珍(ちん)王 3.済(せい)王 4.興(こう)王 5.武(ぶ )王 |
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438年 | 倭王「珍」即位 | 『讃』死す。 弟の『珍』が王位に立ち、宋に朝貢する。安東将軍・倭国王の称号を賜る。 【宋書より】 |
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443年 | 倭王「済」即位 | 『珍』死す。 『済』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書より】 『済』は第19代允恭天皇説が有力。 |
||
462年 | 倭王「興」即位 | 『済』死す。子の『興』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書より】 『興』は第20代安康天皇説が有力。 |
||
471年 | 稲荷山鉄剣碑文 | 碑文の内容から、この頃雄略天皇の時代には、関東から熊本まで大和朝廷の権力が及んでいたと考えられる。 | ||
478年 | 倭王「武」即位 | 『興』死す。弟の『武』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書】(以後朝貢途絶える) 『武』は、第21代雄略天皇説が有力。 |
||
500年頃〜 | 古墳時代後期 | 豪族の台頭 | ||
506年 | 26代継体天皇即位 | 大伴氏がこれを支援。 | ||
512年 | 四県割譲 | 大連大伴金村が、百済へ任那の四県を割譲し、新羅の反発を買う。 | ||
527年 | 磐井の反乱 | 筑紫国造磐井の乱を、物部あらかびが鎮圧。 | ||
531年 | 辛亥の変 | 欽明天皇(蘇我氏支持)と安閑・宣化天皇(大伴・物部氏支持)の二朝対立。 大伴氏失脚し、以後、物部氏が権力の中枢を握る。 |
||
535年 | 29代欽明天皇即位 | |||
532 | 伽耶国滅亡 | 朝鮮半島の伽耶国が滅亡。 | ||
538年 | 仏教伝来 | 百済から仏教が伝わる(552年の説もある)。 | ||
545年頃 | 帝紀・旧辞 | 欽明朝の前後に、帝紀・旧辞の編纂が始まる。 | ||
562年 | 任那滅亡 | 新羅が任那を滅ぼす。 | ||
581 | 「隋」、建国 | 楊堅が隋を建国し、都を長安に定めた。 | ||
587年 | 丁未の変 | 蘇我馬子との争いにより物部守屋死亡。これにより物部氏衰退。 | ||
飛鳥時代 (592年−710年) | ||||
600年頃〜 | 飛鳥時代 | 中央集権制の萌芽 豪族の連合政権(氏姓制度)から、朝廷(天皇家と蘇我氏)を中心とした中央集権制が進む。 |
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592年 | 33代推古天皇即位 | 蘇我馬子が、第32代崇峻天皇がを暗殺。第33代推古天皇即位。 | ||
593年 | 聖徳太子摂政 | 聖徳太子が摂政となる(593年−622年)。難波四天王寺創建。 | ||
594年 | 仏教興隆の詔 | |||
603年 | 官位一二階 | 氏姓制度の崩壊の兆しとなる。 | ||
604年 | 憲法一七条 | 聖徳太子が憲法一七条を制定。 | ||
607年 | 法隆寺創建 | 聖徳太子が法隆寺を創建。国ごとに屯倉を置く。 | ||
607年 | 遣隋使 | 聖徳太子が小野妹子を隋に派遣。 | ||
608年 | 斐世清来日 | 小野妹子、隋使「斐世清」を伴い帰国。斐世清、大王「天足利思彦」に謁見。 | ||
610 | イスラム教 | ムハンマド(モハメット)がイスラム教を開く。 | ||
618 | 隋滅亡、唐建国 | 李渕が唐を建国し、高祖となった。 | ||
620年 | 国記、天皇記 | 聖徳太子、蘇我馬子が「国記」、「天皇記」の編纂を行う。 | ||
622年 | 聖徳太子死去 | 聖徳太子死去、49歳。没年には異論も在り。 | ||
626年 | 蘇我馬子死去 | 奈良県「石舞台」に埋葬される。 | ||
628年 | 34代舒明天皇即位 | |||
630年 | 第一回遣唐使 | 犬上御太鋤らを唐に派遣。 | ||
631年 | 百済王子「豊璋」 | 百済王子「豊璋」、人質として来日。 | ||
641年 | 35代皇極天皇即位 | |||
643年 | 上宮王家滅亡 | 蘇我入鹿に襲撃された山背大兄王が斑鳩の宮で自殺。 これにより聖徳太子の血筋が完全に途絶えた。 |
||
645年〜 | 白鳳時代 | 律令制準備 国史編纂開始 白鳳文化の発展 万葉歌人 | ||
645年 | 大化改新 | 中大兄皇子、藤原鎌足が蘇我入鹿を暗殺(乙巳の変)。 直後に蘇我蝦夷自殺。この時、国記、天皇記喪失。 |
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645年 | 36代孝謙天皇即位 | 難波京遷都。 | ||
652年 | 班田収受の法 | 租・庸・調の新しい税制の開始。公地公民制の始まり。 口分田 租:収穫の3%の稲。 庸:織物、地方の特産物。 調:労役の代わりの布。 雑徭:律令制下での労役の形態を取る租税制度。 |
||
655年 | 37代斉明天皇即位 | 飛鳥岡本宮遷都。各種の外征政策を行う。 | ||
658年 | 蝦夷討伐 | 阿倍比羅夫が蝦夷討伐。 | ||
659年 | 出雲大社修築 | 37代斉明天皇の命により出雲大社の神殿を修築。 | ||
660 | 百済滅亡 | |||
663年 | 白村江の戦い | 日本、百済の連合軍が、等、新羅の連合軍に大敗する。 以後日本は朝鮮から撤退。 |
||
664年 | 水城 | 筑紫に水城を造る。 | ||
667年 | 近江大津宮遷都 | 近江大津宮に遷都。 | ||
668年 | 38代天智天皇即位 | 称制を止め、天智天皇即位。 | ||
668年 | 近江令制定 | 日本国で最初の法典。 | ||
670年 | 法隆寺炎上 | 法隆寺炎上。全焼したと伝えられています。 | ||
670年 | こう午年籍 | 最初の全国的な戸籍。 | ||
671年 | 近江令施行 天智天皇崩御 |
近江令施行。 この直後、天智天皇逝去。 |
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672年 | 壬申の乱 | 大海人皇子(後の天武天皇)が、大友皇子(39代弘文天皇)を近江にて攻め滅ぼす。 | ||
672年 | 38代天武天皇即位 | |||
676 | 新羅朝鮮半島統一 | |||
681年 | 飛鳥浄御原令 | 第40代天武天皇を中心に、近江令を改訂した飛鳥浄御原令を制定し、律令制に着手。 この時、「帝記」、「上古の諸事」を元に国史編纂にも着手。 |
||
683年 | 八色の姓 | 真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)の八つの姓の制度。 | ||
686年 | 天武天皇崩御 | 天武の死後、後の持統天皇が称制。 | ||
690年 | 41代持統天皇即位 | この後、持統天皇、藤原不比等らによって、律令、国史編纂が進められる。 | ||
691年 | 家伝没収 | 古事記、日本書紀の編集に際し、第41代持統天皇、藤原不比等の命により、16家、2神社の家伝・系図が没収された。 これにより、書記編纂以前の真実の歴史が隠蔽されたと考えられます。 @神社古文書 石上神社古文書、大神神社古文書 A系図 春日氏、大伴氏、佐伯氏、雀部氏、阿部氏、膳部氏、穂積氏、采女氏 羽田氏、巨勢氏、石川氏、平群氏、木角氏、阿積氏、藤原氏、上毛野氏 |
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694年 | 藤原京遷都 | 飛鳥浄御原から遷都。 | ||
697年 | 42代文武天皇即位 | |||
699年 | 役君小角配流 | 役君小角(役行者)を伊豆に配流。 | ||
701年 | 大宝律令 | 文武天皇のとき、刑部親王と藤原不比等らの編さんによる法典が完成。 | ||
707年 | 43代元明天皇即位 | |||
奈良時代 (710年−794年) | ||||
700年〜 | 律令国家 国史編纂 国家仏教 天平文化 | |||
710年 | 平城京遷都 | 都を奈良、「平城京」に移す。 | ||
712年 | 「古事記」 | 太安麻呂、稗田阿礼が古事記全3巻を撰上。 | ||
713年 | 風土記編纂の詔 | 元明天皇、諸国に風土記の編纂を命じる。 現存しているのは出雲・播磨・常陸・豊後・肥前の五カ国のものだけで、そのうち完本は『出雲国風土記』だけ。 |
||
715年 | 44代元正天皇即位 | |||
718年 | 養老律令 | 藤原不比等が養老律令を撰上。 | ||
720年 | 「日本書紀」 | 舎人親王、日本国史全30巻、系図1巻を撰上。正格漢文。編年体。(六国史−その1) | ||
720年 | 藤原不比等死去 | 不比等が死去し、政権は長屋王(天武天皇の孫)が握るようになった。 | ||
723年 | 三世一身の法 | 長屋王が施行。公地公民制の崩壊初期。 | ||
724年 | 45代聖武天皇即位 | 724年、聖武天皇が即位し、729年に藤原不比等の娘を皇后とする(光明皇后)。政権は再び藤原氏へ。(藤原四卿政権) 藤原武智麻呂(南家)−仲麻呂(恵美押勝) 藤原房前(北家)−−良房−基経−−忠平−−兼家−道長−頼道−−五摂家へ 藤原宇合(弐家)−広嗣−−百川−−薬子 藤原麻呂(京家) |
||
729年 | 長屋王の変 | 藤原宇合(うまかい)の謀略により長屋王が自殺。 | ||
733年 | 「出雲国風土記」 | ほぼ完全な形で現存する風土記。 | ||
737年 | 藤原四卿の死去 | 天然痘により、藤原四卿が相次いで死去。政権は橘諸兄に移った。 | ||
740年 | 藤原広嗣の乱 | 藤原広嗣(宇合の子)が、橘諸兄の勢力に対して太宰府で挙兵。 挙兵は失敗するが、中央政界に大きな衝撃を与えた。 |
||
741年 | 国分寺建立の詔 | 国分寺・国分尼寺の建設がはじまる。 | ||
743年 | 大仏造立の詔 | 仏教の鎮護国家思想が強まる。 | ||
743年 | 墾田永年私財の法 | 公地公民制の崩壊。 | ||
749年 | 46代孝謙天皇即位 | |||
751年 | 「懐風藻」 | 最初の漢詩集。(編者=淡海三船?山上憶良?) | ||
752年 | 大仏開眼 | 46代孝謙天皇、東大寺大仏開眼供養を行う。 | ||
754年 | 鑑真来日 | 唐招提寺建立。 | ||
756年 | 正倉院 | 東大寺に宝庫、「正倉院」が出来る。(校倉造) | ||
757年 | 橘奈良麻呂の変 | 藤原仲麻呂が、橘奈良麻呂のクーデターを防ぐ。政権は仲麻呂へ。 | ||
758年 | 47代淳仁天皇即位 | |||
759年 | 「万葉集」 | 選者:大伴家持ら。日本最初の和歌集。約4500首 | ||
764年 | 48代称徳天皇即位 | |||
764年 | 恵美押勝の乱 | 恵美押勝(藤原仲麻呂)が道鏡の勢力に対して挙兵。近江で敗死。 | ||
765年 | 道鏡太政大臣 | 道鏡が太政大臣禅師となる。その後法王へ。 | ||
769年 | 道鏡皇位事件 | 道鏡が、称徳天皇の後の皇位を継ごうとするが失敗。 | ||
