島根県の遺跡 |
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2003年の時点で島根県には、10,048カ所の遺跡が確認されていいる。 その中で特に重要であると考えられるものを挙げてみる。 |
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出雲周辺の遺跡 | 松江周辺の遺跡 | 安来周辺 | ||||
縄文 | ||||||
弥生前期 | ||||||
弥生中期 | 青木遺跡 | 友田遺跡 田和山遺跡 |
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弥生後期 | 荒神谷遺跡 加茂岩倉遺跡 |
仲仙寺、安養寺、塩津山の墳墓群 | ||||
弥生終期 | 西谷墳群 |
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古墳前期 | 神原神社古墳 |
大成古墳(荒島) 造山古墳(荒島) |
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古墳中期 | 清水山1号墳 |
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古墳後期 | 大念寺古墳 | 山代二子塚古墳 岡田山古墳 |
仏山古墳 |
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古墳終期飛鳥 |
若塚古墳 |
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「出雲の考古学と出雲国風土記」 (学生社 古代出雲王国の里 推進協議会 2006) p27 より引用 |
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古墳の経時的推移を見ると、(西伯耆)→安来→松江→出雲、と変遷していることが分かる。 これが意味することを深く考えると、「最初に出雲ありき」では無いことが理解出来る。 このことは四隅突出型墳丘墓についても同様で、弥生・古墳時代の出雲は後進地域であったことがうかがわれる。 |
安来市周辺 | |||||||||||||||||||||||||
荒島墳墓群 | |||||||||||||||||||||||||
安来市荒島町・久白町にまたがる大成古墳、造山墳墓群4基、塩津山墳墓群8基からなる。 日本一の四隅突出墳丘墓の集中地帯となっており、古墳時代まで続く様々な形の首長墓が造られている。 |
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略図は安来市役所(産業振興部 商工観光課)HPより引用させて頂きました。 |
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大成(おおなり)古墳 |
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所在地 安来市荒島町 古墳概要 1辺60mもある巨大な方墳。竪穴式石室あり。 築造年代 古墳時代前期。 副葬品 石棺からは三角縁神獣鏡・素環頭大刀などが出土。 補足 |
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造山(つくりやま)古墳群 |
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所在地 安来市荒島町 古墳概要 1号墳は大成古墳と並んで古墳時代前期の100年間において全国で一番大きい方墳。 一辺が60m、高さ5m、2段構造が特徴。 3号墳も古墳時代前期に作られた方墳で38×30m。 築造年代 古墳時代前期 副葬品 三角縁神獣鏡、方格規矩四神鏡、紡錘車型石製品、ガラス製管玉、鉄刀、鉄剣、刀子など。 補足 仲仙寺・宮山・塩津山・造山の4カ所は公園として整備 |
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塩津山(しおつやま)墳墓群 |
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所在地 安来市荒島町 古墳概要 1号墳はこの地に最初に造られた古墳で、四隅突出墓が特徴。 6・10号墓は県内最大級の四隅突出墓で、一辺30m以上、突出部を含めると40mになる。 築造年代 古墳時代前期。 副葬品 補足 出雲市の西谷墳墓群にも同様に大型のものがあり、このことから弥生時代後期には、出雲地方の東西に2大勢力があったと考えられる。 |
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宮山(みややま)墳墓群 |
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所在地 安来市荒島町 古墳概要 1号墳(消滅)は全長60mの出雲で2番目に大きい前方後方墳。 古代時代中期に築かれ出雲に前方後方墳が流行する先駆けとなったなった古墳。 4号墓は弥生時代後期に築かれた中規模(18m、含突出30m)の四隅突出墓です。 築造年代 1号墳=古墳時代中期。 4号墓=弥生時代後期 副葬品 補足 |
