石東地方(太田市周辺)の神社
石見国一宮 物部神社
所在地
島根県大田市川合町川合1545

社格
式内社(小) 石見国一宮 国幣小社 別表神社

祭神
主祭神=物部氏初代の宇摩志麻遅命を祀る。

相殿の右座=布都霊神
(物部氏祖神で主祭神の父神である饒速日命と所有していた剣の霊神)

相殿の左座=天御中主大神と天照皇大神

客座=別天津神と見られる五神と鎮魂八神

歴史
創建=伝継体天皇8年(514年)

社伝によれば、饒速日命の御子の宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定を助けた後、一族を率いて美濃国・越国を平定した後に石見国で歿したという。宇摩志麻遅命は現在の社殿の背後にある八百山に葬られ、継体天皇8年(514年)、天皇の命によって八百山の南麓に社殿が創建されたと伝えられる。

補足
古代日本の物部氏に由来する神社。
この名前を持つ神社は東日本から西日本にわたる広い範囲にわたって分布している。
その多くは、物部氏の初代の宇麻志摩遅命や祖神である饒速日命を主祭神としている。



石央地方(江津・浜田市周辺)の神社
多鳩(たばと)神社
所在地
島根県江津市二宮町神主イ307

社格
式内社 石見国二宮 旧県社

祭神
主祭神=八重事代主命
配祀=

歴史
創建年代=不明
由緒書には事代主命は神代の昔石見の国開拓のため当地に留り給いその御終焉地と伝えらるとある。

補足
伊甘神社の祭神を事代主命の后神である溝咋姫命(みぞくいひめのみこと)とする説もある。



大祭天石門彦(おおまつりあめのいわとひこ)神社
所在地
島根県浜田市相生町1571

社格
式内社 石見国三宮 旧県社

祭神
主祭神=天石門別命
配祀=建御名方命

歴史
創建年代=不明

補足:天石門別神(あまのいわとわけのかみ)
『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されている。天孫降臨の段に登場する神の多くはその前の岩戸隠れの段にも登場しているが、この神は岩戸隠れの段には見えない。
天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。天太玉神の子ともいう。

天石門別神(櫛石窓神・豊石窓神)を祀る神社に天岩門別神社(岡山県美作市)、櫛石窓神社(兵庫県篠山市)、大祭天石門彦神社(島根県浜田市)、天乃石立神社(奈良県奈良市)などがある。


伊甘(いかん)神社
所在地
島根県浜田市下府町903−2

社格
式内社 石見国総社 旧村社

祭神
主祭神=天足彦國押人命

伊甘郷を開拓したと伝えられる猪甘首(いかんのおびと)の祖であるとも、小野氏の祖であるとも伝えられているが、石見国守であったと思われる柿本人麻呂の祖先神でもあるとも考えられている。

歴史
創建年代=不明

補足



石西地方(益田市周辺)の神社
高津柿本(人丸)神社
所在地
島根県益田市高津町上市イ2616-1

社格
旧県社

祭神
主祭神=柿本人麿命

歴史
創建年代=伝神亀年間(一説には726年)

晩年に国司として石見国に赴任した柿本人麿が、和銅年間に「鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらん」の辞世の歌を詠んで益田川河口(旧高津川河口)の鴨島に没したので、神亀年間にその霊を祀るために石見国司が聖武天皇の勅命を受けて鴨島に人丸社を創祀したのに創まるといい、また天平年間には人丸寺も建立したという。

補足
柿本人麿を祀る柿本神社は日本各地に存在するが、その本社を主張している。



参考資料
「島根県の歴史」(山川出版 2000)  
「神社辞典」 (東京堂出版 1997)

ウキペディア 「神社一覧」   


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  石見国の神社  
石見国
現在の島根県の西部にあたる。石州と呼ばれることもある。延喜式での格は中国、遠国。
石見地方をさらに細分して、大田市を中心とする東部地域を「石東地方」、江津市や浜田市を中心とする中部地域を「石央地方」、益田市を中心とする西部地域を「石西地方」と呼ぶことがある。

郡:6郡
安濃郡  邇摩郡  那賀郡  邑智郡(邑知郡)  美濃郡
鹿足郡(承和10年5月8日(843年6月9日)、美濃郡から鹿足・能濃2郷を分割して設置。