770年 | 道鏡失脚 | 道鏡が下野(しもつけ)(栃木県)に流される。政権は藤原百川に移った。 | ||
770年 | 49代光仁天皇即位 | 天武朝の終焉。 | ||
781年 | 50代桓武天皇即位 | |||
784年 | 長岡京遷都 | 第50代桓武天皇が、都を京都、「長岡京」に移す。 | ||
787年 | 「日本霊異記」 | 僧、景戒による初の説話集。(昔話集) | ||
792年 | 健児制 | 軍団を廃し、健児を置く。(兵農分離) | ||
平安時代 (794−1192) | ||||
800年頃〜 | 平安前期 | 摂関政治(藤原時代)の始まり、弘仁貞観文化 | ||
794年 | 平安遷都 | 第50代桓武天皇が、都を京都、「平安京」に移す。 | ||
797年 | 坂上田村麻呂 | 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命された。 | ||
797年 | 「続日本紀」 | 藤原継縄・菅原真道らによる歴史書。 | ||
801年 | 蝦夷平定 | 坂上田村麻呂が蝦夷平定。 | ||
804年 | 平安仏教の黎明 | 最澄と空海が唐に渡る。 | ||
805年 | 最澄帰国 | 最澄(伝教大師)が唐より帰り、天台宗を伝える。比叡山に延暦寺を建てる。 最澄の死後、円仁、円珍が支える。(台密) |
||
806年 | 空海帰国 | 空海(弘法大師)が唐より帰り、真言宗を伝える。高野山に金剛峰寺を建てる。 その後、京都に東寺を与えられる。(東密) |
||
810年 | 藤原薬子の乱 | 藤原仲成・薬子姉妹の乱。以後、藤原弐家没落。 | ||
816年 | 令外の官 | 蔵人、検非違使の設置。 | ||
822年 | 「日本霊異記」 | 僧、景戒が、最古の仏教説話集「日本霊異記」を著す。 | ||
827年 | 弘仁格式編纂 | 大宝律令制定後の格と式をまとめた。 | ||
858年 | 56代清和天皇 | |||
858年 | 藤原良房摂政 | 摂関政治の始まり。 | ||
870年頃 | 国風文化の萌芽 | この頃より国風文化が栄える。 この後、「竹取物語」、「伊勢物語」などが著される。 |
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887年 | 藤原基経関白 | 摂関政治の始まり。 | ||
889年 | 59代宇田天皇 | |||
893年 | 滝口の武士 | 滝口の武士を設置し、宮中を警護。 | ||
894年 | 遣唐使廃止 | 菅原道真の意見により遣唐使廃止。 | ||
897年 | 60代醍醐天皇 | 延喜の治 班田制の復活、延喜の荘園整理令、延喜の格式、古今和歌集編纂。 |
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900年頃〜 | 平安中期 | 藤原氏と天皇家の相剋、地方政治の乱れ、武士団の発生、国風文化の発達 | ||
900年前後 | 武士団の発生 | 800年後半から900年前半頃に武士団が発生。 やがて桓武平氏と清和源氏の二大棟梁の元に系列化していく。 桓武平氏:50代桓武天皇の曾孫、高望王が始祖。 清和源氏:56代清和天皇の孫、経基王が始祖。 |
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901年 | 道真流罪 | 菅原道真が、藤原氏によって大宰府に流される。 | ||
902年 | 延喜の荘園整理 | 醍醐天皇が藤原勢力対抗のため荘園整理。 | ||
903年頃 | 「竹取物語」 | 最初の物語。作者不詳(源順あるいは紀氏の一族という説も有る) | ||
904年頃 | 「伊勢物語」 | 在原業平を主人公とする恋愛物語。 | ||
905年 | 「古今和歌集編纂」 | 紀貫之らによる、最初の勅撰和歌集。 | ||
910頃 | 「竹取物語」 | 作者不詳(源順、紀貫之、あるいは紀氏の一族という説も有る) | ||
907 | 「唐」、滅亡 | 唐が滅亡し、この後約50年間、五代十国時代が続く。 | ||
930年 | 61代朱雀天皇 | この頃から荘園乱立。 | ||
935年 | 承平・天慶の乱 | 平将門が関東で反乱を起こす。最初の武士の反乱。 | ||
939年 | 承平・天慶の乱 | 藤原純友が瀬戸内で反乱を起こす。 この後、追捕使を設置 |
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940年 | 「将門記」 | |||
946年 | 62代村上天皇 | 天暦の治 乾元大宝鋳造、後撰和歌集編纂 |
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950年頃 | 浄土教の発達 | 阿弥陀如来に帰依して念仏(南無阿弥陀仏)を唱えることによって極楽浄土に往生出来るという教えが広まった。 空也(市聖):市にて念仏のくどくを庶民に布教した。 源信(恵心僧都):985年に「往生要集」を著す。 |
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950年頃 | 本地垂迹説 | 仏主神従の、神仏習合思想。 | ||
960 | 「宋」、建国 | 趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受け、宋を建国した。(960年−1279年) | ||
969年 | 安和の変 | 醍醐天皇の皇子、源高明が左遷される。 以後、藤原氏が政権独占。摂関政治の確立。 |
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970年 | 「口遊」 | 源為憲作。{雲太・和二・京三) | ||
985年 | 「往生要集」 | 源信(恵心僧都)が「往生要集」を著す。 | ||
986年 | 66代一条天皇 | |||
995年 | 藤原道長右大臣 | 藤原道長が右大臣となり、政治の実権をにぎる。 | ||
1000年頃〜 | 平安後期 | 藤原氏が政治権力を掌握。 | ||
1001年頃 | 「枕草子」 | 清少納言。わが国最初の随筆文学。枕草子は「をかしの文学」と言われる。 | ||
1008年頃 | 「源氏物語」 | 紫式部。源氏物語』は「あはれの文学」と呼ばれる。 | ||
1011年 | 67代三条天皇 | |||
1016年 | 68代後一条天皇 | |||
1016年 | 藤原道長摂政 | 藤原道長が摂政となる。(生涯、関白にはならず) | ||
1017年 | 藤原頼道摂政 | 藤原頼道が摂政となる。道長は太政大臣となる。 | ||
1030年頃 | 「栄花物語」 | 歴史書。作者不詳。全40巻。女性の手になる編年体物語風史書。59代宇多天皇の治世から起筆し、摂関権力の弱体化した73代堀川天皇寛治6年(1092)まで、15代約200年間の時代を扱う。藤原道長の死までを記述した30巻と、その続編としての10巻に分かれる。 | ||
1036年 | 69代後朱雀天皇 | |||
1045年 | 70代後冷泉天皇 | |||
1051年 | 前九年の役 | 陸奥の豪族安倍頼時・貞任親子が衣川柵(岩手県)で反乱を起こす。 源頼義・義家親子と出羽の豪族清原氏が討伐。 清原武則が鎮守府将軍となる。源氏の勢力が強くなる。 |
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1053年 | 平等院鳳凰堂 | 頼道が宇治に平等院鳳凰堂を建立。(寝殿造り) 阿弥陀如来像(定朝作) 阿弥陀来迎図 |
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1068年 | 71代後三条天皇 | 皇権回復運動、天皇親政を行う。藤原頼道は関白を退く。 院政の前駆形態となった。 |
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1069年 | 延久荘園整理令 | 記録書をもうけ、諸国の荘園整理。(荘園抑圧政策) | ||
1072年 | 72代白河天皇 | 院の蔵人所を置く。 | ||
1083年 | 後3年の役 | 清原武則の孫家衡・清衡の争いに関し、源義家が清衡に助成。 その後、清原清衡は摂関家と結んで藤原氏を名乗る。 |
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1086年 | 73代堀河天皇 | 白河天皇が譲位する。 | ||
1086年 | 院政開始 | 白河上皇が院政を始める。(天皇親政の復活) 摂政・関白はしだいに権力を失うようになる。 |
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知行国の制度 | 国司の上に知行国司を置く。 | |||
1095年 | 北面の武士 | 白河上皇が院の北面の武士を置く。(平氏) | ||
1100年頃〜 | 院政時代 | 院政(皇権と摂関家の争い)、武士勢力の台頭 | ||
1105年 | 中尊寺金色堂 | 藤原清衡が平泉に中尊寺を建てる。その後、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の栄華が続く。 | ||
1107年 | 74代鳥羽天皇 | |||
1120年頃 | 「大鏡」 | 歴史書。藤原道長の権勢とその由来を示した歴史物語。紀伝体。 四鏡 (@大鏡1120、A今鏡1170、B水鏡1195、C増鏡1339) |
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1120年頃 | 「今昔物語」 | 作者不詳。天竺(印度)、唐土(中国)、本朝(日本)の説話が収録され、最大の説話文学。 全31巻、1200話。 |
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1123年 | 75代崇徳天皇 | 保元の乱で崇徳上皇は讃岐へ流罪。 | ||
1131年 | 大山寺阿弥陀堂 | 伯耆の国大山寺阿弥陀堂 | ||
1141年 | 76代近衛天皇 | |||
1155年 | 77代後白河天皇 | |||
1156年 | 保元の乱 | 皇位をめぐって、崇徳上皇と後白河天皇が対立。 上皇側 : 崇徳上皇、左大臣藤原頼長、源為義、平の忠正 天皇側 : 後白河天皇、関白 藤原忠通、源義朝、平清盛 負けた崇徳上皇は讃岐へ流罪。 |
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1159年 | 平治の乱 | 後白河上皇の政治に不満を持った藤原信頼、源為義が挙兵。 しかし平清盛によって源為義は殺害され、三男頼朝は伊豆に流罪。 以後、平氏が政界における地位を確立。 |
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1164年 | 三十三間堂創建 | 後白河上皇の勅言によって三十三間堂創建。 | ||
1164年 | 平家納経 | 平清盛が、厳島神社に納経。 | ||
1167年 | 平氏全盛 | 平清盛、太政大臣となる。 | ||
1180年 | 富士川の戦い | 源頼朝、源(木曾)義仲が挙兵。 | ||
1184年 | 一の谷の戦い | 義経が一ノ谷で兵士を破る。平氏は西国へ敗走。 | ||