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仲仙寺(ちゅうせんじ)墳墓群 |
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所在地 安来市荒島町 遺跡概要 もともと19基からなる墳墓群で、現在では2基の四隅突出墓が保存整備されている。 8~10号器墓は中規模(18m、含突出27m)の四隅突出墓。 築造年代 古墳時代前期。 副葬品 補足 |
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清水山(しみずやま)1号墳 |
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所在地 安来市荒島町 遺跡概要 2段築成の方墳。一辺42m。 築造年代 古墳時代中期。 |
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仏山(ほとけやま)古墳 |
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所在地 安来市荒島町 遺跡概要 大成古墳と同じ丘陵に築かれた前方後方墳。全長50m。 築造年代 古墳時代後期。 副葬品 獅噛環頭大刀 |
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高塚山(たかつかやま)古墳 |
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所在地 安来市荒島町 遺跡概要 築造年代 古墳時代後期。 |
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若塚(じゃこづか)古墳 |
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所在地 安来市荒島町 古墳概要 築造年代 古墳時代終末期。 |
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松江市周辺の遺跡 |
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田和山遺跡 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 島根県松江市乃白町字友田1289 遺跡概要 山頂部を3重の壕が取り囲んでいて、その山頂部には通常の住居とは考えにくい建物跡が2棟あり、周囲を柵列で囲まれている。 大小1つずつの建物があり、2間×2間の9本柱の建物と1間×1間の5本柱のものがある。 小さい方は物見やぐらではないかと考えられている。 厳重に取り囲まれた環壕と環壕内からつぶて石が3000個近く、またサヌカイト製や黒曜石製の石鏃があわせて150個近く見つかっていることなどから実際に戦闘が行われたのではないかと考えられている。 これに対して模擬戦だと考える研究者もある。 また環壕の内部の面積が狭く建物も小さいものが2棟というわりに、厳重に守られていることなどから何か神聖な空間だったのではないかとも考えられている。 外側からは住居跡・焼土などが見つかっている。 築造年代 弥生時代前期後半から弥生時代中期末 遺物 土器・石鏃・環状石斧・つぶて石・銅剣形石剣など。 補足 |
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岡田山古墳 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 島根県松江市大庭町456 (八雲立つ風土記の丘公園内) 遺跡概要 7基の古墳が確認されている。 1号墳と2号墳は比較的大型だが、他の5基はきわめて小規模な古墳。 1号墳は、全長24m(前方部は幅約14m、高さ約3.5m、前方部は幅約14m、高さ約3.5m)の前方後方墳。 2号墳は、1号墳の30m南にある円墳で、直径約43m、高さ約6.5m。 墳丘の中腹に貼石列が認められる。 築造年代 古墳時代中期。 (6世紀中頃) 副葬品 中国製内行花文鏡や馬具類、錆びた円頭大刀など。 そのうち、「額田部臣」を含む12文字が銀象嵌(ぞうがん)されている鉄剣が見つかった。 |
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山代二子塚古墳 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 松江市山代町二子塚470- 1 (茶臼山山麓) 古墳概要 島根県最大、日本でも最大級の前方後方墳で、出雲国造の墓とも言われている。 1925年(大正14年)、日本で初めて「前方後方墳」という名称がつけられた古墳。 全長94メートル、外提を含めた総長は約150メートルの大きな古墳。 墳丘は2段に造られ、葦石や円筒埴輪もあり。 回りには幅7メートル、深さ約2メートル ほどの溝があり、周囲と区別されてた。 築造年代 古墳時代後期。(6世紀中頃) 副葬品 補足 同じ頃、出雲西部には全長約90メートルの前方後円墳の大念寺古墳(出雲市今市町)が出現しており 出雲の平野部には、大きく二つの勢力が存在していたと考えられます。 |
