順 | 国名 | 御代 | 親族関係 | 国造名 | 備考 | 本文・補足 |
61 | 染羽 | 13成務 | 阿岐国造同祖10世孫 | 足彦命 (たらしひこのみこと) |
陸奥標葉. | 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に阿岐国造の先祖の十世の孫の足彦命を国造に定められた。 |
62 | 浮田 | 13成務 | 崇神の五世孫 | 賀我別王 (かがわけのおおきみ) |
陸奥宇田 | 志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に瑞籬の帝(崇神天皇)の五世の孫の賀我別王を国造に定められた。 |
63 | 信夫 | 13成務 | 阿岐国造同祖久志伊麻命孫 | 久麻直 | 陸奥国信夫郡 福島市 |
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に阿岐国造の同祖の久志伊麻命(くしいまのみこと)の孫の久麻直(くまのあたい)を国造に定められた。 |
信夫国造(しのぶのくにのみやつこ) 阿武隈川を擁する福島盆地、令制国での陸奥国信夫郡(しのぶのこおり)(現福島県福島市(旧信夫郡を包含)、伊達市及び伊達郡)にあった信夫国を支配した国造。 祖先 成務天皇の時代、阿岐国造と同祖の久志伊麻命(くしいまのみこと)の孫である久麻直(くまのあたい)を国造に定めたことに始まるとされる。 阿岐国造の祖は天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと)といい、祖を同じとする東山道系の国造に、染羽国造、伊久国造、思国造がいる。 また、天降天由都彦命(あまくだるあまのゆつひこのみこと)も同一とする説によれば、白河国造も同祖となる 補足 律令制下に入って、養老2年(718年)から養老6年(722年)または神亀元年(724年)3月にかけての短期間であるが陸奥国から石背国へ分割された経緯を持つ当地は、大和朝廷の北進を代表する多賀城築城までは、ヤマト王権の及ぶ最北端の地として蝦夷と対峙していた。 |
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64 | 白河 | 13成務 | 天降天由津彦命11世孫 | 塩伊乃己自直 (しおいのこしのあたい) |
陸奥国白河郡 福島県白河市 |
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に天降った天由都彦命(あまのゆつひこのみこと)の十一世の孫の塩伊乃自直を国造に定められた。 |
白河国造(しらかわのくにのみやつこ) 令制国での陸奥国白河郡(しらかわのこおり)(現福島県白河市、西白河郡、東白川郡及び石川郡)辺りにあった白河国を支配した国造。 祖先 成務天皇の時代、天降天由都彦命11世孫である鹽伊乃己自直 (しほいのこじのあたい)を国造に定めたことに始まるとされる。 氏族 天降天由都彦命(あまくだるあまのゆつひこのみこと)は阿岐国造の祖とされる天湯津彦命と同じとされ、東山道系の国造では、信夫国造、染羽国造、伊久国造、思国造が同祖となる。 補足 律令制下に入って、養老2年(718年)から養老6年(722年)または神亀元年(724年)3月にかけての短期間であるが陸奥国から石背国へ分割された経緯を持つ。 当地には、ヤマト王権の及ぶ北限の地として蝦夷を防ぐ白河の関があったとされ、大和朝廷の北進を代表する多賀城築城後はそこを守備した白河団の根拠地となった。 |
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65 | 石背 | 13成務 | 建許侶命児 | 建彌依米命 (たけみよりめのみこと) |
陸奥国石背郡 福島県岩瀬郡 |