1185年 | 壇ノ浦の戦い | 壇ノ浦にて平氏滅亡。 | ||
1185年 | 守護・地頭 | 頼朝が諸国に守護地頭を置く。(これをもって鎌倉時代とする説が有力) | ||
1185年 | 82代後鳥羽天皇 | |||
1189年 | 源義経死去 | 平泉で藤原泰衡が義経を殺害。その後頼朝によって奥州藤原氏は滅ぼされた。 | ||
鎌倉時代 (1192−1335) | ||||
1200年頃〜 | 鎌倉時代 | 封建制度の確立 | ||
1192年 | 鎌倉幕府成立 | 源頼朝が鎌倉に幕府を開く。 御家人制、御恩(新恩給与、本領安堵)、奉公 初代:頼朝 2代:頼家 3代:実朝 |
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1096 | 第一回十字軍 | (1096-1270まで7回の十字軍) | ||
1206 | 「元」、建国 | チンギス・ハンがモンゴル帝国を建国。 | ||
1200年頃 | 鎌倉新仏教の発達 | 念仏系、法華系、禅宗系の新仏教が栄えた。 | ||
念仏系 @1175年 法然 浄土宗 (知恩院、選択本願念仏集) A1224年 親鸞 浄土真宗 (本願寺、教行信証、嘆異抄) B1274年 一遍 時宗 (清浄光寺、一遍上人語録) 法華系 @1253年 日蓮 日蓮宗 (久遠寺、立正安国論) 禅宗系 @1191年 栄西 臨済宗 (建仁寺、興禅護国論) A1227年 道元 曹洞宗 (永平寺、正法眼蔵) |
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1203年 | 執権政治 | 頼朝死去に伴い、北条氏に実権が移った。初代執権、北条時政 初代:時政 2代:義時 3代:泰時 8代:時宗 9代:貞時 14代:高時 |
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1205年 | 「新古今和歌集」 | 編者=藤原定家ら。 | ||
1219年 | 実朝暗殺 | 3代将軍源実朝が暗殺される。 | ||
1212年 | 「方丈記」 | 随筆。鴨長明作。隠者文学。無常の詠嘆。 | ||
1220年頃 | 「愚管抄」 | 歴史書。慈円が愚管抄を著す。 | ||
1221年頃 | 「宇治拾遺物語」 | 説話集。 | ||
1221年 | 承久の乱 | 後鳥羽上皇が、執権北条義時の追悼宣言を出す。 しかし北条泰時・時房の19万人の軍によって京都占領される。 後鳥羽上皇は隠岐に順徳上皇は佐渡へ、土御門上古は土佐へ流刑。 六波羅探題設置。公家勢力の衰退。 |
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1225年 | 連所・評定衆 | 執権の補佐として置く。 | ||
1232年 | 御成敗(貞永)式目 | 3代執権北条泰時が最初の武家法典、御成敗(貞永)式目を制定。 | ||
1235年頃 | 「百人一首」 | 藤原定家が選んだ天智天皇から順徳院までの「百人秀歌」をもとにした思われる。 | ||
1250年頃 | 「平家物語」 | 作者不詳。琵琶法師によって、平曲として語れた。 | ||
1265年頃 | 金沢文庫設立 | 北条実時が金沢文庫設立。 | ||
1274年 | 文永の役 | 第一回蒙古襲来。2万人。 | ||
1272年 | 皇室の分裂 | 88代後嵯峨上皇死去により皇統分裂。 89代後深草天皇:大覚寺統(北朝) 90代亀山天皇 :寺明院統(南朝) |
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1281年 | 弘安の役 | 第二回蒙古襲来。14万人。 | ||
1293年 | 鎮西(九州)探題 | 博多に鎮西(九州)探題設置。 | ||
1297年 | 永仁の徳政令 | 鎌倉幕府が徳政令を出し、御家人の困苦を救う。 | ||
南北朝時代 (1338−1392) | ||||
1300年頃〜 | 南北朝時代 | 動乱期 五山文化 | ||
1300頃 | ルネサンス | イタリアでギリシャ・ローマの文芸復興が始まった。 | ||
1317年 | 両統迭立 | 鎌倉幕府が、両統に対して交互に皇位に就く案を出すが失敗。 | ||
1318年 | 96代後醍醐天皇 | 大覚寺統の後醍醐天皇が皇位に就く。 | ||
1321年 | 院政廃止 | 後醍醐天皇が記録書を再興し、天皇親政を始める。院政、摂関廃止。 | ||
1324年 | 正中の変 | 後醍醐天皇が企てた1回目の倒幕計画。日野資朝、日野俊基と挙兵するが、資朝は佐渡に流罪。 | ||
1330年頃 | 「徒然草」 | 随筆。吉田兼好作。隠者文学。無常の美。 | ||
1331年 | 元弘の変 | 後醍醐天皇が2回目の倒幕計画を立てるも失敗。 楠正成は敗走。後醍醐天皇は、隠岐に流刑。 |
||
1333年 | 後醍醐天皇隠岐脱出 | 後醍醐天皇が隠岐を脱出し、名和長年らと船上山で挙兵。 足利尊氏が六波羅探題を討つ。新田義貞は鎌倉で挙兵。 |
||
1333年 | 鎌倉幕府滅亡 | 楠木正成、足利尊氏、新田義貞の加勢により、14代北条高時自殺。 | ||
1334年 | 建武の新政 | 天皇親政。しかし武士、公家の反感を買う。 | ||
1335年 | 中先代の乱 | 北条時行が鎌倉幕府の勢力回復を図って信濃で挙兵。足利忠直義の軍を破って一旦鎌倉を奪還。しかし尊氏に滅ぼされる。 | ||
1335年 | 足利尊氏の反乱 | 足利尊氏が鎌倉で建武政権に対し反旗を上げる。 | ||
1336年 | 竹ノ下の戦い | 尊氏が箱根の竹ノ下で新田義貞を破り入京。しかし北畠顕家に破れ、九州に敗走。 | ||
1336年 | 湊川の戦い | 尊氏が湊川(神戸市)で楠正成を破って入京。 | ||
1336年 | 南北朝の分立 | 足利尊氏、光明天皇を立てる(北朝)。ついで建武式目を制定。 後醍醐天皇は吉野へ逃れる(南朝)。 |
||
1338年 | 足利(室町)幕府 初代将軍足利尊氏 |
足利尊氏が征夷大将軍となり、京都に室町幕府を開く。 初代:尊氏 3代:義満 8代:義政 15代:義昭 しかし尊氏、直義兄弟の間で内紛が続いた。 |
||
1338年 | 南朝の衰退 | 1338年、新田義貞、北畠顕家戦死。1339年、後醍醐天皇死去。 | ||
1339年 | 「神皇正統記」 | 北畠親房が南朝の正当性を説く。三種の神器は南朝で確保。 | ||
1341年 | 天龍寺船 | 元との貿易。 | ||
1346年 | 天龍寺 | 後醍醐天皇の為に尊氏・直義兄弟が創建。 | ||
1349年 | 関東管領設置 | 関東管領をおき、足利基氏がこれに任じる。 このころ倭寇が中国の沿岸を荒らす。 |
||
1350年 | 観応の擾乱 | 尊氏VS直義の争乱。 | ||
1352年 | 直義毒殺 半済 | 尊氏が直良しを毒殺。 | ||
1360年頃 | 「太平記」 | 作者未詳。南北朝の争乱を著す。 | ||
1360年頃 | 「増鏡」 | 歴史書。(四鏡のC) | ||
1368年 | 3代将軍足利義満 | 足利義満が3代将軍になる。足利幕府内の内紛が収束。 | ||
1378年 | 花の御所 | 御所を室町に移す。 | ||
1368 | 「明」、建国 | 李鴻章が「明」を建国。 | ||
1383年 | 足利義満 | 足利義満が3代将軍となる。 | ||
1391年 | 明徳の乱 | |||
室町時代 (1392−1573) | ||||
1400年頃〜 | 室町時代 | 農業・商業の発達 北山文化 | ||
1392年 | 南北朝の統一 | しだいに北朝・幕府側の力が強まり、南朝側の武士は少なくなった。1392年、3代将軍足利義満は南朝と講和して京都で一つの朝廷になるようにした。 | ||
1392 | 「朝鮮」、建国 | 高麗滅び、李成桂が朝鮮建国(李氏朝鮮)。 | ||
1397年 | 金閣寺造営 | 3代将軍足利義満が北山に金閣寺を造営(北山文化) | ||
北山文化 | =金閣寺を中心にした豪奢な文化 建築:金閣寺(鹿苑寺) 芸能:観阿弥・世阿弥による能楽の大成。 宗教:臨済宗 |
|||
1399年 | 日朝貿易 | 対馬の宗氏が朝鮮と通交。 | ||
1401年 | 第1回遣明船 | 足利義満が明と貿易を始め、倭寇の取りしまりを約する。 | ||
1404年 | 日明(勘合)貿易開始 | 倭寇と区別するために正式の貿易船に勘合符という割札をもたせた。 | ||
1411年 | 日明貿易中断 | 4代義持は、明に臣従した日明貿易を一時中止。 | ||
1415年 | 琉球貿易開始 | 薩摩の島津氏を通じて琉球が入貢し、琉球貿易始まる。 | ||
1419年 | 応永の外寇 | 朝鮮が和冦の本拠地と見なした対馬を襲った。宗貞盛が撃退。 | ||
1428年 | 正長の土一揆 | 近江国の馬借が徳政令を要求して起こした、最初の大規模な一揆。 | ||
1429年 | 播磨の国一揆 | |||
1434年 | 日明貿易再開 | 6代義教は、明銭の必要性などから日明貿易再開。 | ||
1439年 | 足利学校再興 | 上杉憲実が足利学校を再興。 | ||
1441年 | 嘉吉の土一揆 | |||
1467年頃〜 | 戦国時代へ | 幕府の衰退、京都の荒廃、戦国大名の成長、東山文化、地方文化 | ||
1467年 | 応仁の乱 | 将軍家の継嗣問題、管領家の家督争いを発端に起こった全面的内乱。 東軍:細川勝元、足利義視 西軍:山名宗全、足利義政 両者が諸大名を率いて争う。 応仁の乱を契機にに下克上の世の中となり、戦国大名が誕生する。 |
||
1485年 | 山城の国一揆 | 山城国(京都府)で土着の武士と農民が、国内で争っていた守護大名を追い出し、8年間自治を行った。 | ||
1488年 | 加賀の一向一揆 | 加賀国(石川県)で一向宗門徒が、守護の富樫氏を追い出し、約100年間にわたって自治を行った。 | ||
1489年 | 銀閣寺造営 | 足利義政が京都東山に銀閣寺を建てる。 (東山文化) | ||
1491年 | 北条早雲 | 北条早雲、伊豆を占領。 | ||
1510年 | 三浦の乱 | 三浦の居留民と、朝鮮との間の争い勃発。以後、朝鮮貿易は衰退。 | ||
1517 | ルターの宗教改革 | マルチン・ルターが宗教改革。 | ||
1543年 | 鉄砲伝来 | ポルトガル人、種子島に漂着し、鉄砲を伝える。 | ||
1547年 | 日明貿易終了 | 細川氏、大内氏の没落に伴い日明貿易終了。 | ||
1549年 | キリスト教伝来 | フランシスコ・ザビエル、キリスト教を伝来。 | ||
1553年 | 川中島の戦い | 上杉健資と武田信玄が川中島で戦う。 | ||
1560年 | 桶狭間の戦い | 織田信長が、桶狭間にて今川義元を破る。家康自立する。 | ||
1567年 | 美濃攻略 | 信長が、斉藤龍興を破り岐阜進出。 | ||
1568年 | 信長の入京 | 信長が足利義昭を奉じて入京。「天下布武」の印象を用いる。 | ||
1570年 | 姉川の戦い | 信長が、浅井長政・朝倉義影を破る | ||
1571年 | 延暦寺焼き討ち | 延暦寺を焼き討ち。 | ||
1573年 | 室町幕府滅亡 | 信長が京都から足利義昭を追放し、足利幕府滅ぶ。 | ||
安土桃山時代 (1573−1603) | ||||
1573年頃〜 | 戦国→天下統一 | |||