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御崎山(みさきやま)古墳 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 島根県松江市大庭町456 (八雲立つ風土記の丘公園内) 遺跡概要 6世紀後半に築かれた前方後方墳で全長は40m、後方部の高さは3m。 内部には、北側に入口を持つ横穴式石室が作られていて、その規模は奥行き3.6m、幅3m、高さ2,85m。 築造年代 古墳時代後期。 (6世紀後半) 副葬品 銅鏡・装飾大刀・鉄鏃・耳環・馬具・土器など。 装飾大刀は、獅噛環頭大刀(しがみかんとうだち)と呼ばれるもの。 |
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岩屋後(いわやあと)古墳 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 島根県松江市大庭町456 (八雲立つ風土記の丘公園内) 遺跡概要 石室が露出しているだけの古墳で、20m前後の規模を持った古墳と推察されている。 築造年代 古墳時代後期。 (6世紀末) 副葬品 補足 |
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出雲市周辺の遺跡 |
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荒神谷遺跡 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 島根県簸川郡斐川町神庭西谷 (出雲風土記にでてくる神名火山(仏経山)の東) 遺跡概要 1984年からの発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。 銅剣の一箇所からの出土数としては日本で最多であり、それまでに全国で発掘された銅剣の総数を超える数の銅剣が発掘された。 この遺跡の発見は日本古代史学・考古学界に大きな衝撃を与えた。 出土品 ①銅剣 銅剣は、全て中細形c類と呼ばれるもので、弥生時代中期後半(紀元前後)に製作されたとみられている。 銅剣の分布状況から出雲で製作された可能性が高いが、鋳型が発見されていないため決定的ではない。 しかし、埋納された年代は現在のところ特定できていない。 「式内宮」として認められた神社の、出雲地方での総数と出土した銅剣の本数との奇妙な一致があげられる。 358本のうち、344本の茎には、鋳造後にタガネ状の工具で×印を刻まれている。 ②銅矛 銅鐸と同じ埋納坑の東側に、16本の銅矛が発見された。 分類には諸説あるが、中広形14本と中細形2本に分けられる。 製作時期は、銅剣とほぼ同じか、若干後の時期と考えられている。 16本とも北部九州で製作されたものとみられる。 ③銅鐸 1985年、銅剣出土地より南へ7メートルの地点で銅鐸6個が発見された。 最古の形式であるI式(菱環鈕式;りようかんちゆうしき)が1個 それよりやや新しいII式(外縁付鈕式;がいえんつきちゆう)の形式のものが1個 外縁付鈕1式3個 製作時期は、弥生時代前期末(BC200)から中期中頃(BC100)の間と考えられている。 しかし、埋納された年代は現在のところ特定できていない。 生産場所は近畿説、北部九州説があるが不明。 埋納年代 銅剣、銅鐸、銅矛とも、埋納された年代は現在のところ特定できていない。 しかし製造年代が紀元前後頃であるから、埋葬年代はこれ以降ということになる。 補足 ①生産地について 上記の仮説が正しければ 銅剣は出雲産、 銅矛は北九州産 銅鐸は近畿産(あるいは九州産) ②埋納時期 不明。 しかし荒神谷遺跡の銅剣は全て同型であり、同じ鋳型から造られている可能性も高い。 一括して鋳造され、継続保持され、同時に埋納されたとも考えられる。 さらに、使用痕跡も少ない事から、比較的短期間の間に鋳造から埋納されたと考えられる。 島根県埋蔵文化センターでは、遅くとも弥生Ⅳ期末ーⅤ期初頭と推測されている。 ③大量埋納の理由 諸説在るがこれも不明。 1)隠匿説(急な敵の攻撃等の理由により土中に宝を隠したという説) 2)一時保管説(暫定的に山中に埋め、後日掘り起こすつもりだったとの説) 3)奉納説(宗教的な理由により埋納を以って神に捧げたという説) |
