海部氏について
海部氏とは
海部氏は、彦火明命を祖とし、籠神社の創建以来、代々奉斎をしてきたとされ、現在は82代目である。
4代目の倭宿禰命は神武東征の際に亀に乗って神武天皇の前に現れ、大和国へ先導した。
「海部氏系図」が国宝に指定されている。


籠神社
概要
所在地 京都府宮津市字大垣430
社格   式内社(名神大)、丹後国一宮で、旧社格は国幣中社(現、神社本庁の別表神社)。
元伊勢の一つであり、元伊勢籠神社とも称する。別称 元伊勢根本宮、内宮元宮、籠守大権現、籠宮大明神。

歴史
社伝より
元々真名井原の地(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)に豊受大神が鎮座し、匏宮(よさのみや、与佐宮とも)と称されていた。
豊受大神御鎮座本紀によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。
4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移った。
これによって、当社を元伊勢という。

719年(養老3年)、真名井原から現在地に遷座して主祭神を彦火明命とし、豊受・天照両神を相殿に祀り、社名を籠宮に改めた。
真名井原の元の鎮座地は摂社・奥宮真名井神社とされた。
後に海神・天水分神が配祀された。
祭神が籠に乗って雪の中に現れたから「籠宮」という社名になったという伝承がある。


海部氏と磯部氏
隠岐国正税帳より
正倉院文書の天平4年(732年)『隠岐国正税帳』には役道(穏地)郡の少領として磯部直万得という名が見え、また島前ではあるが平城宮出土木簡に知夫利評(ちぶりのこおり)の石部(いそべ)真佐支という名が見えるので、隠岐国に磯部(石部)が置かれていたことがわかる。
磯部は『古事記』応神天皇段に海部(あまべ)とともに設置されたと記す「伊勢部」の事と見られ、海部と同じく漁猟を職とする部民であったが、海部が西国を主に広く分布するのに対し、磯部(伊勢部)は伊勢を本拠地として東国を中心に広く分布したとされる。
また伊勢の地名も「磯」に基づくものであるとされることから、磯部を介した伊勢との関係がうかがえ、特に隠岐国伊勢命神社の鎮座する穏地郡の磯部氏が郡少領を務めるほどの有力者であったらしいことから、当神社の創祀には磯部氏を頂点とする海民の動きがあったものとも推定されている。



海部氏系図について
海部氏系図(あまべしけいず)
京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家、海部氏に伝わる系図。
、『籠名神社祝部氏係図』1巻(以後「本系図」と称す)と『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』1巻(以後「勘注系図」と称す)とからなる。
ともに古代の氏族制度や祭祀制度の変遷を研究する上での貴重な文献として、昭和50年(1975年)6月に重要文化財、翌51年(1976年)6月に国宝の指定を受けた。


本系図
概要
現存する日本の古系図の一つ。
丹後国庁に提出され、その認可を受けたものであることが分かる。
また成立年代については、標記中に「従四位下籠名神」とあることから、籠神社が「従四位下」であった期間。
すなわち871年(貞観13年)から877年元慶元年とするが、下述「勘注系図」の注記にも貞観年中(859~877年)の成立とある。
作者は当時の当主である第33世(以下、世数は「勘注系図」による)海部直稲雄であると見られている

内容
その内容は一族の当主の名前を縦に書き連ねる。『勘注系図』の要約版ともいうべき物。
始祖彦火明命から第32世の田雄まで、各世1名の直系子孫のみを記したきわめて簡略なもので、内容的には次の3部からなる。

①上代部
始祖から第19世健振熊宿祢までの姓を有さない期間。
途中、2・3世と第5世から第18世までを欠いているため、わずか3人(神)を記すのみである。

②海部管掌時代
第20世都比から第24世勲尼までの、「海部直」の姓を持ち、伴造として丹波国(当時は丹後国を含んでいた)の海部(海人集団)を率いていたと思われる期間。