1575年 | 長篠の戦い | 信長・家康連合軍が武田勝頼をやぶる。(これを機に鉄砲の威力が証明され戦の様式が変化していく)。 | ||
1576年 | 安土城築城 | 織田信長が近江に安土城を築城。 | ||
1577年 | 楽市楽座 | 信長が安土に楽市の制をしく。 | ||
1580年 | 石山本願寺との和睦 | 本願寺光佐(顕如)を退去させ、和睦。 | ||
1580年 | 鳥取城水攻め | 秀吉が鳥取城を水攻め。1581年落城。吉川経家は自刃。 | ||
1582年 | 遣欧少年使節団 | 大友、有馬、大村の3大名がローマ教皇のもとに少年使節団を送る。 | ||
1582年 | 本能寺の変 | 信長が京都の本能寺で明智光秀におそわれ、自刃。 | ||
1582年 | 山崎の戦い | 羽柴秀吉が明智光秀をやぶる。 | ||
1583年 | 賤ケ岳の戦い | 秀吉、柴田勝家を破る。 | ||
1583年 | 大阪城築城 | 秀吉が大阪城を築く。 | ||
1584年 | 南蛮貿易 | イスパニア船が平戸に来航。以後、ポルトガル、イスパニアと貿易。 | ||
1584年 | 小牧・長久手の戦い | 信長の子、織田信雄・家康連合軍と戦い和睦。 | ||
1585年 | 四国平定 | 長宗我部元親を破る。 | ||
1585年 | 関白就任 | 秀吉、関白。 | ||
1586年 | 太政大臣 | 秀吉、太政大臣。豊臣姓となる。 | ||
1587年 | 九州平定 | 秀吉が島津氏を討って九州を従える。 | ||
1587年 | 聚楽第 | 城郭風邸宅を京都に建築。 | ||
1587年 | バテレン追放令 | キリスト教禁止、宣教師の国外追放。 | ||
1588年 | 刀狩り | 農民から刀・やり・鉄砲などを取り上げ、農民が武器を持つことを禁止する。 | ||
1590年 | 全国を統一 | 豊臣秀吉が小田原の北条氏政を破る。全国を統一。 | ||
1591年 | 千利休自殺 | |||
1591年 | 3ヶ条の朱印状 | 身分変更の禁止令。 | ||
1592年 | 人掃令 | 秀次が戸数・人数を調べた。身分確定を推し進める結果となった。 | ||
1592年 | 朱印船貿易 | 正規の商船には朱印状を与えた。 | ||
1592年 | 文禄の役 | 秀吉が朝鮮出兵を命ずる。15万人の軍。 | ||
1594年 | 太閤検地 | 秀吉が全国にわたり検地を行う。 | ||
1597年 | 慶長の役 | 秀吉が再び朝鮮に出兵する。 | ||
1598年 | 秀吉逝去 | 豊臣秀吉が死亡。 | ||
1600年 | 慶長5 | 関ヶ原の戦い | 徳川家康と豊臣方の戦い。 東軍:徳川家康 西軍:石田三成、毛利輝元 |
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1603年 | 歌舞伎 | この頃、出雲(島根県)の阿国が歌舞伎踊りを始める。 | ||
江戸時代 (1603年−1868年) | ||||
1600年頃〜 | 江戸時代前期 | 幕藩体制の基礎作り (初代家康−5代綱吉) | ||
1603年 | 江戸幕府 | 徳川家康、征夷大将軍。江戸に幕府を開く。 | ||
1605年 | 2代徳川秀忠 | 徳川秀忠が2代将軍になり、家康は大御所となる。(1605-1623) | ||
1613年 | キリスト教禁教令 | 全国にキリスト教禁教令。 | ||
1614年 | 鐘銘事件 | 方広寺の鐘銘をめぐって家康が豊臣を断罪。 | ||
1614年 | 大阪冬の陣 | 家康が大阪城の豊臣秀頼を攻める。 | ||
1615年 | 大阪夏の陣 | 豊臣氏が徳川氏に滅ぼされる。 直後より幕藩体制の基礎作りが行われた。 |
||
武家諸法度 | 武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める。 | |||
1620年 | 桂離宮 | 桂離宮創建。 | ||
1623年 | 3代徳川家光 | 徳川家光が3代将軍になり、幕府の官僚政治体制が整う。(1623-1651) | ||
1624年 | 日光東照宮陽明門 | 日光東照宮陽明門完成。 | ||
1635年 | 鎖国令 | 日本人の海外渡航を禁じ、御朱印船を廃止する。 | ||
1635年 | 参勤交代 | 大名は1年毎に江戸に出て、将軍に仕える。妻子は江戸住まい。 | ||
1636年 | 出島の構築 | 長崎に出島を構築。 | ||
1637年 | 島原の乱 | 小西行長の遺臣、益田好次の子で16歳の天草四郎時貞を盟主とするキリシタン浪人が、農民層を駆り立てて蜂起させた土一揆。 | ||
1639年 | 鎖国の強化 | ポルトガル船来航禁止。以後、オランダ、中国(清)のみと交易を行う。 | ||
1641年 | 鎖国の完成 | オランダ商館を平戸から長崎の出島に移す。 | ||
1642年 | 参勤交代 | 諸大名に参勤交代を命じる。 | ||
1643年 | 田畑永代売買の禁 | 田畑の売買を禁じ、階層分化が厳しくなることを禁じた(1872年まで続く) | ||
1644 | 「清」建国 | 明が滅亡し、清建国。 | ||
1647年 | 赤絵焼き | 酒井田柿右衛門が「赤絵焼き」に成功。 | ||
1649年 | 慶安の御触書 | 農民の生活制限の集大成と言うべき慶安の御触書が出される。 年貢徴収の確立。 |
||
1649 | 清教徒革命 | イギリスで清教徒革命 | ||
1651年 | 4代徳川家綱 | 文治政治を行う。(1651-1680) | ||
1651年 | 慶安の変 | 由井正雪を首謀者とする浪人たちがくわだてた幕府批判の反乱未遂事件。 | ||
1657年 | 明暦の大火 | 江戸城本丸焼失。翌年再建。 | ||
1663年 | 殉死禁止令 | 殉死が禁止された。 | ||
1665年 | 証人の制を廃止 | 幕府に差し出す人質の制が解除された。 | ||
1665年 | 「正教要録」 | 古学者、山鹿素行が「正教要録」を著す。 | ||
1666年 | 「オランダ風説書」 | |||
1670年 | 「本朝通鑑」 | 幕府が林羅山らに命じて作らせた歴史書。 | ||
1671年 | 東廻り航路 | 河村瑞軒が東回り航路をひらく。 | ||
1672年 | 西廻り航路 | 河村瑞軒が西回り航路をひらく。 | ||
1678年 | 和事 歌舞伎 | 大阪で、坂田籐十郎が歌舞伎を確立。 | ||
1680年 | 5代徳川綱吉 | 徳川綱吉が5代将軍となる。 補佐=初期:大老堀田正俊→後期:側用人柳沢吉保。 |
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1682年 | 「好色一代男」 | 井原西鶴が「好色一代男」を著す。(浮世草子の初め) | ||
1684年 | 貞享暦 | 渋川春海が貞享暦を献ず。春海、幕府天文方となる。 | ||
1687年 | 生類憐れみの令 | 綱吉が生類憐れみの令を発令。(1709年まで繰り返し布令) | ||
1689年 | 「奥の細道」 | 松尾芭蕉が「奥の細道」を著す。 | ||
1690年 | 湯島聖堂 | 湯島聖堂落成。 | ||
1692年 | 「世間胸算用」 | 井原西鶴が「世間胸算用」を著す。 | ||
1696年 | 「農業全書」 | 宮崎安貞が「農業全書」を著す。 | ||
1700年頃〜 | 江戸時代中期 | 改革の時代 (6代家宣−10代家治) | ||
1700年頃 | 元禄文化 (元禄時代 1688-1704) |
1688年から1704年の元禄年間前後に栄えた文化。 文学 松尾芭蕉「奥の細道」(1689年) 近松門左衛門「曽根崎心中」(1703年) 井原西鶴「好色一代男」(1682年)、「世間胸算用」(1692年) 古学 山鹿素行、荻生そ来 陽明学 中江藤樹、熊沢蕃山 朱子学 林羅山、新井白石 美術 俵屋宗達、尾形光琳、菱川師宣 |
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1702年 | 赤穂浪士討ち入り | 赤穂浪士47人が吉良邸へ討ち入り。 | ||
1703年 | 「曽根崎心中」 | 近松門左衛門が「曽根崎心中」を著す。 | ||
1707年 | 富士山噴火 | 富士山が大爆発し関東一円に灰を降らす。(宝永の大噴火) | ||
1709年 | 6代徳川家宣 | 家宣が6代将軍となる。 柳沢吉保を退け、側用人として真部あき房、新井白石を登用。生類憐れみの令を廃止。 |
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正徳の治 | 新井白石の政治始まる。貨幣の改鋳,長崎貿易の制限。 | |||
1710年頃 | 寺子屋普及 | この頃、寺子屋が普及する | ||
1715年 | 「西洋記聞」 | 新井白石が「西洋記聞」を著す。 | ||
1716年 | 8代徳川吉宗 享保の改革 |
徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革を行う。 倹約令を出し、幕府財政の立て直しを試みた。 |
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1717年 | 大岡忠相 | 大岡忠相が江戸町奉行に就任する。 | ||
1720年 | 「大日本史」 | 水戸家が「大日本史」を幕府に献ず。 | ||
1721年 | 目安箱 | 評定所の門前に毎月3回、目安箱を置いて人々の不満をきく。 | ||
1721年 | 「六諭行儀大意」 | 古学者、荻生そ来が「六諭行儀大意」を刊行。 | ||
1722年 | 上米の制 | 上げ米の制をもうけ、参勤交代をゆるめる。 これは、大名の江戸滞在を半年(それまでは1年)とするかわりに、石高1万石につき100石の割合で米をさし出させるようにした制度。(1730に廃止) |
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1724年 | 懐徳堂 | 大阪尼崎に大坂の商人たちが設立した学問所である懐徳堂を設立。 | ||
1727年 | 青木昆陽 | 青木昆陽がさつまいもの栽培をはじめる。 | ||
1729年 | 「心学」 | 石田梅岩が「心学」を唱える。 | ||
1732年 | 享保の大飢饉 | 西日本を中心に約1万人の死者が出た。 | ||
1742年 | 公事方御定書 | 公事方御定書(刑法の部)を定める。 | ||
1748年 | 「仮名手本忠臣蔵」 | 竹田出雲・三好松洛・並木千柳らが「仮名手本忠臣蔵」を著す。 | ||
1755年 | 「自然真営道」 | 安藤昌益が「自然真営道」を説く。 | ||
1758年 | 宝暦事件 | 武内式部が尊王論を説いて追放となる。 | ||
1760年 | 10代徳川家治 | 徳川家治が10代将軍となる。 | ||
1765年 | 錦絵 | 鈴木春信が錦絵を発明。多色刷り版画が始まる。 | ||
1767年 | 田沼意次側用人 | 田沼意次が側用人になる。 | ||
1767年 | 明和事件 | 山形大弐が尊王をを腫脹して死刑になる。 | ||
1772年 | 田沼意次老中 | 田沼意次、老中となる。 商業資本を幕府の元に統制使しようと模索したが、金権政治を招来した。 |
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1774年 | 「解体新書」 | 杉田玄白・前野良沢らが「解体新書」を著す。 | ||