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加茂岩倉遺跡 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 島根県雲南市加茂町岩倉 (荒神谷遺跡と山を隔てて3.4km南東に位置) 遺跡概要 1996年に加茂町(現雲南市)岩倉で農道工事中に発見された。 日本最多となる39口の銅鐸が発見された。 出土品 きさの点では高さ45センチメートル前後の中型鐸20口と30センチメートル前後の小型鐸19口に分類され、 形式においては弥生Ⅱ期からⅢ期の外縁付1式が19口、外縁付紐2式が9口、外縁付紐2式から扁平紐1式が2口、扁平紐2式が6口、扁平紐2式から突線紐1式が3口となっている。 そのうち13組26口は中型鐸の中に小型鐸が納められた「入れ子」状態で出土したことが確認されている。銅鐸がこのような入れ子状態で出土した例は極めて少なく、内部は中空であった可能性も考えられているが、CTスキャンによる内部調査に拠れば、埋納坑埋内と内部を塞いでいる土砂が異なることが指摘されている。表面からは朱が検出され、 線刻で文様が表現され、袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸が30口、流水文銅鐸が9口ある。絵画の描かれた銅鐸は7口あり、シカやカメ(ウミガメ)、トンボや四足獣などの動物が描かれている。 出土の銅鐸に「×」印の刻印があることから荒神谷遺跡との関係あることが分かる。 ①製作年代 弥生時代中期から後期にわたる。 出土品の一部(外縁付1式銅鐸)には近畿地方で製作されたと推定されるものもあり、 十二号銅鐸は大阪府東大阪市鬼虎川遺跡出土鋳型と共通する特徴をもつ。外縁付紐2式から扁平紐1式にかけての銅鐸は、流水文銅鐸9口、袈裟懸文銅鐸2口。この時期の流水文文様は、畿内南部の工人集団製作の横型流水文と畿内北部の工人集団製作の縦型流水文様の2系列があるが、本遺跡出土の流水文銅鐸9口は、全て横型流水文銅鐸であるので、畿内の工人集団が製作したものと考えられる。扁平紐式2式から突線紐1式にかけての9個の銅鐸は、3群から成る。そのうちの四区袈裟懸襷文銅鐸3口は同一工房の作品。もう一群の2口は、互いに同笵。これら二群に比して、六区袈裟懸襷文銅鐸6口も同一工房で造られていると推定。 ①生産地について つまり、少数の工房で製作された銅鐸と推測できる。絵画表現の独自性や荒神谷遺跡出土銅剣の線刻との類似から、大半は出雲地方で製作されたと考えられており、一部は他地域との同笵関係も認められている。 埋納年代 埋納された時期については、現在のところ荒神谷遺跡同様特定できていない。 島根県埋蔵文化センターでは、遅くとも弥生Ⅳ期末ーⅤ期初頭と推測されている。 |
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西谷墳墓群 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 出雲市大津町字西谷 (史跡公園「出雲弥生の森」内) 遺跡概要 6基(1~4、6、9号)の四隅突出型墳丘墓を中心とする墳丘墓群。 3号墓や9号墓は突出部分を含めると50mにもなる巨大なものであり、全国的に見ても、弥生時代最大級の王墓として注目されている。 築造年代 弥生時代後期 副葬品 土器には、地元の出雲地域で作られた土器以外に、岡山や北陸地方の特徴を持つ土器が全体の1/3も含まれていたという。 補足 被葬者が岡山県の吉備地方と強い関係を持ち、周辺地域と盛んに交流をもっていたことが考えられている。 |
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神原神社古墳 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 島根県雲南市加茂町神原1436 遺跡概要 復元した場合は29m×25mの方墳で、高さは5m程と推定される。 築造年代 古墳時代前期 副葬品 「景初三年」の銘が刻まれた三角縁神獣鏡 補足 神原神社について 御祭神=大国主神、磐筒男命、磐筒女命を祀る。 磐筒男(イハツツノヲ)は、日本神話に登場する神。 古事記では石筒之男神、日本書紀では磐筒男神と表記される。 古事記の神産みの段でイザナギが十拳剣で、妻のイザナミの死因となった火神カグツチの首を斬ったとき、その剣の先についた血が岩について化生した神で、その前に石析神・根析神(磐裂神・根裂神)が化生している。 日本書紀同段の第六の一書も同様で、ここでは磐筒男神は経津主神の祖であると記されている。 日本書紀同段の第七の一書では、磐裂神・根裂神の子として磐筒男神・磐筒女神が生まれたとし、この両神の子が経津主神であるとしている。 神名の「ツツ」は「カグツチ」「ノヅチ」などの「ツチ」と同じ「~の神霊」の意で、「イワツツノオ」は「岩の男神」の意となる。 ただし、橘守部は、イワサク・ネサクを「岩根さえも裂く剣の威力」を表すと解したのに対応して、「イワツツ」は「石槌」で、剣を鍛える槌のことであるとしている。 |
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今市大念寺(いまいちだいねんじ)古墳 | |||||||||||||||||||||||||
所在地 古墳概要 全長91mの前方後円墳で山陰最大の横穴式石室をもつ。 そのなかに納められている家形石棺は日本最大の石棺である。 築造年代 古墳時代後期。 副葬品 補足 |
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参考文献・資料 |
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「荒神谷遺跡/賀茂岩倉遺跡」(島根県埋蔵文化センター 2002) | |||||||||||||||||||||||||