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に建許○(人偏呂)命の子の建彌依米命を国造に定められた。 |
石背国造(いわせのくにのみやつこ) 令制国での陸奥国石背郡(いわせのこおり)、現在の福島県岩瀬郡(旧岩瀬村、現須賀川市)辺りにあったとされる石背国を支配した国造。 祖先 成務天皇の時代、建許侶命(たけころのみこと)の子である建彌依米命(建弥依米命、たけみよりめのみこと)を国造に定めたことに始まるとされる。 氏神 神炊館神社(じんすいかんじんじゃ) 建弥依米命が自ら祭った祠が起源と伝わる。 祖の建許呂命と建弥依米命とを祀る。社名は建弥依米命が新穀を炊いて神前に供えたことに由来する。 須賀川市新町に鎮座。 須賀川市諏訪町45-1に鎮座する同名の社は諏訪町へ遷宮した後の新社で、二階堂為氏が信濃国諏訪大社から勧請した建御名方命なども祀る。 石背国造神社(いわせくにつこじんじゃ) 建弥依米命を祀り、国造の子孫が祭祀の職を世襲したと伝わる。 福島県須賀川市長沼豊町37に鎮座。 白方神社 建弥依米命が河内国枚岡神社を勧請したと伝わる。 福島県須賀川市今泉字町内245番に鎮座。石背国造の子孫である吉田家が社家をつとめ「石背国造系図」を伝える。 |
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66 | 石城 | 13成務 | 天津彦根命後裔、大野註 | 建許呂命 | 陸奥国石城郡 福島県いわき市 |
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に建許呂命を国造に定められた。 |
石城国造(いわきのくにのみやつこ) 令制国での陸奥国石城郡(いわきのこおり)(現在の福島県いわき市)にあった石城国を支配した国造。 祖先 成務天皇の時代、天津彦根命の子とされる建許侶命を国造に定めたことに始まるとされる。 氏族 道奥菊多国造の屋主刀禰、道口岐閉国造の宇佐比乃禰、石背国造の建彌依米命、茨城国造の筑紫刀禰、馬来田国造の深河意彌命、須恵国造の大布日意彌命はみな建許侶命の子、師長国造の意富鷲意彌命は建許侶命の孫とされる。 しかし、『常陸風土記』では石城郡は高国造が支配した常陸国多可郡から分割して成立したとの記述もあり、領域と支配氏族の系譜については文献により異同がある。 |
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67 | 那須 | 12景行 | 建沼河命(八井耳の弟)孫 | 大臣命 | 下野国北東部 | 纏向の日代の帝(景行天皇)の御世に建沼河命(たけぬまかわのみこと)の孫の大臣命を国造に定められた。 |
那須国造(なすのくにのみやつこ・なすこくぞう) 下野国北東部を支配した国造である。 祖先 景行朝に建沼河命の孫の大臣命が那須国造になったという。 氏族 那須氏。姓は直。阿倍氏と同祖とされるが、後に縁戚になったともいう。 後裔 那須韋提・・・・飛鳥時代の豪族。那須国造。那須国造碑によると那須評督になったという。 那須赤竜・・・・平安時代の豪族。陸奥国白河郡大領。阿倍陸奥氏の氏祖 |
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68 | 科野 | 10崇神 | 神八井耳命孫 | 建五百建命 | 信濃 長野県 |
瑞籬の帝(崇神天皇)の御世に神八井耳命(かむやいみみのみこと)の孫の建五百建命を国造に定められた。 |
科野国造(しなののくにのみやつこ・しなのこくぞう) 信濃国を支配した国造。 祖先 神武天皇の子の神八井耳命が祖で、成務朝にその孫の五百建命が科野国造に任じられたという。 氏族 科野氏。姓は直。後に金刺氏で朝臣を賜る者もいた。 信濃国や駿河国で郡司を務めるものも多かった。 後裔 金刺若嶋・・・・奈良時代の女性。女嬬。外従五位下に叙せられ、連姓を賜った。 金刺八麻呂・・・・奈良時代の豪族。伊那郡大領。藤原仲麻呂の乱で活躍。 金刺貞永・・・・平安時代の豪族。朝臣姓を賜った。 |