1776年 | 「雨月物語」 | 上田秋成が「雨月物語」を著す。 | ||
1776年 | 平賀源内 | 平賀源内がエレキテル(発電機)をつくる。 | ||
1776 | 合衆国独立宣言 | |||
1779年 | エレキテル | 平賀源内がエレキテルの研究。 | ||
1782年 | 「群書類従」 | 塙保己一が日本の古書を集大成した「群書類従」を著す。 | ||
1783年 | 「蘭学階梯」 | 大槻玄沢が「蘭学階梯」を著す。 | ||
1783年 | 浅間山噴火 | 死者役2000名を出す。 | ||
1783年 | 天明の太飢饉 | 奥羽より全国に及ぶ大飢饉(1783-1788) | ||
1784年 | 田沼意知暗殺 | 若年寄田沼意知が、江戸城内で、旗本、佐野政言に暗殺された。 | ||
1786年 | 田沼意次失脚 | 家治の死去と共に田沼意次失脚。 | ||
1787年 | 11代徳川家斉 | 徳川家斉が11代将軍となる。 | ||
1787年 | 天明の打ち壊し | 奥羽より全国に及ぶ。 | ||
1787年 | 寛政の改革 | 松平定信が老中筆頭になり、寛政の改革を行う。 農村の復興、旗本ご家人の生活難の救済が行われた。 |
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1789年 | 帰えん令 | 旗本御家人の負債を免ずる。 | ||
1789 | フランス革命勃発 | フランスでバスティーユ牢獄が襲撃され、フランス革命が勃発。 | ||
1790年 | 寛政異学の禁 | 朱子学以外の学問が禁止された。 | ||
1791年 | 「開国兵談」 | 林子平が「開国兵談」を出版。翌1792年に弾圧を受ける。 | ||
1792年 | ラクスマン来日 | ロシアの使節ラクスマン中尉が根室に来る。 伊勢の船頭「大黒屋光太夫」がロシアより帰国。 |
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1793年 | 和学講習所 | 塙保己一が、和学講習所を建てる。 | ||
1798年 | 「古事記伝」 | 本居宣長が「古事記伝」を著す。(ますらおぶり) | ||
1798年 | 千島列島調査 | 近藤重蔵・間宮林蔵が千島列島を調査。 | ||
1800年頃〜 | 江戸時代後期 | 1800年前後の化政文化を頂点に、以後徳川幕府が衰退する時期 (11代家斉−15代慶喜) |
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1800年頃 | 化政文化 | 文化・文政年間前後に栄えた文化を化政文化と言います。 文学 俳人・小林一茶「おらが春」、「一茶発句集」 十返舎一九「東海道中膝栗毛」(1802年) 式亭三馬「浮き世風呂」、「浮き世床」 滝沢馬琴「南総里見八犬伝」を著す。(1814年) 国学 本居宣長「古事記伝」(1798年) 美術 日本画家 : 丸山応挙 浮世絵 : 喜多川歌麿、葛飾北斎、安藤広重 |
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1802年 | 「東海道中膝栗毛」 | 十返舎一九が「東海道中膝栗毛」を著す。 | ||
1804年 | レザノフ来日 | ロシアの使節レザノフが長崎に来る。 | ||
1805年 | 関東取締出役 | 各地を巡回して治安の維持を図る。 | ||
1808年 | フェートン号事件 | 長崎港にイギリス軍艦「フェートン号が進入。オランダ人2名を拉致。 | ||
1809年 | 間宮林蔵 | 間宮林蔵が樺太を探検し、間宮海峡を発見。 | ||
1809年 | 「浮世風呂」 | 式亭三馬が「浮世風呂」を著す。 | ||
1811年 | ゴローニン事件 | ロシア軍艦艦長ゴローニンを捕縛。 | ||
1811年 | 蛮書和解御用の設置 | 幕府天文方に蛮書和解御用を設置し、蘭学書の翻訳出版を進めた。 その後、蛮書和解御用→蛮書調所→開成所 へと発展。 |
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1814年 | 「南総里見八犬伝」 | 滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」を著す。 | ||
1815年 | 「蘭学事始」 | 杉田玄白が「蘭学事始」を著す。 | ||
1818年 | 文政金銀鋳造 | 貨幣の質を落として年間50万両を産出。 | ||
1821年 | 「大日本沿海輿地全図」 | 伊能忠敬が「大日本沿海輿地全図」を完成する。 | ||
1825年 | 外国船打払い令 | 幕府が「外国船打払い令」を出す。 | ||
1827年 | 寄場組合 | 関東取締出役の下部組織「寄場組合」を作って村々の治安維持。 | ||
1828年 | シーボルト事件 | シーボルト帰国の荷物から禁制品の日本図書が発見され幽閉される。 | ||
1832年 | 「富嶽三十六景」 | 葛飾北斎の「富嶽三十六景」ができる。 | ||
1833年 | 「東海道五十三次」 | 歌川広重の「東海道五十三次」ができる。 | ||
1836年 | 天保の大飢饉 | 寛永・享保・天明に続く江戸四大飢饉の一つで、、救済者は70万人を超えた。。大塩平八郎の乱の原因にもなった。 | ||
1837年 | 12代徳川家慶 | |||
1837年 | 大塩平八郎の乱 | 大阪で陽明学者で大阪奉行所のもと役人の「大塩平八郎」が、貧しい人々を救おうとして奉行所に申し入れたが聞き入れられず、兵をあげた。 | ||
1837年 | モリソン号事件 | アメリカ船モリソン号が漂民を伴い浦賀に入港。しかし幕府は撃退する。 | ||
1838年 | 適塾 | 蘭法医・緒方洪庵が大坂で「適塾」を開く。 | ||
1839年 | 蛮社の獄 | 渡辺崋山・高野長英らが幕府の鎖国政策を批判してとらえられる。 | ||
1840年頃 | 工場制手工業の発達 | このころ各地にマニュファクチャー(工場制手工業)が起こる。 | ||
1840 | アヘン戦争 | |||
1841年 | 大御所家斉死去 | |||
天保の改革 | 老中水野忠邦が天保の改革を行う。 株仲間をつくることを禁止したり、人返しの法などによって都市に出ていた農民を村に帰させたり、倹約令を出してぜいたくをとりしまったが、失敗に終わった。 |
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株仲間解散令 | 独占を禁止するため株仲間を禁止。しかし1851年に再興。 | |||
1842年 | 薪水給与令 | 異国船打ち払い令を撤回して薪水給与令を発布。 | ||
1843年 | 人返しの令 | 都市の農民を故郷に帰す。 | ||
1843年 | 上知令 | 江戸・大坂周辺の大名や旗本の領地50万石を直轄領にしようとしたが、撤回。 | ||
1844年 | 開国勧告 | オランダ国王が幕府に対して開国勧告。 | ||
1846年 | ビッドル浦賀に来航 | 米国のビッドルが浦賀に来航し、通商を求めるが幕府はこれを拒絶。 | ||
1848年 | 大砲鋳造 | 佐久間象山が大砲を鋳造。 | ||
1851年 | ジョン万次郎帰国 | 高知藩の人で漂流民となった中浜(ジョン)万次郎がアメリカより帰国。 | ||
1853年〜 | 江戸終期 | 黒船来航、江戸幕府瓦解、明治維新へ向かう | ||
1853年 | ペリー来航 | 浦賀にペリー来航。 | ||
1854年 | 日米和親条約 | 再びペリーが来航し、日米和親条約(神奈川条約)を結ぶ。 下田・函館の2港を開いて、アメリカ船に食料や燃料を与える約束をした。 ついで、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約を結んだ(鎖国の終了)。 |
||
1855年 | 洋学所 | 蛮書和解御用掛を洋学所とする。これは56年に蛮書調所に、62年に洋書調所に、63年に開成所 と組織が変更する。 | ||
1856年 | ハリス来日 | ハリスが来日し、下田に領事館を開く。 | ||
松下村塾 | 吉田松陰が松下村塾を開く。 | |||
1858年 | 安政の5カ国条約 | 井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・オランダと修好通商条約を結ぶ。 神奈川・長崎・函館・兵庫・新潟の5港を開く。 |
||
1859年 | 安政の大獄 | 大老井伊直弼は、朝廷の許しを得ずに通商条約を結び、それを批判した諸大名や数多くの志士(吉田松陰・橋本左内など)をとらえて死刑や島流しにした。 | ||
1860年 | 桜田門外の変 | 井伊直弼は江戸城桜田門外で水戸藩や薩摩藩を脱藩した武士たちによって暗殺された。 これにより、幕府の権威は地に落ちることになった。 |
||
五品江戸廻送令 | 五品(雑穀・水油・蝋・呉服・生糸)の神奈川直送貿易を禁止し、江戸問屋経由を命じる。 | |||
1861年 | 公武合体 | 和宮降嫁。将軍家茂と結婚。 | ||
咸臨丸渡米 | 咸臨丸渡米 | |||
1861 | アメリカ南北戦争 | |||
1863 | 奴隷解放宣言 | リンカーン奴隷解放宣言 | ||
1862年 | 坂下門外の変 | 1月 老中安部信正暗殺未遂。雄藩の台頭。 | ||
島津久光上洛 | 4月 島津久光が兵と供に上洛し、幕府に改革要求。 | |||
寺田屋事件 | 島津久光の刺客が、過激な島津藩士を暗殺。 これによって島津久光は朝廷の信任を得ることになった。 |
|||
文久の幕政改革 | 7月 将軍後見職=徳川慶喜 政治総裁職=松平慶永 参勤交代の緩和 京都守護職の設置(松平容保)、新撰組の設置 |
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長州藩論 | 七月 長州は藩論を攘夷とする | |||
生麦事件 | 8月 横浜近くの生麦村で、薩摩藩士がイギリス人を殺傷。 | |||
攘夷の勅旨 | 11月 攘夷の勅旨。幕府これに従う。 | |||
1863年 | 攘夷期限の上奏 | 4月 幕府、攘夷の期限を5月10日とする事を上奏。 | ||
長州藩の外航船砲撃 | 5月 長州藩、下関で米・仏・蘭艦を砲撃。 | |||
米仏報復 | 6月 米・仏艦が長州に報復。砲台占拠。 | |||
薩英戦争 | 7月 生麦事件の報復として、イギリスが鹿児島湾を砲撃する。 これにより攘夷派は衰退。 |
|||
七卿落ち (8月18日の政変) |
8月 公武合体派の公家と薩摩藩兵、会津藩兵が御所を封鎖し、長州藩を主とする尊皇攘夷派を京都から追放したクーデター事件。その結果、長州藩は御所の警護役から外され、攘夷派の三条実美以下公家7人が長州に逃れた。 | |||
1864年 | 池田屋事件 | 6月 新撰組が、長州藩士を池田屋で襲撃。 | ||
蛤御門の変 (禁門の変) |
7月 長州藩士が京都御所を襲い会津・薩摩藩と戦闘。 このため長州は朝敵となった。 |
|||
4国艦隊下関砲撃事件 | 8月 アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4カ国の艦船が下関を砲撃、占領する。 | |||
第一次長州征伐 | 8月 第一次長州征伐布告。長州藩は幕府への恭順を示し実際の戦闘は行われなかった。 | |||