③祝部時代
第25世伍佰道から貞観時代の第32世田雄までの、「海部直」の姓を持つとともに名前の下に「祝」字を付け、籠神社の祝としての奉仕年数を注記する期間。


勘注系図
概要
「本系図」に細かく注記を施したもので、竪系図の形式を襲うが、現存のものは江戸時代初期の写本である。
原本は仁和年中(885-889年)に編纂された『丹波国造海部直等氏之本記』であると伝える。
その紙背には桃山時代に遡ると推定される天候や雲の形による卜占を図示したものが画かれており、本来は反故紙であった卜占図の裏に書写されたものであった。
ちなみに編纂経緯として、注記中に「一本云」として以下のように伝えている。

①推古天皇朝に丹波国造であった海部直止羅宿祢が『丹波国造本記』を撰述。
上記『国造本記』撰述から3世を経た養老5年(721年)、丹波国造海部直千嶋(第27世)とその弟である千足千成等が『籠宮祝部氏之本記』を修撰(一説に養老6年(722年)8月ともある)。
②貞観年中に、第32世の田雄等が勅を奉じて、上記『養老本記』を基にその後の数代を増補する形で本系帳としての『籠名神社祝部氏系図』(現在の「本系図」)を撰進。
③仁和年中に、「本系図」が神代のことや上祖の歴名を載せておらず、本記の体をなしていなかったため、第33世の稲雄等が往古の所伝を追補して『丹波国造海部直等氏之本記』を撰述。

内容
『勘注系図』の九世孫までは『先代旧事本紀』の尾張氏系譜と同じ系譜である。
始祖から第34世までが記され、各神・人の事跡により詳しい補注を加え、当主の兄弟やそこから発した傍系を記す箇所もある。
「記紀」は勿論、『旧事本紀』などの古記録にも見られない独自の伝承を記すとともに、「本系図」上代部で省略されたと覚しき箇所もこれによって補い得る。



海部氏系譜(勘注系図を参照した系譜)
海部氏、尾張氏、皇室系譜との比較


海部氏系譜
兄弟姉妹
尾張氏系譜
兄弟姉妹
皇室系譜
兄弟姉妹
-2 天照大神
天照大神 天照大神
-1 天忍穂耳命
天忍穂耳命 天忍穂耳命
      ↓
天火明天命
天火明天命
(ニギハヤヒ)
     瓊瓊杵命
天香語山命
弟:可美眞手命 天香語山命 可美眞手命 火遠理命
天村雲命
弟:熊野高倉下 天村雲命 鵜葺草葺不合命
倭宿禰命
天忍人命
天忍男命
天忍人命 天忍人命 神武
笠水彦命
天戸目命 綏靖
笠津彦命
建斗米命 安寧
建田勢命
建田背命 懿徳

建諸隅命
豊玉姫 建諸隅命 孝昭
日本得魂命
倭得玉命 孝安
意富那比命
日女命 弟彦命 孝霊
10 乎縫命
淡夜別命 孝元
11 小登与命
乎止輿命 開化
12 建稲種命
建稲種命 崇神
13 志理都彦命
尻綱根命 尾綱根命 垂仁
14 川上眞稚命 成務


補足
海部氏系図と、先代旧事本紀からの尾張氏系図はほぼ一致すると考えられる。
詳細は、「氏族系譜比較」へ。



参考資料
「日本古代氏族辞典」 (雄山閣出版 1994 佐伯有清)
「古代豪族系図集覧」 (東京堂出版 1993 近藤敏喬)
「日本書紀 上・中・下」 (教育社 1992)山田宗睦訳 
「日本書紀 上・下」 (講談社) 
「古事記 上・中・下」 (講談社 1977)

Wikipedia 「海部氏」

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海部(あまべ) 米子(西伯耆)・山陰の古代史
天火明命を祖とする海人族。
籠神社の社家で尾張氏から別れたのが、海部氏と掃部氏。 (参照:皇室・有力氏族系図まとめ)