環濠集落 | ||||||||||||||||
環濠集落 | ||||||||||||||||
環濠集落(かんごうしゅうらく)とは、周囲に堀をめぐらせた集落(ムラ)のこと。 環濠集落はほぼ弥生時代全期間を通じて存在した。 これは、近隣のクニやムラとの戦いに備えたものであり、北部九州とヤマトというような遠く離れた地域間の戦いに備えたものでないことが考えられる。 |
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環濠集落の発展 | ||||||||||||||||
環濠集落は稲作文化と同時に大陸から伝来し、西から東へ波及したと考えられている。 しかし、2世紀後半から3世紀初頭には、弥生時代の集落を特徴付ける環濠が各地で消滅していく。 この時期に、西日本から東海、関東にかけて政治的状況が大きく変わったことを示すものとして考えられている。 弥生時代早期 弥生時代でもっとも古い環濠集落が出来る(福岡県粕屋町の江辻遺跡) 弥生時代前期前半 近畿では早期の環濠集落はない。 前期前半では神戸市の大開遺跡ができる。 弥生時代中期 愛知県の朝日遺跡が出来る。 弥生時代終期 2世紀後半から3世紀初頭には、弥生時代の集落を特徴付ける環濠が各地で消滅していく。 |
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高地性集落 | ||||||||||||||||
高地性集落とは | ||||||||||||||||
日本の弥生時代中・後期に、平地より数十メートルも高い山頂部や斜面に形成された集落。 高地性集落は、山城のように軍事的性格の強い集落とする意見が主流を占めている。 北部九州にはみられない集落である 集落遺跡の多くは平地や海を広く展望できる高い位置にあり西方からの進入に備えたものであり、焼け土を伴うことが多いことから、のろしの跡と推定されている。 |
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高地性集落の分布 | ||||||||||||||||
BC100-AD50頃 (弥生中期後半 Ⅳ ) 中部瀬戸内と大阪湾岸に限定されている。 AD50-AD150頃 (弥生後期前半 Ⅴ) 近畿とその周辺部にほぼ限定されている。 AD150-AD300頃 (弥生後期後半 Ⅴ-古墳時代前期) 西日本の広島・鳥取に、北陸の富山・石川・新潟に分布する。 |
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高地性集落と環濠集落の意義 | ||||||||||||||||
高地性集落 |
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主な高地性集落遺跡 | ||||||||||||||||
紫雲出山(しうでやま)遺跡 香川県三豊郡詫間町(352メートル) 岩清尾山(いわせおやま)古墳群 香川県高松市(標高232メートル) 大山神社遺跡 兵庫県飾磨郡家島町(標高220メートル、瀬戸内海の男島(たんが)島の山頂にある) 伯母野山遺跡 兵庫県神戸市(130メートル) 会下山(えげのやま)遺跡 兵庫県芦屋市(185メートル) 同城山遺跡 兵庫県芦屋市(250メートル) 貝殻山遺跡 岡山市(284メートル) 高尾山遺跡 柏原市(280メートル) 妻木晩田遺跡 米子市(米子周辺および鳥取県西部の遺跡へ) |
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環濠集落と高地性集落の違いまとめ | ||||||||||||||||
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参考資料 | ||||||||||||||||
「日本の歴史02-王権誕生」 (講談社 2000 寺沢 薫) 「体系日本の歴史2 古墳の時代」 (小学館 1988 和田あつむ) |
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