青銅器
青銅
青銅とは
銅Cu を主成分とし、スズSn、鉛Pbを含む合金。
ブロンズともいう。
青銅は銅などに比べれば硬く、研磨や鋳造・圧延などの加工ができたので、斧・剣・壷などに使われた。
青銅器が日本にもたらされたのはおよそBC300年頃。
生産はBC100年頃行われた可能性が高い。


青銅器の種類
銅剣:両刃の武器。主として九州地方、中国・四国地方などに多く分布する。
銅矛:やや幅広で両刃の剣状の穂先をもつ。
銅鐸:主として近畿地方から多く発見される祭器。
銅鏡:祭祀用に用いられた。



各種の青銅器  
1:銅剣
弥生時代の初期に朝鮮半島を経由して伝来。

分類
  作成時期により4種類に分類される。
     細形銅剣・・・・・初期の銅剣。主に九州で生産。純粋に武器として使用された可能性がある。
     中細形銅剣・・・弥生中期末から後期に、近畿以西から九州まで散発的にみられる。
     中広形銅剣・・・この段階で銅剣は九州ではまったく作られなくなる。
     平形銅剣・・・・・瀬戸内沿岸に広く分布し、儀式に使用されていたと考えられている。


2:銅矛
日本には朝鮮半島から入ったと思われ、弥生時代中期頃から九州のみで生産されていたと思われる。
その後、銅剣・銅戈などのように、しだいに大型化し祭器化する。

分類
  年代的に細形から中細形・中広形・広形の順で変化してゆく。
     狭鋒細形銅矛・・・・・弥生時代前期末(BC200年頃)
     狭鋒中細形銅矛
     狭鋒中広形銅矛・・・弥生時代中期末(AD50頃)
     狭鋒広形銅矛・・・・・弥生時代後期(AD200頃)


3:銅鐸(どうたく)
銅鐸とは
  弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器のこと。
  紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって作り用いられた祭器。
  これまでに出土した銅鐸は全国で約500個。

銅鐸の役割
  最初は、たたいて音を出すものだったと考えられている。
  しかし、そのうちに大型化して、鳴らすものではなく、見るものに変わっていった。

銅鐸の生産地による分類

  銅鐸は、近畿、中国、四国、東海地方を中心発掘されている
    近畿式銅鐸・・・近畿地方を中心に分布する。
    三遠式銅鐸・・・東海地方を中心に分布する。

銅鐸の時代変遷と種類
  大きさについては12センチから1メートルを越すものまである。
  1世紀頃には高さが60センチに達し、さらに大型化が進む。
  2世紀には1メートルを超える。
  弥生時代の終わり(=古墳時代の始まり)には消滅するが、最終的には134センチに達する。 
  このように時代が下るにつれて徐々に大型化し、後には1mを超えるものも作られる
  
  大きさ形状による分類
      菱環鈕式(りょうかんちゅうしき)・・・20cm前後・・・古い形式
      外縁付鈕(がいえんちゅうしき)・・・・40cm前後
      扁平鈕式(へんぺいちゅうしき)・・・・60cm前後
      突線鈕式(とっせんちゅうしき)・・・・100cm前後・・・新しい形式
  表面の模様による分類
    表面に文様があるのは近畿地方産の特徴
      袈裟襷文(けさだすきもん)・・・古いもの
      流水文(りゅうすいもん)
      人物、動物などの略画が鋳出されたもの・・・新しいもの

銅鐸の終焉
  銅鐸は2世紀代に盛んに創られた。
  2世紀末葉になると近畿式のみとなる。
  銅鐸はさらに大型化するが、3世紀になると突然造られなくなる。
  古墳から出土したことがないことから、古墳時代には銅鐸は消滅していた事になる

銅鐸の埋納   
  消滅した銅鐸の多くは村を外れた丘陵の麓、或いは頂上の少し下から出土する。
  深さ数十センチメートルの比較的浅い穴を掘って横たえた物が多い
  なお、埋納時期は紀元前後と2世紀頃に集中している。

銅鐸を埋納したことの理由
  諸説在るが、不明。


4:銅鏡(どうきょう)
銅鏡
古代中国に起源をもち、日本や朝鮮など東アジアで広く使用された。
製作は、鋳型に鋳造したのち研磨、錫メッキ、研磨という手順で作られる。

銅鏡の役割
単純に物の姿を映し出す道具としてではなく、祭祀・呪術用の道具として用いられたと考えられている。

銅鏡の分類
   舶載鏡(はくさいきょう)=大陸からの輸入品。
   邦製鏡(ほうせいきょう)=それを模した国産の銅鏡。

銅鏡の種類
@三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)
  縁の部分が三角形に盛り上がっていることから三角縁といわれる。
  また、描かれた文様が神と獣であることから神獣鏡といわれる。
  その他、三角縁盤龍鏡がある。

A平縁神獣鏡(ひらぶちしんじゅうきょう)
  呉で製作された。
  その他、環状乳神獣鏡、重列式神獣鏡、対置式神獣鏡、同向式神獣鏡、求心式神獣鏡がある。

A画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)
   中国で後漢の末期(AD200年頃)から三国時代にかけて作られていた。

C方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)
  中国の前漢時代末から後漢時代にさかんに作られた銅鏡。
  朝鮮半島を経て日本列島にも多数もたらされた。
  中央の鈕のまわりの正方形の区画(方格)は大地、周縁は天穹(てんきゅう)。
  方格の四辺の中央から外へ突出したT字形は天を支える柱と梁。
  周縁から内側へ突出した逆L字形とV字形は天をつなぎとめる装置。

D多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)
鏡の裏面に紐を通す鈕が2、3個付いており、細線の幾何学紋様を施した朝鮮半島系の銅鏡。
弥生時代中期前半に伝わった。


参考資料
「考古学事典」 (三省堂 2002)
「鉄から読む日本の歴史」 (講談社 2003 窪田蔵郎)


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