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69 | 出羽 | 43元明 | 和銅5年陸奥越後を割って此の国を置く | . | 東山道の一国 |
諾羅(なら)の帝(元明天皇)の御世の和同五年に陸奥・越後の二国を割き始めてこの国を置く。 |
70 | 若狭 | 19允恭 | 膳臣祖佐白米命児 | 荒砺命 (あらとのみこと) |
福井県西部 | 遠飛鳥朝の御代に、膳臣(かしわでのおみ)の祖・佐白米(さしろよね)命の子の荒砺命を国造に定められました。 |
71 | 高志 | 13成務 | 阿閉臣祖屋主田心命3世孫 | 市入命 (いちいり) |
越国 | 志賀高穴穂朝の御世に、阿閉臣(あべのおみ)の祖・屋主田心(やぬしたこころ)命の三世孫の市入命を国造に定められました。 |
72 | 三国 | 13成務 | 宗我臣祖彦太忍信命4世孫 | 若長足尼 (わかなのすくね) |
越前坂井三国湊 | 志賀高穴穂朝の御世に、宗我臣の祖・彦太忍信命(ひこふつおしのまこと)の四世孫の若長足尼を国造に定められました。 |
73 | 角鹿 | 13成務 | 吉備臣祖若武彦命孫 | 建功狭日命 (たけいさひのみこと) |
越前敦賀 | 志賀高穴穂朝の御世に、吉備臣の祖・若武彦命の孫の建功狭日命を国造に定められました。 |
孝霊皇子に彦五十狭芹彦命(吉備津彦)、稚武彦命の異母兄弟あり。 | ||||||
.74 | 加我 | 21雄略 | 三尾君祖 石撞別命4世孫 (いわつくわけのみこと) |
大兄彦君 (おおえひこのきみ) |
加賀 | 泊瀬朝倉朝の御世に、三尾君の祖・石撞別命の四世孫の大兄彦君を国造に定められました。 難波朝の御代には、越前国に合併しました。 |
75 | 加賀 | 36孝徳 | 三尾君祖 石撞別命4世孫 (いわつくわけのみこと) |
.大兄彦君 (おおえひこのきみ) |
嵯峨朝の御世、弘仁十年に、越前国を割いて加賀国としました。 | |
76 | 加宜 | 16仁徳 | 能登国造同祖 | 素都乃奈美留 (そつのなみるのみこと) |
加賀 | 難波高津朝の御世に、能登国造と同祖の素都乃奈美留命を国造に定められました。 |
77 | 江沼 | 18反正 | 蘇我臣同祖 武内宿禰4世孫 |
志波勝足 (しはかつのすくね) |
加賀江沼 | 柴垣朝の御世に、蘇我臣と同祖・武内宿禰の四世孫の志波勝足尼を国造に定められました。 |
78 | 能等 | 13成務 | 活目帝皇子大入来命孫 | 彦狭嶋命 (ひこさしま) |
能登 | 志賀高穴穂朝の御世に、活目(いくめ)天皇の皇子・大入来(おおいりき)命の孫の彦狭嶋命を国造に定められました。 |
79 | 羽咋 (はくい) |
21雄略 | 三尾君祖石撞別命児 | 石城別王 (いわきのわけのきみ) |
能登羽咋 | 泊瀬朝倉朝の御世に、三尾君の祖・石撞別命の子の石城別王を国造に定められました。 |
80 | 伊彌頭 (いみづ) |
13成務 | 宗我同祖 建内足尼孫 |
大河音足尼 (おおかわとのすくね) |
越中射水 | 志賀高穴穂朝の御世に、宗我と同祖・建内足尼の孫の大河音足尼を国造に定められました。 |
81 | 久比岐 | 10崇神 | 大和直同祖 | 御矛命 (みほこのみこと) |
越後頚城 | 瑞籬朝(崇神天皇)の御世に、大和直と同祖の御戈命を国造に定められました。 |
82 | 高志深江 | 10崇神 | 道君(みちのきみ)同祖 | 素都乃奈美留命(そつのなみるのみこと) | 越後頚城沼川深江 | 瑞籬朝の御世に、道君と同祖の素都乃奈美留命を国造に定められました。 |
83 | 佐渡 | 13成務 | 阿岐国造同祖久志伊麻命4世孫 | 大荒木直 (おおあらきのあたい) |