長州藩クーデター | 12月 高杉晋作挙兵し、藩内を掌握。 | |||
1866年 | 薩長同盟 | 1月 坂本龍馬の仲介で薩長同盟成立。 | ||
第二次長州征伐 | 6月 第二次長州征伐。しかし長州側が勝利する。 | |||
厳島談判 | 7月 勝海舟と長州が休戦協定を結ぶ。 | |||
一揆の多発 | 凶作、物価高騰などにより一揆の多発(世直し型) 武州一揆 信達一揆 |
|||
15代徳川慶喜 | 12月 徳川慶喜が15代将軍となる。 | |||
1867年 | 船中八策 | 6月 坂本龍馬の船中八策を起草。大政奉還の道が示された。 | ||
大政奉還 | 10月 前土佐藩主山内豊信は、坂本竜馬らの意見をとり入れ、15代将軍徳川慶喜に政権を朝廷に返すようにすすめた。慶喜はこれを受け入れ、10月14日大政奉還の上表を提出。 | |||
坂本龍馬暗殺 | 11月 坂本龍馬、中岡慎太郎、京都近江屋で暗殺。 | |||
王政復古 小御所会議 | 12月 討幕派により天皇を中心とする新政府樹立。薩摩藩の大久保利通や公家の岩倉具視らの倒幕派は12月9日に王政復古の大号令を発し、前将軍・徳川慶喜に対し辞官納地を命じた。 | |||
明治 (1968年−1912年) | ||||
1968年(明元)〜 | 明治前期 | 内戦、明治政府の基礎 | ||
1868年 | 慶喜出兵 | 1月1日 慶喜は討薩表を発し、1月2日から3日にかけて「慶喜公上京の御先供」という名目で事実上京都封鎖を目的とした出兵を開始。 | ||
鳥羽伏見の戦い | 1月3日 薩摩軍と幕府軍が鳥羽伏見で戦う。戊辰戦争の緒戦となった。 戊辰戦争(慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年) 王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。 鳥羽・伏見の戦い、上野戦争、北越戦争、会津戦争、箱館戦争 |
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慶喜江戸へ退去 | 1月6日 幕府軍艦開陽丸で慶喜は江戸に退却した。 | |||
江戸城開城交渉。 | 3月 西郷隆盛と幕府の勝海舟との話し合いによって、江戸城無血開城。 フランス公使ロッシュは幕府への援助を申し入れるが慶喜が辞退。 イギリス公使パークスは官軍に圧力をかけた。 |
|||
五箇条の御誓文 | 3月 明治天皇が五箇条の御誓文。 | |||
江戸城無血開城 | 4月11日 江戸城は無血開城、大総督府が接収した。 | |||
上野戦争。 | 5月15日 官軍への不満を持った旧幕府勢力が上野寛永寺で官軍と戦闘。彰義隊全滅。 | |||
会津戦争 | 5月 仙台藩を中心に東北25藩、越後6藩が「奥羽越列藩同盟」を結成し官軍と戦闘。 8月 奥羽越列藩同盟崩壊。 9月 白河口総督として西ク頼母。松平容保、会津城に籠城するも落城。白虎隊自決。 |
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一世一元の制 | 9月 戊辰戦争の後、明治政府樹立。 | |||
函館戦争 | 10月 榎本武揚が蝦夷上陸し、函館御陵閣を占領。独立を宣言。 | |||
鳥羽・伏見の戦いから函館五稜郭の戦いで抵抗したが、新政府軍に敗れた。 この一連の戦いを「戊辰戦争」という。 |
||||
1869年 | 明 2 | 戊辰戦争終結 | 4月、五稜郭落城。戊辰戦争終結。 | |
明 2 | 版籍奉還 | 7月 大名支配の土地(版)・人民(籍)を朝廷に返させる。 | ||
明 2 | 四民平等 | 四民平等とし、華族・士族・平民の制を設ける。 | ||
明 2 | 北海道開拓使 | 7月 蝦夷地を北海道と改称。開拓使の設置。初代は黒田清隆。 | ||
1871年 | 明 4 | 廃藩置県 | 7月 3府72県に新しく府知事・県令をおいた。 |
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明 4 | 日清修好条規 | 初の対等条約である日清修好条規が結ばれる。 | ||
明 4 | 琉球の帰属 | 琉球を鹿児島県に帰属させる。 | ||
明 4 | 岩倉遣外使節団 | 政府の使節として岩倉遣外使節団が欧米各国へ出発する。 | ||
明 4 | 郵便制度 | 前島密が郵便制度を開始。 | ||
明 4 | 新貨条例 | 金本位制・円銭厘の十進法を定めた新貨条例が制定される。 | ||
1872年 | 明 5 | 義務教育の開始 | 学制を定め、全国に小学校をつくる。 | |
明 5 | 田畑永代売買解禁 | 田畑永代売買の禁を解禁し、田畑の売買を自由化する | ||
明 5 | 鉄道開通 | 新橋・横浜間に鉄道が開通する。 | ||
明 5 | 富岡製糸場 | 官営の富岡製糸場ができる。 | ||
明 5 | 「学問ノススメ」 | 福沢諭吉が「学問ノススメ」を著す。 | ||
1873年 | 明 6 | 徴兵令 | 士族、平民の身分に関わりなく、満20歳に達した男子を兵役に服させる軍政が義務づけられた。 | |
明 6 | 地租改正 | 地価の3%の税を土地の所有者が現金で納めるようにした。 | ||
1873年 | 明 6 | 征韓論 (明治6年の政変) |
征韓論をめぐって西郷隆盛と大久保利通が対立。西郷下野。 | |
1874年 | 明 7 | 民撰議院設立建白書 | 板垣退助が民選議院設立建白書を政府に提出。 | |
明 7 | 佐賀の乱 | 江藤新平を中心にした士族の反乱。 | ||
明 7 | 台湾出兵 | 征台の役。西郷従道(隆盛の弟)ら、沖縄の漂流民が台湾で殺されたことを口実に台湾に出兵する | ||
明 7 | 屯田兵制度 | 北海道において屯田兵制度が定められる。 | ||
1875年 | 明 8 | 江華島事件 | 鎖国中の朝鮮と江華島事件が起き、朝鮮砲台占拠。 | |
1876年 | 明 9 | 秩禄処分 廃刀令 | 士族に対して俸禄の支給をうち切る。また、廃刀令も出る。 これをきっかけに、旧士族が熊本神風連の乱、秋月の乱、萩の乱を起こす。 |
|
明 9 | 日朝修好条規 | 朝鮮と日朝修好条規(江華条約)を締結。 外国に対して締結した初めての不平等条約。 |
||
明 9 | 士族の反乱 | 神風連の乱・秋月の乱・萩の乱など士族の反乱が相次ぐ。 | ||
1877年 | 明10 | 西南戦争 | 西郷隆盛を中心に九州で起こされた士族の反乱。田原坂での激戦を経た後、西郷隆盛自決。 | |
1879年 | 明12 | 琉球処分 | 琉球藩を沖縄県とする。 | |
明12 | 「民権自由論」 | 植木枝盛が「民権自由論」を著す。 | ||
明12 | 「大森貝塚」 | モースが大森貝塚についての調査結果を発表する。 | ||
1880年 | 明13 | 自由民権運動 | この頃自由民権運動が盛んになる | |
1881年 | 明14 | 自由党設立 | 板垣退助が日本初の政党「自由党」を設立。 | |
明14 | 国会開設の勅諭 | 政府が、10年後の1890年に議会を開くことを約束。 | ||
明14 | 松方財政 | 松方正義蔵相が、歳出削減と増税と紙幣の整理・日本銀行設立などを柱とした、いわゆる(松方財政)を行う。インフレになる。 | ||
1882年 | 明15 | 日本銀行開業 | ||
明15 | 立憲改進党設立 | 大隈重信が立憲改進党を結成。 | ||
明15 | 「民約訳解」 | 中江兆民がルソーの著を訳した「民約訳解」を出版 | ||
1983年(明16)〜 | 明治中期 | 立憲君主制 産業革命(軽工業) | ||
1883年 | 明16 | 鹿鳴館 | 鹿鳴館が完成。 | |
華族令制定 | 公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵制。貴族院に備える。 | |||
1885年 | 明18 | 内閣制度 | 伊藤博文が初代の内閣総理大臣になる。太政官制度を廃止、内閣制度へ。 | |
明18 | 「小説神髄」 | 坪内逍遙が「小説神髄」、「当世書生気質」を著す。 | ||
1887年 | 明20 | 「浮き雲」 | 二葉亭四迷が「浮き雲」を著す。 | |
1888年 | 明21 | 枢密院 | 憲法草案を審議するために「枢密院」設置。 | |
明21 | 市町村制の公布 | |||
1889年 | 明22 | 大日本帝国憲法発布 | 憲法制定に前後して各種保冷が公布された。 1880:刑法 1889:皇室典範 1890:刑事訴訟法、民事訴訟法、民法、商法 |
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1890年 | 明23 | 第1回帝国議会 | 第1回衆議院議員選挙が行われる。そして第1回帝国議会開催。 | |
1891年 | 明24 | 「舞姫」 | 森鴎外が「舞姫」を著す。 | |
1894年 | 明27 | 日英通商航海条約 | 陸奥宗光外務大臣のもとでイギリスと日英通商航海条約が結ばれ、領事裁判権が撤廃。各国もそれに習う。 | |
明27 | 日清戦争 | 日本海軍が豊島沖で清国艦隊を攻撃し、開戦。 黄海海戦などでで日本が勝利し、清が和平を求めた。 |
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1895年 | 明28 | 下関条約 | 伊藤博文首相、陸奥宗光外相と、李鴻章が交渉。 朝鮮の独立承認 遼東半島、台湾・ぼう湖諸島の割譲。 2億両(3億1000万円)の賠償金。 |
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三国干渉 | ロシア、フランス、ドイツの干渉により遼東半島返還。 | |||
金本位制 | 日新戦争の結果、産業革命が進展し、金本位制が確立した。 | |||
明28 | 「たけくらべ」 | 樋口一葉が「たけくらべ」を著す。 | ||
1998年(明31)〜 | 明治後期 | 大陸侵略 重工業の発展 | ||
1900年 | 明33 | 治安警察法 | 治安警察法によって、社会運動や労働運動の取りしまりが行われた。 | |
1900 | 義和団の乱 | 清で排外運動が起こり、日本を中心に各国が出兵し鎮圧。 | ||
1902年 | 明35 | 日英同盟 | 第1次日英同盟が締結。 | |
1904年 | 明37 | 日露戦争 | 2月 日本海軍が旅順のロシア艦隊を攻撃、日露戦争が勃発。 | |
1905年 | 明38 | 旅順陥落 | 1月 旅順陥落。 | |
明38 | 奉天の会戦 | 3月 奉天の会戦でロシア軍敗走。 | ||
明38 | 日本海海戦 | 5月 バルチック艦隊ほぼ全滅。 | ||
明38 | ポーツマス条約 | 9月 合衆国セオドア-・ルーズベルト大統領の仲介でポーツマス条約締結 日本側:小村寿太郎 ロシア側:ウィッテ 日本の韓国に対する指導権 旅順・大連の租借権 北緯50度以南の樺太割譲 |
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明38 | 「吾輩は猫である」 | 夏目漱石が「吾輩は猫である」を発表。 | ||
1905 | 「特殊相対性理論」 | アインシュタインが「特殊相対性理論」を発表。 | ||
1909年 | 明42 | 伊藤博文暗殺 | 伊藤博文が満州のハルビンで、朝鮮の青年に暗殺される。 | |
