福岡県西部(筑前国)の神社 |
宗像(むなかた)大社 |
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所在地
福岡県宗像市田島2331(辺津宮)
福岡県宗像市大島1811(中津宮)
社格
式内社(名神大) 官幣大社 別表神社
祭神
田心姫神(沖津宮)
湍津姫神(中津宮)
市杵島姫神(辺津宮)
歴史
天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像3女神ということになっていて、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とされている。
神功皇后が三韓征伐の際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされる。
大化の改新(645年)によって国郡の制が敷かれると、宗像1群が神領として与えられ、豪族宗像氏が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになった。
補足
沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では辺津宮のみを指す場合も多い。
地図上で辺津宮・中津宮・沖津宮を線で結ぶと、その直線は朝鮮半島の方向に向かう。
古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路であった。
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宮地嶽神社 |
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所在地
福岡県福津市宮司元町7-1東区箱崎1-22-1
社格
県社 別表神社
祭神
主祭神=神功皇后
配祀= 随従の勝村大神 勝頼大神を併せ、
歴史
息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。
補足:宮地嶽古墳
本殿の裏手100mほどの所に宮地嶽古墳(宮地岳とも)がある。
奥の宮、古くは岩屋または不動窟とも呼ばれてきた。本古墳の出土品一括は国宝に指定され、九州国立博物館に寄託されている。
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筑前国一宮 筥崎宮(はこざきぐう) |
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所在地
福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
社格
式内社(名神大) 筑前国一宮 官幣大社 別表神社
祭神
主祭神=応神天皇
配祀=神功皇后 玉依姫命
歴史
延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり、筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面した土地に移したのに始まる。
延長元年(923年)に現在地に遷座。
延喜式神名帳には「八幡大菩薩筥崎宮一座」と記載され、名神大社に列している。
補足
大分県宇佐市の宇佐神宮、京都府八幡市の石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮の一つとされる。 |
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筑前国一宮 住吉(すみよし)神社 |
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所在地
福岡県福岡市博多区住吉3-1-51
社格
式内社(名神大) 筑前国一宮 官幣小社 別表神社
祭神
主祭神=住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)応神天皇
配祀=天照皇大神 神功皇后
歴史
創建年代は不詳
神社の縁起では、日本神話の神産みの段、黄泉から帰還した伊弉諾尊が禊祓を行った「筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原が住吉神社の地であるとし、その禊祓で住吉三神などが生まれたので当社が住吉神社の始源であるとしている。
国史では、『続日本紀』の天平9年(737年)4月1日条に筑紫住吉などに使いを遣わしたとあるのが初出である。
延喜式神名帳では「筑前国那珂郡 住吉神社三座 並名神大」と記載されている。
補足
日本全国に約二千社ある住吉三神を祀る神社の中で最も古い神社であるとされ、古書には「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されている。
ただし、現在の全国の住吉神社の総本社は大阪の住吉大社である。
大阪の住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社の三社が日本三大住吉とされる。
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志賀海神社(しかうみじんじゃ) |
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所在地
福岡県福岡市東区志賀島877
社格
式内社(名神大) 官幣小社 別表神社
祭神
主祭神=表津綿津見神 仲津綿津見神 底津綿津見神
配祀=神功皇后 玉依姫命 応神天皇
歴史
創建は明らかではないが、現在の志賀島北部の勝馬地区に古くは三社が建てられていた。
筑前国風土記に神功皇后が三韓征伐の際に志賀島に立ち寄ったとの記述があり、阿曇氏の祖神である阿曇磯良が舵取りを務めたとされる。
2世紀から4世紀の間に底津綿津見神を祀る表津宮が島南部の勝山に遷座され、それに併せて仲津綿津見神と表津綿津見神も祀られる。
補足-1
志賀海神社では、4月と11月の祭礼(山誉め祭)において「君が代」が神楽歌として古くから伝わっており、「君が代」の誕生と関連があるのではないかとの説が存在している。
補足-2
全国の綿津見神社の総本宮(海神の総本社)。
代々阿曇氏が祭祀を司る。
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博多港から定期船で志賀島へ
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志賀海神社
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筑後国一宮 高良(こうら)大社 |
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所在地
福岡県久留米市御井町1番地
社格
式内社(名神大)・筑後国一宮・国幣大社・別表神社
祭神
正殿:高良玉垂命
左殿:八幡大神
右殿:住吉大神
歴史
仁徳天皇55年(367年)または78年(390年)鎮座、履中天皇元年(400年)創建と伝えられる。
補足
高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。
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太宰府天満宮 |
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所在地
福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
社格
官幣中社
祭神
菅原道真
歴史
創建=919年(延喜19年)
901年 藤原時平らの陰謀によって道真は筑前国の大宰府に権帥として左遷させられた。
903年 道真死去。
その遺骸を都まで送ろうとした。
しかし大宰府から外れた所で牛車を曳いていた牛が動かなくなった。
それはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、そこに墓が作られ、
905年 墓所に廟が建てられた。
919年 道真の墓所の上に社殿を建立した。
補足
大宰府(だざいふ)
7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。
和名は「おほ みこともち の つかさ」
大宰(おほ みこともち)とは
地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する役職で、いわば地方行政長官である。
大宝律令以前には吉備大宰(天武8年)、周防総令(天武14年)、伊予総領(持統3年)などあったが、大宝令の施行とともに廃止され、大宰の帥のみが残された。 |
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参考 :九州国立歴史博物館
福岡県太宰府市にある歴史系の博物館。
太宰府天満宮裏で、同宮所有の丘陵地に建設された。
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香椎(かしい)宮 |
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所在地
福岡県福岡市東区香椎4-16-1
社格
官幣大社・勅祭社・別表神社
祭神
主祭神=仲哀天皇 神功皇后
配祀= 応神天皇 住吉大神
歴史
社伝より
仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中橿日宮(かしひのみや、記は訶志比宮)で仲哀天皇が急逝したため、神功皇后がその地に祠を建て天皇の神霊を祀ったのが起源とされる。
養老7年(723年)、神功皇后自身の御神託により朝廷が社殿の造営を始め、神亀元年(724年)に竣工された。
この2つの廟をもって香椎廟とする。
延喜式神名帳の記載はないが、『続日本紀』などの国史には香椎廟・香椎宮・樫日廟などの文字が見える。
補足
古くから朝廷の崇敬厚く祈願・奉幣等は宇佐神宮に次ぐ扱いを受け伊勢、気飯、石清水と共に「本朝四所」と称された。 |
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参考資料
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