佐渡 | 志賀高穴穂朝の御世に、阿岐国造と同祖・久志伊麻(くいしま)命の四世孫の大荒木直を国造に定められました。 |
84 | 丹波 | 43元明 | 和銅6(AD713) 丹波を割いて丹後を置く |
.丹波国司 | 京都府北部 | 諾良朝(ならのみかど)の御世の和銅六年に、丹波国を割いて丹後国を設置しました。 |
85 | 但遅麻 | 13成務 | 竹野君同祖彦坐王5世孫 | 船穂足尼 (ふなほのすくね) |
但馬 | 志賀高穴穂朝の御世に、竹野君(たけののきみ)と同祖・彦坐王の五世孫の船穂足尼を国造に定められました。 |
86 | 二方 | 13成務 | 出雲国造同祖 遷狛一奴命孫 |
美尼布命 (みねふのみこと) |
但馬美方 | 志賀高穴穂朝の御世に、出雲国造と同祖・遷狛一奴(うつしこまひとぬ)命の孫の美尼布命を国造に定められました。 |
87 | 稲葉 | 13成務 | 彦坐王児 | 彦多都彦命 (ひこたつひこ) |
.因幡国 | 志賀高穴穂朝の御世に、彦坐王の子の彦多都彦命を国造に定められました。 |
因幡氏 宇倍神社の神主であった伊福部氏は因幡国造を名乗っていたが、実際の国造は因幡氏(因幡国造氏)であり、伊福部氏はこの一族から分れた支流に当る。 |
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88 | 波伯 | 13成務 | 牟耶志国造同祖兄多毛比命児 | 大八木足尼 (おおやきのすくね) |
伯耆国 | 志賀高穴穂(13成務)朝の御世に、牟邪志国造と同祖・兄多毛比命の子の大八木足尼を国造に定められました。 |
祖先 牟耶志(武蔵)国造同祖、兄多毛比(えあたもひ)命の児、大八木足尼(おおやきのすくね) |
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89 | 出雲 | 10崇神 | 天穂日11世孫 | 宇迦都久怒命 | 出雲国 | 瑞籬の帝(崇神天皇)の御世に天穂日命(あまのほひのみこと)の十一世の孫の宇迦都久怒(うかつくぬ)を国造に定められた。 |
出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう) 出雲国(現在の島根県東部地方)を古代に支配した氏族・出雲氏の長が称した称号である。 代々出雲大社の祭祀を受け継いだ。 祖先 出雲国造は、国譲りに応じた大国主命を祀る為、天日隅宮(あめのひすみのみや=出雲大社)の祭祀を担った天穂日命(あめのほひのみこと)を始祖とする。 実際は、弥生時代から古墳時代にかけて出雲地方を中心に大きな勢力を誇った出雲氏が、ヤマト王権下において出雲国造に任ぜられたものとみられる。 国造制は大化の改新以後、全国的に廃止される方向に進んだが、出雲国造、紀伊国造など、ごく一部のみが存続を許された。 後裔 千家家 北島家 |
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90 | 石見 | 10崇神 | 紀伊国造同祖蔭佐奈朝命児 | 大屋古命 (おおやこのみこと) |
石見国 | 瑞籬の帝(崇神天皇)の御世に紀伊国造と同祖の蔭佐奈朝命(かげさなあさのみこと)の子の大屋古命を国造に定められた。 |
91 | 意岐 | 15応神 | 観松彦伊呂止命5世孫 | 十揆彦命 (とおえひこのみこと) |
隠岐の島 | 軽島豊明の帝(応神天皇)の御世に観松彦伊呂止命(みまつひこいろとのみこと)の五世の孫の十挨彦命を国造に定められた。 |
祖先 玉若酢命神社宮司家である億岐家が国造家であったと考えられている。 隠岐国設置の年代は不明だが、大化改新後全国に国郡が置かれた時から存在したと考えられる。 |
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先代旧事本紀 巻第十 国造本紀その3 |
百四十四ヵ国のうち、61-91まで記載 |