1910年 | 明43 | 韓国併合 | 韓国を併合しソウルに朝鮮総督府を置いた。 | |
明43 | 大逆事件 | 幸徳秋水処刑。 | ||
明43 | 「一握の砂」 | 石川啄木が「一握の砂」を発表。 | ||
1911年 | 明44 | 関税自主権回復 | 不平等条約改正を完全に達成する(外務大臣 小村寿太郎)。 | |
1911 | 辛亥革命 | 清朝が倒れ中華民国が成立。初代総統に孫文が就任。 | ||
1912年 | 明45 | 明治天皇崩御 | 7月30日、明治天皇崩御(61歳)。 | |
大正 (1912年−1926年) | ||||
1912年(大元)〜 | 大正期 | 経済熟成期、大正デモクラシー | ||
1912年 | 大 元 | 大正に改元 | 大正天皇即位 | |
大 元 | 第1次護憲運動 | 藩閥政治に反対し、政党政治の確立を目的とした政治運動起こる。 立憲国民党:犬飼毅 立憲政友会:尾崎行雄 |
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1913年 | 大 3 | 大正政変 | 数万の民衆が議会を包囲。桂内閣は総辞職。 | |
1914年 | 1914 | 第一次大戦勃発 | オーストリア皇太夫妻がセルビアの青年によって暗殺された。 それを契機に、ヨーロッパで第一次世界大戦勃発。 3国同盟:独、伊、オーストリア 3国協商:英、仏、蘭 日本では世界大戦の影響で好景気になり、「成金」を生む。 債務国→債権国 農業国→工業国 |
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大 3 | 一次大戦参加 | 日本は連合国側で参加。ドイツの東洋の根拠地、青島などを攻める。 | ||
1915年 | 大 4 | 対華二十一ヶ条要求 | 中華民国大総統の袁世凱に対し、21か条の要求を出し、満州へ手をのばす。 三東省での独の利権を日本が受け継ぐ 満州、モンゴルでの日本の利権を広げる など |
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大 4 | 「羅生門} | 芥川龍之介が「羅生門」を著す。 | ||
1917 | ロシア革命 | 1917年3月、3月革命。ロマノフ朝滅亡。臨時政府樹立。 | ||
1917 | ロシア革命 | 1917年11月、11月革命。レーニン、トロッキーがソビエト政府樹立。 | ||
1916年 | 大 5 | 「民本主義」 | 吉野作造が、普通選挙、政党政治の必要性を説く。 | |
1918年 | 大 7 | シベリア出兵 | ロシア革命を妨害するために日本、英、仏、米がシベリアに出兵。 1922年に撤兵。 |
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大 7 | 米騒動 | 富山に米騒動が起こる。(越中の女一揆):寺内内閣倒閣→原内閣成立 | ||
大 7 | 政友会内閣 | 初の本格的政党内閣である政友会内閣(原敬)が発足。 | ||
1918 | 第一次大戦終戦 | 11月、ドイツが連合国に降伏。 | ||
1919 | パリ講和会議 | 連合国とドイツの間でベルサイユ条約が結ばれた。 ヴェルサイユ体制=独の植民地没収、賠償金 |
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1920年 | 大 9 | 国際連盟発足 | 合衆国大統領ウイルソンの提案で国際連盟が成立。(本部=ジュネーブ) しかし大国(米、独、ソ連)は不参加。 |
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1920 | 3.1運動 |
朝鮮で3.1運動(独立運動)。日本は軍事力で鎮圧。 |
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1920 | 5.4運動 | 中国で5.4運動(排日運動)。 | ||
1921年 | 大10 | 「暗夜行路」 | 志賀直哉が「暗夜行路」を著す。 | |
大10 | ワシントン会議 | ワシントンで軍縮会議。 @4カ国条約(1921) 日・英・米・仏が太平洋上の領土の現状維持を約束。日英同盟を破棄する A海軍軍縮条約(1922) 主力軍艦を制限。英5:米5:日3。10年間は主力艦の建造を禁止。 B9カ国条約 4カ国に加えて伊、ベルギー、蘭、ポルトガル、中国が参加。 中国の独立と主権の尊重、日本は山東省の利権を返還。 |
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1922年 | 大11 | 全国水平社 | 差別を糾弾する運動が広まる。 | |
1922 | ソ連成立 | ソビエト社会主義共和国連邦が成立。 | ||
1923年 | 大12 | 関東大震災 | 9月1日 マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲う。死者・行方不明者14万人。政府は支払い猶予令を出す。 | |
1925年 | 大14 | 普通選挙法 | 満25歳以上の男子のすべてに衆議院議員の選挙権が与えられた。 しかし、女子には、まだ選挙権がなかった。 |
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大14 | 治安維持法 | 社会主義の運動や労働運動の取りしまり。 その後、罰則が強化され、民主主義・自由主義・平和主義までを取りしまりの対象とし、日本のファシズム体制をささえた。 |
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大14 | ラジオ放送開始 | |||
1926年 | 大15 | 「伊豆の踊り子」 | 川端康成が「伊豆の踊り子」を著す。 | |
大15 | 大正天皇崩御 | 12月25日、大正天皇崩御(48歳) | ||
昭和 (1926年−1989年) | ||||
1926年(昭元)〜 | 戦前@ | 経済破綻期、戦争への道を歩む | ||
1926年 | 昭 元 | 昭和に改元 | 元号を昭和に改元。 | |
1929年 | 昭 4 | 「蟹工船」 | 小林多喜二が「蟹工船」を著す。 | |
1929 | 世界恐慌 | 10月24日(木)、ニューヨーク株式が大暴落し、世界的な大不況となる。 フランクリン=ルーズベルトがニューディール政策を実施。 |
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1930年 | 昭 5 | 金解禁 | 金の輸出禁止を解除。直後、世界恐慌が日本にも波及。 | |
昭 5 | 昭和恐慌 | 日本にも不況が波及し、約3年間失業者が続出した。 この後、三井・三菱・住友・安田・第一の五大財閥が強化された。 |
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昭 5 | ロンドン会議 | ロンドン海軍軍縮会議で、補助艦の比率を決定。 | ||
1931年 | 昭 6 | 満州事変 (柳条湖事件) |
9月 奉天郊外の柳条湖で日本軍(関東軍)が自ら満州鉄道の線路を爆破。 その罪を張作霖の息子、張学良にきせて軍事行動を起こした。 関東軍は4ヶ月かけて満州全土を征服。 この事件が、太平洋戦争終結まで続く「15年戦争」の発端となった。 |
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1932年 | 昭 7 | 第一次上海事変 | 1月 日本人僧侶襲撃事件を発端に、日本軍と中国軍が衝突。 | |
昭 7 | 満州国建国 | 3月 清朝最後の皇帝、「愛新覚羅ふぎ」を元首に据えて、満州国を建国。 | ||
昭 7 | 五・一五事件 | 5月15日 青年将校らが総理大臣の犬養毅を暗殺。 この結果、政党政治が終わりを告げた。 |
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1933年 | 昭 8 | 国際連盟脱退 | 2月 国際連盟が日本の満州国撤退決議。松岡洋右議場から退場。 3月 日本は国際連盟を脱退。 |
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1936年(昭11)〜 | 戦前A | 全体主義 統制経済 戦争への突入 | ||
1936年 | 昭11 | 二・二六事件 | ||
1937年 | 昭12 | 日中戦争勃発 | 9月 廬溝橋事件をきっかけに、日中戦争が勃発。 12月 南京陥落。 |
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1938年 | 昭13 | 国家総動員法 | 重要軍事産業の労働力確保のために定められた国民徴用令(白紙招集)。 政府は議会の承認無く、物資・人員の動員が可能になる。 戦時体制の確立。 |
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1939年 | 昭14 | ノモンハン事件 | 5月 満州南西部で、日本軍とロシア軍が衝突。日本軍は壊滅的打撃を受けた。 | |
昭14 | 第二次世界大戦勃発 | 9月 ドイツがポーランドに侵入。英仏両国がドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発。 | ||
1940年 | 昭15 | 日独伊三国軍事同盟 | 日本、ドイツ、イタリアが軍事同盟を結成(枢軸国体制の強化)。 | |
昭15 | 大政翼賛会 | |||
昭15 | 大日本産業報告会 | 全ての労働組合、農民組合の解散。 | ||
1941年 | 昭16 | 日ソ中立条約 | 4月 北方の安全をはかるため、日ソ中立条約締結。 | |
昭16 | ABCD包囲網 | 7月 アメリカ、イギリス、中国、オランダが在外日本資産の凍結。 石油などの輸出禁止。 |
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昭16 | 太平洋戦争開戦 | 12月8日 真珠湾攻撃により太平洋戦争開戦。 | ||
1942年 | 昭17 | ミッドウェー海戦 | 6月 日本連合艦隊は、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻の航空母艦を失い、大敗北となった。 その時大和は戦場から300海里も離れており、応援のすべもなく、柱島基地に帰投した。 |
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1943年 | 昭18 | サイパン島陥落 | 7月 サイパン島の日本軍守備隊が玉砕。 | |
1943 | イタリア降伏 | 9月 イタリア降伏。 | ||
カイロ会談 | 11月 日本占領施策の基礎となった。 | |||
1944年 | 昭19 | レイテ沖海戦 | 10月、フィリピン、レイテ沖海戦。戦艦「武蔵」をはじめ多くの艦船を失う。 | |
1945年 | 1945 | ヤルタ会談 | 2月 ドイツ戦後処理の方針決定。ソ連の対日参戦を密約。 | |
昭20 | 東京大空襲 | 3月10日 東京大空襲。死者10万人。 | ||
昭20 | 硫黄島陥落 | 3月22日 硫黄島の日本軍守備隊が玉砕。 | ||
昭20 | 米軍沖縄に上陸 | 4月 米軍沖縄に上陸。 | ||
昭20 | 戦艦大和撃沈 | 大和は4月6日に出撃したが、翌7日に米艦載機386機による波状攻撃を受け、爆弾6発、魚雷10本以上を受け、午後2時23分、九州坊ノ岬沖90海里の地点で2498名の乗組員と共に海底深く沈没。 | ||
1945 | ドイツ無条件降伏 | 5月 ドイツが連合国に無条件降伏。 | ||
昭20 | 沖縄決戦 | 6月23日、日本軍の組織的な抵抗は終わるが、沖縄の日本軍が降伏調印したのは9月7日であった | ||
昭20 | ポツダム会談 | 7月 日本の無条件降伏を勧告。 | ||
昭20 | 広島に原爆投下 | 8月6日、広島に原爆(ウラニウム爆弾)投下。死者14万人。 | ||
昭20 | ソ連、日本に宣戦布告 | 8月8日 日ソ中立条約を破棄し、ソ連が日本に宣戦布告。 満州国と朝鮮半島に侵攻。 |
||
昭20 | 長崎に原爆投下 | 8月9日、長崎に原爆(プルトニウム爆弾)投下。死者7万人。 | ||
1945年 | 昭20 | 終戦 | 8月15日 日本、無条件降伏し終戦。 | |
1945年(昭20)〜 | 復興期 | 戦後の復興 国際社会への復帰 | ||
1945年 | 昭20 | 降伏文書調印式 | 9月2日 東京湾の米戦艦ミズーリ号上で降伏文書調印式。 以後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が日本を間接統治する。 軍国主義の除去、民主主義の育成を柱とする。 |
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昭20 | 五大改革指令 | GHQが日本政府に対して五大改革指令を出す。 @婦人解放(婦人参政権) A労働者の団結権の保障 B教育の自由主義化 C独占的経済機構の民主化 D警察国家の廃止と新司法制度 |
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1945 | 国際連合 | 10月 国際連合成立。 | ||
1945 | 鉄のカーテン | チャーチルの「鉄のカーテン」演説。この頃から冷戦が始まる。 | ||
昭20 | 財閥解体 | 11月 戦前に日本経済を支配し、政治までも動かしていた三井・三菱・住友・安田などの15財閥が解体された。 | ||
昭20 | 農地改革 | 12月 農地改革指令 | ||
昭20 | 普通選挙制 | 男女平等の普通選挙制。 | ||
1946年 | 昭21 | 天皇人間宣言 | 1月 天皇自ら神格を否定。 | |
昭21 | 第一次農地改革 | 2月 不在地主の農地所有を不可とする。 | ||
昭21 | 第二次農地改革 | 10月 在村地主の小作地を1町歩とする。 | ||
昭21 | 日本国憲法公布 | 11月3日 国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を原則にしたとした平和憲法を公布。 | ||
昭21 | 各種法令 | その後、これを元にした各種の法令が制定された。 労働3法:労働組合法1945、労働関係調整法1946、労働基準法1947、 教育基本法、学校教育法 独占禁止法、国家公務員法 |
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昭21 | 新選挙法 | 婦人参政権を認める新選挙法成立 | ||
1947年 | 昭22 | 日本国憲法施行 | 5月3日 日本国憲法施行。 | |
1948 | 南北朝鮮の成立 | 南部に大韓民国、北部に朝鮮民主主義人民共和国が成立。 | ||
1948年 | 昭23 | 経済安定9原則 | ||
1949年 | 昭24 | ドッジ=ライン | 統制経済から、自由主義経済への移行。 | |
シャウプ税制 | 税制改革。 | |||
1949 | NATO | 北大西洋条約機構成立。 | ||
1949 | 中華人民共和国成立 | 共産党(毛沢東)と、国民党(蒋介石)が内戦。 共産党が勝利し、中華人民共和国を樹立。 蒋介石は台湾に逃れて中華民国政府を維持した。 |
||
1950年 | 昭25 | 朝鮮戦争 | 6月 北朝鮮が38度線を越えて南に侵攻。朝鮮戦争勃発。 1951年休戦会議、1953年板門店で休戦協定。 |
|
昭25 | 公職追放 | 7月 共産主義者の公職追放(レッドパージ) | ||
昭25 | 警察予備隊 | 8月 警察予備隊が発足。 | ||
1951年 | 昭26 | サンフランシスコ 平和条約 |
日本代表の吉田茂首相は、アメリカ合衆国など48カ国と平和条約を結ぶ。 1952年、日本は独立を回復した。 |
|
保安隊 | 警察予備隊から保安隊が発足。 | |||
1952年 | 昭27 | 日米安全保障条約 | 日米安全保障条約が締結。 | |
1953年 | 昭28 | テレビ放送開始 | ||
1955年 | 昭30 | 55年体制 | 保守合同。自民党=与党、社会党=主要野党 | |
昭30 | 自衛隊発足 | 保安隊から自衛隊発足。 | ||
1955 | ワルシャワ条約機構 | ソ連を中心に、「ワルシャワ条約機構」が成立。 | ||
1955 | AA会議 | アジア・アフリカ諸国会議。平和10原則を宣言。 米ソの2代勢力に対して、第三勢力の立場をとる。(ネルー首相と周恩来中心) |
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1956年 | 昭31 | 日ソ共同宣言 | ソビエト連邦との国交回復。 | |
昭31 | 国際連合への加入 | 国際連合に加入し、国際社会に復帰。 | ||
1956年 | 1957 | EEC発足 | 西ヨーロッパ諸国が「ヨーロッパ経済強共同体」を発足。 1967:EC(ヨーロッパ共同体) 1993年:ヨーロッパ連合 |
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1959年 | 1959 | キューバ革命 | キューバが社会主義国家となる。 | |
1961年(昭35)〜 | 高度経済成長期 | |||
1960年 | 昭35 | 日米新安全保障条約 | 60年安保。 | |
1962年 | 1962 | キューバ危機 | 米ソ間でキューバ危機。この後、冷戦の緊張緩和(デタント)。 | |
1964年 | 昭39 | 東海道新幹線 | 東海道新幹線開業。 | |
昭39 | 東京オリンピック | 第18回オリンピック東京大会開催。(以後10月10日は体育の日になる) | ||
1965年 | 昭40 | 日韓基本条約 | 佐藤栄作内閣と朴正煕政権が日韓基本条約を締結。 | |
1967年 | 昭42 | 公害対策基本法 | 公害の発生に対し、公害対策基本法が施行。 4大公害訴訟: 水俣病(熊本県)、四日市ぜんそく(三重県)、イタイイタイ病(富山県)、新潟イタイイタイ病 |
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1968年 | 昭43 | 小笠原諸島返還 | 小笠原諸島が日本に復帰する。 | |
1968 | 核兵器拡散防止条約 | |||
1969年 | 昭44 | アポロ11号 月面着陸 |
初めての有人月面着陸。 | |
1970年 | 昭45 | 日本万国博覧会 | 大阪で日本万国博覧会開催。 | |
1971年 | 昭46 | 環境庁設置 | ||
1972年 | 昭47 | 沖縄返還 | 沖縄諸島が日本に復帰する。 | |
昭47 | 日中共同声明 | 日中共同声明(首相 田中角栄)で、台湾の中華民国にかえて中華人民共和国政府を承認し、国交が回復した。 | ||
1973年 | 昭48 | 為替相場変動制 | 為替相場変動制となる。 | |
昭48 | 石油ショック | 第4次中東戦争により、石油ショック起こる。高度経済成長の終焉。 | ||
1975年(昭5)〜 | 経済成熟期 | 戦後経済が成熟し、やがてバブル経済へと進む | ||
1975年 | 昭45 | 沖縄海洋博 | 沖縄海洋博開催。 | |
1973 | ヴェトナム戦争終結 | 1973年和平協定。1975年サイゴン陥落。1976年ヴェトナム社会主義共和国が成立。 | ||
1978年 | 昭53 | 新東京国際空港 | 新東京国際空港開港(成田空港)。 | |
日中平和友好条約 | 中国との戦争処理が終わった。 | |||
1979年 | 昭54 | 共通一次テスト開始 | ||
1979 | アフガニスタン紛争 | ソ連がアフガニスタンへ侵攻。 | ||
1980年 | 1980 | イラン・イラク戦争 | ||
1982年 | 昭57 | 東北、上越新幹線開業 | ||
1984年 | 昭59 | 荒神谷遺跡 | 荒神谷遺跡から銅剣358本出土。 | |
1985 | ペレストロイカ | ゴルバチョフが、ソ連の政治・経済の改革。市場原理の導入 | ||
1987年 | 昭62 | 国鉄分割民営化 | 国鉄が民営化され「JR]となった。 | |
1988年 | 昭63 | 青函トンネル開業 | 本州と北海道が陸続きになった。 | |
昭63 | 瀬戸大橋開通 | 本州と四国が陸続きになった。 | ||
1989年 | 昭64 | 昭和天皇崩御 | 1月 昭和天皇崩御。 | |
平成 (1989−−−?) | ||||
1989年 | 平元 | 平成に改元 | 元号を平成に改元。 | |
1989 | ベルリンの壁崩壊 | 東欧の社会主義国の自由化が進み、ベルリンの壁撤去。 | ||
1990 | 東西ドイツ統一 | 東西ドイツが統一。 | ||
1991年 | 平 3 | バブル経済崩壊 | 1980年代から好景気に沸いた日本経済が崩壊。平成不況を迎えた。 | |
1991 | ソ連崩壊 | ソ連が崩壊し、独立国家共同体(CIS)となる。 | ||
1991 | 湾岸戦争 | 8月イラクがクウェートへ侵攻。多国籍軍が出兵。 | ||
1992年 | 平 4 | PKO法案成立 | 国連平和維持活動協力法成立。これにより、自衛隊の海外派遣が可能になった。 | |
1993年 | 平5 | 細川連立内閣 | 細川連立内閣が発足し、38年間続いた55年体制が終結。自民党下野。 | |
平5 | 環境基本法 | 公害対策基本法を基に、環境基本法が施行。 | ||
1993 | EU発足 | ECを基に、「ヨーロッパ連合」発足。 | ||
1995年 | 平7 | 阪神淡路大震災 | 1月 | |
平7 | 地下鉄サリン事件 | 3月 | ||
1998年 | 平10 | 長野オリンピック | 冬季長野オリンピック開催。 | |
2000年 | 平12 | 鳥取県西部地震 | 10月6日 13時30分頃、鳥取県西部地震発生。マグニチュード7.3、最大震度6強(鳥取県境港市、日野町)を観測。犠牲者がゼロという、奇跡的な地震であった。参考URL :島根大学地震災害調査団 | |
平12 | 出雲大社巨大御柱 | 出雲大社巨大御柱発見。 | ||
2001 | 同時多発テロ | 米中枢部に同時多発テロ。 | ||
2003 | 米軍イラク侵攻 | 米軍イラク侵攻。 | ||
日本の歴史年表 |
少し詳しい高校受験用に作りました。 (黒字=日本 青字=西洋史 緑字=東洋史) |